久々の表参道に行ってきて ― 2011年07月16日 02時13分39秒
★バロンと世界一周楽団の小休止ライブ
今これを記すは、7月16日の午前2時過ぎ。
ふだんは起きていない時間だが、今さっき飯食って缶ビール呑んだところなので、寝るわけにもいかずパソコンに向かっている。
今日(15日)は、青山のエスニック料理の店で、バロンと世界一周楽団のワンマンライブがあり、CDを売りに行ってきた。凄く盛り上がり客もたくさん入って良いライブとなった。安心した。
始まったのも遅かったが、満席の観客に煽られてライブは伸び、終わったのが11時過ぎで何やらすぐに帰るわけにもいかず、11時半まで店にいて、慌てて地下鉄に一駅だけ乗って原宿駅から新宿に出て各駅の最終の青梅行きにかろうじて乗れた。
そして1時過ぎようやく住む町に着き、待たせていた犬たちを散歩させてからシャワーを浴びて親たちを起こさないよう静かに飯を温め食べて二階の自室に上がってきたというわけだ。
自分、増坊を直接知る人はご理解願えると思うが、自分は極度に人見知りというか対人恐怖症的な面もあって、基本は今も昔も歳を重ねようが引きこもりだと自認している。人と会い話すのだって苦手であり、結果なぜかトラブルが多発してしまうし無理して抗弁すると先の大阪のように面倒かつ大変な事態に陥ってしまう。
なので、基本は家にこもって自分のことだけ考えて自分のことだけをしていたいと願うのだが、生きていくことは対世間、対社会、対他人に他ならないから否応なく外に出て人と会わねばならない。
何であれはじめはかなり緊張もするし、そこに行くまでが重荷で不安で仕方ないのだが、回を重ね慣れやノリ、流れのようなものもできてくると人と会うことも外に出ることも辛くなくなるし逆にどこそこの復興大臣のように横柄にも偉そうにも悪乗りさえしてしまう。そして後になってしゃべりすぎたとか浮かれすぎたと気づきまた落ち込んで家にこもる。そうなるとまた誰とも会いたくない。
情けなく恥ずかしい話だが、自分はそれの繰り返しで、もしかしたら躁鬱の病なのかもしれない。しかしだからといってこの性分は変えようはない。
去年は今思うと自分にとって生涯最大の浮かれ年で、いくつものコンサートを手掛け、興業的には失敗もしたがコンサートとしてはどれも無事終わらせられて今にして思えば奇跡のように思える年だった。手に余る、身の程知らずの事を企画し一応どれも無事終わったのだからそれはとても良いことだった。
しかし、晩秋からは母の病気もあり、一転して家にこもることを否応にも余儀なくされてからはまた内向的内省的な自分に戻ってしまい、今年の春までずっと鬱々と後悔の日々が続いた。
先にも書いたが、ようやくこのところ母の容体も安定してきて、再びまた外に出ることも可能となってきたのだが、工事中だった家の完成に伴い、預けてあった荷物の引き取りと来た荷物の整理などに追われ、去年のように気軽にライブには行けなかった。いや、正しくは長く家に引きこもっていたために登校拒否の子が不登校になってしまうように、対人恐怖症が再発してなかなか外に出られなくなっていた。
しかし今回、バロンに誘われて都心、しかも原宿から表参道を歩いて会場の店まで行き、旧知の人たちと再会し、あれこれ話せてやはり行って良かったとつくづく思った。どんなことでも臆せずに一歩踏み出すことからなんだと気がつく。
人と会えば実現するかはともかくあれこれ新しい企画やアイディアが生まれるしすべてのことから刺激を受ける。家にこもっていれば気楽ではあるが刺激はなくただ怠惰に流されまた鬱々としてきてやがて気持ちは萎えてくる。
それにしても今日初めて元の同潤会アパートの跡、新しく建て替えられた表参道ヒルズ何たらいうビルの横を歩いて外側からようやく確認したが、失望以外なにものでもなかった。安藤忠雄という建築家、人も発想も高く評価することろはあるのだが、肝心の建物、まいどのコンクリート打ちっぱなしの今回の物件も予想以下のものだと門外漢の通りすがりの者でしかないが思った。
いかにも表参道、原宿にマッチした今風モダンであり、たしかに低層に抑え、以前の風景を壊さない工夫は買えるものの何か大事なものが抜けている。ないものねだりをあえて言えば、あの同潤会アパートが持っていた独自のセンス、雰囲気のかけらもない。建物というのは歳月と共に歳を重ねた分だけ朽ちて人と同じく味わいがでる。今の跡地に立った建物にはそれは望むべくもない。ヘンならヘンで、やがて岡本太郎的珍奇なチープさが味わいとなろう。だが表参道ヒルズはチープではない、妙に無駄なく隙なく、かといって機能的とも思えず、ありきたりな出来に収まっている。時間がたてばますます個性を失う。
と書くのも外側からしか見ていないからだという反論もあろう。聞くところに拠ると中にはもう一つの通り、おしゃれなブティック街があるらしい。しかし、自分は考えるに、誰もがそうしたショッピングを楽しみ、買わずとも店をひやかすために街を訪れるのではない。内部のそれはそれとして、まず街とは通りすがりの人にとって横目に見る風景に過ぎない。その風景が味わいあり素敵だから人は中の店にも入ってみようと思うものではないのか。
建物とはまず外観であり、風景となって街を構成していくものである。その一点においてもこの建物は失格である。はじっこにほんの一部だけ前の同潤会アパートを残したようにそっくり再現しているのも理解に苦しむ。極悪人が教会に通い献金し、神父に告解しまた悪事に励むという場面を映画で観たがふとそれを思い出した。
過去を懐かしみ昔は良かったというつもりはない。建て壊しもまた時代の流れだとするならば建築家はかつての建物が持っていたエッセンスやスピリッツをいかにどのように少しでも継承していくか問われよう。街の顔を勝手に変えるのは慎むべきだ。天才安藤忠雄のそれは内側、ショッピングの一面だけに向いたのが残念だ。
しかしこうした機会でもなければ自分は青山にも赤坂にも自らは絶対に出ない。今浦島的気分であるが、ともかくかつての同潤会がどう変貌を遂げたか確認できたことは良かった。実は大昔自分はこの通りの店で売り子のようなことをしていたこともあったのだから。
今これを記すは、7月16日の午前2時過ぎ。
ふだんは起きていない時間だが、今さっき飯食って缶ビール呑んだところなので、寝るわけにもいかずパソコンに向かっている。
今日(15日)は、青山のエスニック料理の店で、バロンと世界一周楽団のワンマンライブがあり、CDを売りに行ってきた。凄く盛り上がり客もたくさん入って良いライブとなった。安心した。
始まったのも遅かったが、満席の観客に煽られてライブは伸び、終わったのが11時過ぎで何やらすぐに帰るわけにもいかず、11時半まで店にいて、慌てて地下鉄に一駅だけ乗って原宿駅から新宿に出て各駅の最終の青梅行きにかろうじて乗れた。
そして1時過ぎようやく住む町に着き、待たせていた犬たちを散歩させてからシャワーを浴びて親たちを起こさないよう静かに飯を温め食べて二階の自室に上がってきたというわけだ。
自分、増坊を直接知る人はご理解願えると思うが、自分は極度に人見知りというか対人恐怖症的な面もあって、基本は今も昔も歳を重ねようが引きこもりだと自認している。人と会い話すのだって苦手であり、結果なぜかトラブルが多発してしまうし無理して抗弁すると先の大阪のように面倒かつ大変な事態に陥ってしまう。
なので、基本は家にこもって自分のことだけ考えて自分のことだけをしていたいと願うのだが、生きていくことは対世間、対社会、対他人に他ならないから否応なく外に出て人と会わねばならない。
何であれはじめはかなり緊張もするし、そこに行くまでが重荷で不安で仕方ないのだが、回を重ね慣れやノリ、流れのようなものもできてくると人と会うことも外に出ることも辛くなくなるし逆にどこそこの復興大臣のように横柄にも偉そうにも悪乗りさえしてしまう。そして後になってしゃべりすぎたとか浮かれすぎたと気づきまた落ち込んで家にこもる。そうなるとまた誰とも会いたくない。
情けなく恥ずかしい話だが、自分はそれの繰り返しで、もしかしたら躁鬱の病なのかもしれない。しかしだからといってこの性分は変えようはない。
去年は今思うと自分にとって生涯最大の浮かれ年で、いくつものコンサートを手掛け、興業的には失敗もしたがコンサートとしてはどれも無事終わらせられて今にして思えば奇跡のように思える年だった。手に余る、身の程知らずの事を企画し一応どれも無事終わったのだからそれはとても良いことだった。
しかし、晩秋からは母の病気もあり、一転して家にこもることを否応にも余儀なくされてからはまた内向的内省的な自分に戻ってしまい、今年の春までずっと鬱々と後悔の日々が続いた。
先にも書いたが、ようやくこのところ母の容体も安定してきて、再びまた外に出ることも可能となってきたのだが、工事中だった家の完成に伴い、預けてあった荷物の引き取りと来た荷物の整理などに追われ、去年のように気軽にライブには行けなかった。いや、正しくは長く家に引きこもっていたために登校拒否の子が不登校になってしまうように、対人恐怖症が再発してなかなか外に出られなくなっていた。
しかし今回、バロンに誘われて都心、しかも原宿から表参道を歩いて会場の店まで行き、旧知の人たちと再会し、あれこれ話せてやはり行って良かったとつくづく思った。どんなことでも臆せずに一歩踏み出すことからなんだと気がつく。
人と会えば実現するかはともかくあれこれ新しい企画やアイディアが生まれるしすべてのことから刺激を受ける。家にこもっていれば気楽ではあるが刺激はなくただ怠惰に流されまた鬱々としてきてやがて気持ちは萎えてくる。
それにしても今日初めて元の同潤会アパートの跡、新しく建て替えられた表参道ヒルズ何たらいうビルの横を歩いて外側からようやく確認したが、失望以外なにものでもなかった。安藤忠雄という建築家、人も発想も高く評価することろはあるのだが、肝心の建物、まいどのコンクリート打ちっぱなしの今回の物件も予想以下のものだと門外漢の通りすがりの者でしかないが思った。
いかにも表参道、原宿にマッチした今風モダンであり、たしかに低層に抑え、以前の風景を壊さない工夫は買えるものの何か大事なものが抜けている。ないものねだりをあえて言えば、あの同潤会アパートが持っていた独自のセンス、雰囲気のかけらもない。建物というのは歳月と共に歳を重ねた分だけ朽ちて人と同じく味わいがでる。今の跡地に立った建物にはそれは望むべくもない。ヘンならヘンで、やがて岡本太郎的珍奇なチープさが味わいとなろう。だが表参道ヒルズはチープではない、妙に無駄なく隙なく、かといって機能的とも思えず、ありきたりな出来に収まっている。時間がたてばますます個性を失う。
と書くのも外側からしか見ていないからだという反論もあろう。聞くところに拠ると中にはもう一つの通り、おしゃれなブティック街があるらしい。しかし、自分は考えるに、誰もがそうしたショッピングを楽しみ、買わずとも店をひやかすために街を訪れるのではない。内部のそれはそれとして、まず街とは通りすがりの人にとって横目に見る風景に過ぎない。その風景が味わいあり素敵だから人は中の店にも入ってみようと思うものではないのか。
建物とはまず外観であり、風景となって街を構成していくものである。その一点においてもこの建物は失格である。はじっこにほんの一部だけ前の同潤会アパートを残したようにそっくり再現しているのも理解に苦しむ。極悪人が教会に通い献金し、神父に告解しまた悪事に励むという場面を映画で観たがふとそれを思い出した。
過去を懐かしみ昔は良かったというつもりはない。建て壊しもまた時代の流れだとするならば建築家はかつての建物が持っていたエッセンスやスピリッツをいかにどのように少しでも継承していくか問われよう。街の顔を勝手に変えるのは慎むべきだ。天才安藤忠雄のそれは内側、ショッピングの一面だけに向いたのが残念だ。
しかしこうした機会でもなければ自分は青山にも赤坂にも自らは絶対に出ない。今浦島的気分であるが、ともかくかつての同潤会がどう変貌を遂げたか確認できたことは良かった。実は大昔自分はこの通りの店で売り子のようなことをしていたこともあったのだから。
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