一年ぶりの大阪で2011年05月01日 21時42分19秒

★良いことも悪いこともすべて受け入れて

 相変わらず旅に出ると毎度ながら次々とトラブルと新たな出会いが待っていた。もうあれこれありすぎて、泣きたいよりももはや笑うしかない。たくさんの死を乗り越えたので、もう怒りも嘆きもしなくなったから、これもまた仕方ないかなとすべて受け入れていこうと思った。だから人生は面白い。生きていてここに来られたからこんなことがおこるのだ。


 さて、ネットにつながったので、さっそく今年の春一番の画像も入れた報告ができるはずなのだが、主催者の某氏に写真を撮ったことを厳しくとがめられ先ほどまで楽屋で取り調べを受けてようやく解放された。まあ、全てこちらが悪いしこの世には著作権何たらというものもあるし、他にもカメラ構えている人や、ビデオを回している奴もいるのだが、今回は怒りの矛先がこちらに向いたのか一身に背負う羽目となった。長年つきあい敬愛している彼の気が済むならあまんじて受けいるしかない。そんなこんなで昨日と今日の分、音も画像もすべて消したので記憶をたどり文字だけで報告するしかなくなった。それは不可能なことではないし本来すべきことだが、歳とって文字を連ねる手間を省き楽しようとついカメラやハイテク機材に手を染めてしまったのだ。

 主催者方と危うく取っ組み合いのケンカになるところだったが、他のスタッフのおかげでそうならなかったのは良かったことだし結果としてこれもまた今後につながるきっかけとなるかもしれない。
 ただ、気になるのは、阿部ちゃんがいたならこんな時どうだったかとつい考えてしまうし、今までがルーズすぎたとは言わないが、何か今年は彼がいた去年までと比べると音楽や演奏の部分以外の会場の雰囲気全般の管理が厳しくなりぎすぎすしているような気もする。自分が感激したかつての何でもあり、他人に迷惑さえかけなければ何でも許された(ように思えた)自由が何より持ち味だった春一番もしだいに変わり規制が厳しくなっていくのかと残念な気もしている。

 本当は今頃自分は嬉々として、昨日の初日から出演者とその画像、そして簡単な報告記事を書き始めていたはずだし、アップもできたはずなのだ。それこそが自分の役割、音楽に対する自分ができる恩返しだと勝手ながらも思っていたのだが、否定されてしまったような気にややなってしまっている。

 楽屋に置いてあったCDの入っていた私物の袋もなくなってしまうし、ゴミとして捨てられたのかと暗い中外のゴミ捨て場をがさごそ探したがみつからなかった。それもあって何か今日は踏んだり蹴ったりという気になってしまった。まあ、生きていればそんな日もあるし、それが自分の今日の役どころ、巡り合わせなのだと思う。

 今年もまたこの場所に来られたこと、この地に立てたことだけだって本当は無理だったはずだし諦めていたのだからこれは幸運、幸せなことなのだ。

 すべては変わっていく。いつまでも同じことは続かない。変わることがいやならば、じっと息をころして暗い部屋の中で膝を抱えていることだ。
関わらなければ何も変わらないが同時にそれは生きにくくなってしまう。生きて生き続けていくためは変わること、変わっていくことをまず受け入れることだ。
 

 明日、2日は平日で、服部緑地の春一番コンサートはない。が、じっさいのところ、明日も野音は解放されていて、アマチュア?かどうか知らないが多くのミュージシャンが出るそうだ。誰でも入場無料で入れるとのこと。自分も知っていて用事がなければ行ったかと思うが、明日は京都で人と会う用件が既にある。
 もし、大阪近辺在住で、明日も休みでヒマな方はぜひ服部緑地へお出向きになったらとおススメします。

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