一人ぼっちのクリスマスイブ ― 2016年12月24日 22時08分18秒
★いつかこんな日が来ると思っていたけれど。
毎年恒例23日のクリスマスライブパーティを中止にして、まずその後の報告から。
幸い下痢や嘔吐は、22日だけで収まって、大事には至らなかったが、また咳が続き、まだ本調子ではない。父のデイケアへの送り出し送り迎えや洗濯など家事をやりつつ、合間に二階の片付けを続けては、その合間合間に横になって仮眠するという半病人の生活を続けている。
まあ、明日に延期しての開催も可能だったと今は思うが、たぶんその後はまた疲れがどっと出て、年内は寝たきりとなるかもしれず、やはり今回は中止にしても仕方なかったのだと自らをなだめている。
今はともかくまず体調を戻して、無理することなくイベントができるよう体力つけてその体制をつくっていくことだと思う。何をするのにも無理せねばならないとか、その後は疲れて倒れ込む事態となるのならば、そもそもやる意味がないであろう。
すべてが無理せず自然体で、誰もが楽しく気軽気楽にやれることでないのならば、どんな良いことであっても続かない。当たり前のことが当たり前にできるよう、何事もうまくやれるようにすることが我の課題だとわかってきた。
さておき、今日は土曜日でクリスマスイブ。明日は日曜日のクリスマス。暦の巡りあわせとはいえ、なかなか土日にクリスマスが重なることはめったにない。
我は、勤め人ではないので、別に土日とか祝祭日はまったく関係ないのだけれど、毎年23日の天皇誕生日に、そのクリスマス謝恩ライブパーティを催し、多くの人たちと集い夜遅くまで唄い食べて騒いで、その一年を締め括っていた。
次の日は、疲れて一日寝込むように休んで、クリスマス当日を心静かに、内々、つまり家族だけで祝っていた。まあ、それも23日の残り物を片付ける程度のささやかな家庭パーティであったが。
が、今年は母が9月にあの世へと旅立ち、その恒例の23日のイベントも予定していたものの体調不良で勝手ながら中止にしてしまうと、イブもクリスマス本番も何もない。ただ拍子抜けしたような空漠感がある。
いちおう、鶏とかは事前に買っておいたので、下味つけておいた鶏を、晩飯には焼いて父に出したが、父もあまり食べず、大方残ってしまった。老いた親子二人だけだと、何を作っても処理が追いつかない。犬たちに回れば良い方で、けっきょくほとんどカビ生えたり傷んでしまい大方捨てるはめとなってしまう。
夕刻時、犬たちの散歩で、近くのイトーヨーカ堂へ足伸ばして食料品売り場を覗いて見た。例年なら、パーティの食材を買い込みに行くわけで何となくその習慣でついふらっと行ってしまったのだ。
流れている音楽はクリスマスソングばかりなのだが、売り場はもう大急ぎで、正月用のカマボコなどお節食品へと入れ替えていて、おやっと思った。売る側とすれば、明日が日曜でもクリスマス商戦は既に終わりにして、さあ、これからは年の瀬、正月の支度で客を招くほうに懸命なのであった。まして明日が日曜ならば。
今年はウチでのイベントはないし、誰も来ない。何を買ってもまた残るばかりだから、クリスマスのオードブルなど値下げされていたものの、けっきょく、何も買わずに店を出て暗い夜道を犬たちを連れてとぼとぼと帰った。
ひとりぼっちのクリスマスイブ、という言葉が不意に頭に浮かんだ。そんなタイトルの歌があったかもしれない。
父はまだ生きているし、ならば一人で迎えるイブではないはずだ。いちおう父に鶏を焼いて少しだけでも食べさせたが、ケーキもないし今年は何もクリスマスを祝うことはしなかった。そもそも母がいないならば、父と二人では話す言葉もない。クリスマスどころではなかったのだ。
ひとりぼっちではないけれど、23日の皆で集うパーティもない今年は、やはり一人ぼっちで迎えるクリスマスイブ、クリスマスなのだと気づく。
この世に我と同じく、一人で淋しくイブの夜を過ごす人がどれだけいるのであろうか。我は一人だったけれど、今までは、この夜に一人ぼっちだと感じてはいなかった。
それは友人皆と賑やかに過ごす23日のイベントがこのところずっと拙宅であったことと、母も生きていて、ささやかでも家族で犬猫までも集い、ときに甥っ子も来て、皆で薪ストーブで焼いた鶏を食べ、ケーキも食べてクリスマスを祝ってきた。そんな風に毎年毎年慌ただしく過ごして来た。そんな年末、クリスマスそして正月がずっと続くと信じていた。
母が死んでいなくなった今年はすべてが違ってしまった。大掃除もまだだが、正月の準備も何一つしていないし、たぶん甥っ子も来ないだろうから、お節も何一つ用意することもない。餅ぐらいは焼いてお雑煮は作る予定だが、後はたぶん何も作らないし何も買わない。
正月も父と二人だけ。ということは正月も一人で迎えることになる。
それでも新年を迎えれば正月気分になれなくもないだろうが、家族や、恋人たち、そして新婚さんたちが楽しく祝って過ごすイブの夜やクリスマスは、もう我には来ないことに気づき愕然とする。
幸福とはささやかなものでも失ってから気づくとは言ったもので、もう去年のクリスマスで、母が生きていた我家のクリスマスは終わってしまったのだ。これからは一人ぼっちで迎えるクリスマスイブに、何も祝うことはない。聖し幸いなる祝うべき夜に、ただ、一人で孤独、淋しさと向き合うだけだ。
この世に一人で過ごすクリスマスを迎える人たちが男も女もどれだけいるのかわからない。その人たちがどれだけの孤独を抱えているのか知らないが、せめて来年こそ、我のためにもそんな人たちが集える場をやはりつくらねばならないと今また思っている。そう、自分のためにも。
だからこそ、だれにとってもメリー・クリスマス!
毎年恒例23日のクリスマスライブパーティを中止にして、まずその後の報告から。
幸い下痢や嘔吐は、22日だけで収まって、大事には至らなかったが、また咳が続き、まだ本調子ではない。父のデイケアへの送り出し送り迎えや洗濯など家事をやりつつ、合間に二階の片付けを続けては、その合間合間に横になって仮眠するという半病人の生活を続けている。
まあ、明日に延期しての開催も可能だったと今は思うが、たぶんその後はまた疲れがどっと出て、年内は寝たきりとなるかもしれず、やはり今回は中止にしても仕方なかったのだと自らをなだめている。
今はともかくまず体調を戻して、無理することなくイベントができるよう体力つけてその体制をつくっていくことだと思う。何をするのにも無理せねばならないとか、その後は疲れて倒れ込む事態となるのならば、そもそもやる意味がないであろう。
すべてが無理せず自然体で、誰もが楽しく気軽気楽にやれることでないのならば、どんな良いことであっても続かない。当たり前のことが当たり前にできるよう、何事もうまくやれるようにすることが我の課題だとわかってきた。
さておき、今日は土曜日でクリスマスイブ。明日は日曜日のクリスマス。暦の巡りあわせとはいえ、なかなか土日にクリスマスが重なることはめったにない。
我は、勤め人ではないので、別に土日とか祝祭日はまったく関係ないのだけれど、毎年23日の天皇誕生日に、そのクリスマス謝恩ライブパーティを催し、多くの人たちと集い夜遅くまで唄い食べて騒いで、その一年を締め括っていた。
次の日は、疲れて一日寝込むように休んで、クリスマス当日を心静かに、内々、つまり家族だけで祝っていた。まあ、それも23日の残り物を片付ける程度のささやかな家庭パーティであったが。
が、今年は母が9月にあの世へと旅立ち、その恒例の23日のイベントも予定していたものの体調不良で勝手ながら中止にしてしまうと、イブもクリスマス本番も何もない。ただ拍子抜けしたような空漠感がある。
いちおう、鶏とかは事前に買っておいたので、下味つけておいた鶏を、晩飯には焼いて父に出したが、父もあまり食べず、大方残ってしまった。老いた親子二人だけだと、何を作っても処理が追いつかない。犬たちに回れば良い方で、けっきょくほとんどカビ生えたり傷んでしまい大方捨てるはめとなってしまう。
夕刻時、犬たちの散歩で、近くのイトーヨーカ堂へ足伸ばして食料品売り場を覗いて見た。例年なら、パーティの食材を買い込みに行くわけで何となくその習慣でついふらっと行ってしまったのだ。
流れている音楽はクリスマスソングばかりなのだが、売り場はもう大急ぎで、正月用のカマボコなどお節食品へと入れ替えていて、おやっと思った。売る側とすれば、明日が日曜でもクリスマス商戦は既に終わりにして、さあ、これからは年の瀬、正月の支度で客を招くほうに懸命なのであった。まして明日が日曜ならば。
今年はウチでのイベントはないし、誰も来ない。何を買ってもまた残るばかりだから、クリスマスのオードブルなど値下げされていたものの、けっきょく、何も買わずに店を出て暗い夜道を犬たちを連れてとぼとぼと帰った。
ひとりぼっちのクリスマスイブ、という言葉が不意に頭に浮かんだ。そんなタイトルの歌があったかもしれない。
父はまだ生きているし、ならば一人で迎えるイブではないはずだ。いちおう父に鶏を焼いて少しだけでも食べさせたが、ケーキもないし今年は何もクリスマスを祝うことはしなかった。そもそも母がいないならば、父と二人では話す言葉もない。クリスマスどころではなかったのだ。
ひとりぼっちではないけれど、23日の皆で集うパーティもない今年は、やはり一人ぼっちで迎えるクリスマスイブ、クリスマスなのだと気づく。
この世に我と同じく、一人で淋しくイブの夜を過ごす人がどれだけいるのであろうか。我は一人だったけれど、今までは、この夜に一人ぼっちだと感じてはいなかった。
それは友人皆と賑やかに過ごす23日のイベントがこのところずっと拙宅であったことと、母も生きていて、ささやかでも家族で犬猫までも集い、ときに甥っ子も来て、皆で薪ストーブで焼いた鶏を食べ、ケーキも食べてクリスマスを祝ってきた。そんな風に毎年毎年慌ただしく過ごして来た。そんな年末、クリスマスそして正月がずっと続くと信じていた。
母が死んでいなくなった今年はすべてが違ってしまった。大掃除もまだだが、正月の準備も何一つしていないし、たぶん甥っ子も来ないだろうから、お節も何一つ用意することもない。餅ぐらいは焼いてお雑煮は作る予定だが、後はたぶん何も作らないし何も買わない。
正月も父と二人だけ。ということは正月も一人で迎えることになる。
それでも新年を迎えれば正月気分になれなくもないだろうが、家族や、恋人たち、そして新婚さんたちが楽しく祝って過ごすイブの夜やクリスマスは、もう我には来ないことに気づき愕然とする。
幸福とはささやかなものでも失ってから気づくとは言ったもので、もう去年のクリスマスで、母が生きていた我家のクリスマスは終わってしまったのだ。これからは一人ぼっちで迎えるクリスマスイブに、何も祝うことはない。聖し幸いなる祝うべき夜に、ただ、一人で孤独、淋しさと向き合うだけだ。
この世に一人で過ごすクリスマスを迎える人たちが男も女もどれだけいるのかわからない。その人たちがどれだけの孤独を抱えているのか知らないが、せめて来年こそ、我のためにもそんな人たちが集える場をやはりつくらねばならないと今また思っている。そう、自分のためにも。
だからこそ、だれにとってもメリー・クリスマス!
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