もの言えば唇寒しの時代2013年11月06日 21時17分44秒

★この国と日本人はどこへ向かうのか アクセスランキング: 129位
 
 物腰、立ち振る舞いなどが何となく気に食わない有名人がひとたび事件や犯罪などしでかしたり、巻き込まれたりすると、それ見たことかと集団暴行的に、よってたかって叩きのめし引きずり下ろし過剰なまでに攻撃する。
 それはみのもんたであり、山本太郎であり、実のところ誰だってかまわない。
 叩いている側は、自分は「正義」だと、当然のことをしていると信じている。ゆえにそれは収まるどころか一度火がつけばエキサイトしていくばかりとなる。

 もしそこで彼らを弁護したり少しでも理解を示す発言をしようものなら、そいつもまた仲間、敵とみなされ世間の攻撃、憎しみの対象となる。
 ならば異論はあろうともバッシングの嵐が吹き荒れている間はじっとだんまりを決め込むが賢明だ。あるいはいっそのことその攻撃する仲間となって、石を投げる側に加われば良い。
 今の時代、次回の東京オリンピック決定の熱狂を見るまでもなく、国民の大多数の声が正義であり、常識であり、それに異を唱え反対する少数派は偏屈、変わり者ならまだましで、「非国民」扱いされる。よって大多数と異なる意見は口にも文字にもしにくい。よほど勇気ある者、あるいは社会的に認知された文化人でもない限り世相と抗う発言、行動はしにくくなってきている。
 つくづく嫌な時代、恐ろしい時代だなあと嘆息する。

 山本太郎がしでかした園遊会での席での天皇への手紙手渡し事件、筆者の考えは先に書いたし変わりもしないのでもう付け加えることはない。ただ、週刊誌などマスコミは今もトップニュース扱いで太郎攻撃の手を緩めていないし、ネット上では相変わらずこの事件は話題の上位にランクされている。
 先日もネット上のアンケートで、この事件について太郎氏の行動を支持するかというアンケートがあり、つい結果を覗いてしまった。約八割方は、支持しない、で、一割が支持する、という結果が出ていた。自分も問われれば支持しないと答える側だからその「結果」については問題としない。
 が、そこに付けられた回答された方々の各コメントを読んでしまいものすごく嫌な気持ちとなった。読んだこと、知ったことを後悔した。

 非常識な太郎はすぐさま国会議員を辞職しろ、議員としての資格なしと辞職を求める程度ならまだ良い。太郎を議員に選んだ都民は恥を知れ、もまだ許させる。が、目を疑ったのは、太郎は即死刑 !とか、日本国籍を剥奪しろ、ついでに不敬罪を復活させ、自衛隊の実弾射撃演習の標的にしろ、というのまであった。またそのコメントについても支持する人たちがかなりいる。
 逆に太郎氏を支持するとか弁護する「少数派」のコメントにはそれを嘲笑うような「反論」がまた多く投げつけられている。むろん中にはごく常識的な傾聴に値するコメントもなくはないが、多くは極めて異常なほど攻撃的であった。つまりネット世界では天皇に手紙を手渡すとは万死に値するのである。

 むろん今の時代、誰もが自由に好き勝手に何を書きどう発言しようとそれはゆるされよう。しかし、こうしたまさに非常識と思える、極論「死刑にしろ」とか「国籍はく奪」とかはいくら何でも冗談?まじりだとしても果たして一個人に向けて公然と公開の場で吐き捨てて許されるのであろうか。ネットならばありなのか。
 人として口にしてはならないことを平然と文字にして憎悪をつのらせる。信じられない目を疑う言葉を文字にして「社会の敵」とみなした者に浴びせつける。また、そのコメントでは太郎は福島にも行っていないとかまさにデマ、流言飛語が飛び交っていた。それをまた真に受け、「こいつは死刑だね」と新たなコメントが付けられ同意する者が増えていく。

 大昔、関東大震災の直後に、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが全国的に飛び交い、少なくない数の朝鮮及びアジアから日本に来ていた外国人が自警団に殺されたと言われている。それについては真偽のほどはともかくも今のこうした世相をみると、そうしたことも決して起こりえない、有りえない話ではないと思わざるえない。
 
 以前も書いたことだが、寛容さを欠いた時代である。ただ何となく気に食わない奴が何か問題を起こすと、とことんマスコミでもネット上でも皆で叩く。その攻撃は常軌を逸している。これはいわば「イジメ」「集団暴行」に近しいものだ。その攻撃目標とされた者が自殺すれば気が済むのであろうか。そんな小悪よりももっと大きな巨悪は存在しているのを知らないのか。

 ナザレトのイエスは、言った。「自らに罪なき者はこの女を石で打て」と。おそらく今の日本人なら嬉々としてその汚れた女を石もて殺したであろう。いったいいつからこの国の人たちは自らの「正義」を過信するようになってしまったのか。昔の日本人が持っていた温和さ、やさしさはどこへ消えたのか。
 人は弱い愚かなものだ。失敗もしでかす。ならばゆるすしかないではないか。犯罪とも呼べない過ちに対して「死刑」を求める人たちが多くいる。彼らが頼むものは日本という国家なのか。大多数の側の自らと相容れない考え、思想、行動をとる者は「非国民」として糾弾する。それは私が考え愛する日本と日本人ではない。
 この国はどこへ向かうのか。