この世に住み処のない自分、どん底を思う。2011年05月13日 22時00分10秒

★今かなりのどん底にいる自分だが。

 このところお世話になり、今一番自分が信頼し高くかっているマーガレット・ズロースの平井君のうたではないが、「どん底」について思うことを少し。

 人は人から認められたり、評価されることで、その人なりの存在理由が高まり、よって頑張ろうとか、何かをする生きていく励みにもなるのであるが自分は良かれと思い無理してでもしたことが逆に顰蹙をかいトラブルの種となることもままある。それは失敗以上の不始末だ。
 自らのしたこと、生きていることが常に人から理解され評価されるはずもないのはわかっていても、それが完全否定され、お前は頭がおかしい、お前のやっていることはくだらない、何一つ信じられないとあからさまに否定されるといくら自信家ののんき者でも気持ちは凹む。

 この大型連休の大阪では、まさか大好きな大阪で、信頼してきた仲間と思っていた音楽関係者から容赦ない言葉を頂き、もう来るなと引導を渡されるとそのときはともかくもやはり気持ちは痛手を被った。バカだから基本は平気のへいざでヘラヘラしていても後日そのときのことを反芻し、思い返してみると当然愉快ではないし、不快感が高まってくる。今までのことを振り返れば今かなりのどん底に居る。まさに踏んだりけったりでついていない。今までそれだけ良い夢をずっと見ていたのだとも思う。

 この世に住み処とてなく、という唄もあるわけだが、自分のような人間に居場所はあるのか、受け入れてくれる社会はあるのかとあれからずっと考えている。まあ、いわきの地で、平井君を通してまた新たな若い人たちと出会い、大いに救われた思いがしたが、だからといって、今のどん底から簡単に抜け出られたと思わないし、ならば逆にこのどん底を大事に見つめなおしたいとも思う。

 そう、こんなのはちっともどん底ではない。もっともっと血を吐くような、死ぬしかないような地獄を見たし、これからだってもっと地獄に堕ちる覚悟もしている。俺は本当に極道なのだから。
 今は親たちもともかく元気で共に暮らせているし、金はなくともどこにでも行ける動けるからだがある。さらに少ないけれど、自分と関わりあってくれる友人たちもいるし、世間から否定されても守ってくれる大切な仲間がいる。そしてこんなブログを読んでくれる方々もおられる。考えや思うところは違うだろうが、他者に関心を持っていただけるという一点で心底有り難いと思う。感謝いたします。

「春一を敵にまわした男」という呼称は自分にとって名誉に思う。何故なら俺はスタッフ一堂誰一人敵だと思ってなかったし、今までもこれからも未来永劫敵だとおもってもいない。みんな仲間のはずだった。
 この度向こうが勝手に敵だと判断しただけのことで、こちらは変わっていないのにいつしか「敵」となったのならそれは向こうが変質しただけのことだ。左翼の世界では、いったん糾弾、弾劾された者は、いくら弁解抗弁しようともはやその組織には受け入れられない。そうした歴史は長い間幾たびも見てきた。弱まっていく組織を守るための方便、システムだとしてもそれは誤りでしかないし、ならばその組織に未来はありえない。未練も何もない。

 今はただ自分のどん底を、自分だけのどん底を深く味わい嘗め尽くそうと思っている。なにくそっ、俺はどれだけの人間なのかっ!!ということだ。俺のダメは他者から言われなくとも誰よりわかっていたことだ。

 俺のどん底、どん底、最低な気分を大切にしていきたい。そしてどん底を抱えてこれからもずっと生きていく。
 いや、すべてはここから、ここから始まる。また一からのスタート。きっと良くなる、もっと良くなると信じて。