大型台風が近づく晩に ― 2011年07月20日 22時38分02秒
★母のこと、妹のこと 生かされている我々。
ひんやりとした湿った風が吹く晩である。台風が近づいているはずだが、ややそれたのか雨も小降りで時たま風が吹きつけるぐらいで、静かな夜だ。何よりも久々に涼しくて本当に助かる。気温は20度少ししかないようで、裸生活に慣れた身には寒いぐらいだ。
一昨日から妹が帰省して来ている。妹は九州に嫁いで長く、今は大分の耶馬渓というところで老人施設のケースワーカーのようなことをしている。その息子も進学で先にウチに下宿していたが、もう卒業、独立して現在は都内に一人暮らしをしている。
妹は、このところ母の病以来、わりと頻繁に東京に来てくれて、今年は今度でもう4回目となる。今日は久々に父と母、妹と家族四人勢ぞろいして車で近くの中華料理店に昼食に出かけた。
台風は来ていたが、幸いそれほどの暴風も豪雨にもあわず、ホームセンターで帰りに買い物してこともなく戻ってこれた。
考えてみれば昔、自分たちが子供の頃は父の運転でこうして一家そろって全国各地を長休みごとによく旅行したものだった。妹が結婚して遠くに暮らすようになり、ましてそこで子育てに追われ、なかなか東京にも来れなくなってから家族全員で出かけたことは久しい。
思えば親たちも八十代、そして我々子供も五十代となって再び家族四人全員揃いこうして出かけられたことに深い感慨を覚える。これは実際有りうべからざることであった。一時の母の容体を思い返せば妹が今来ているのは四十九日の集いであってもおかしくなかった。今こうして家族が昔のまま揃い集まれたことはまさに僥倖、奇跡のような有難さを覚える。
この歳でこの病気で、人はいつ死んでもまったくおかしくないわけだが、なぜか生き長らえ親たちも自分ら子供たちも全員無事で揃って出かけることができた。それは幸運不運とか、良い悪いとか何かの理由や原因があるのではなく、ただともかく何故か幸いにして今もまだ生きているということに過ぎないとしか思えない。母だけではなく父もこの我が身もさえも。
人は次々去っていく。若くして亡くなる人も多々ある。それは何がいけなかったとか誰が悪いとか原因などは実はなくそうした定めであったとしか最近は思えなくなった。人の死は常に哀しいし残念で悔やみきれないものであるのは変わらないが。
以前は自分は自ら生きていると思い込んでいた。しかしいつのころから人は生きているのではなく生かされているのだとわかってきた。それは誰に生かされているかはともかくも、自らが一人で生きていると信ずるのは僭越であり自惚れたことだと思うようになってきた。
そう、生きているのではない。生かされてここに在るのである。
これまでさんざんいろんなことがあったが、幸いにして有難くも我が家族は家族全員揃って生かされて今2011年の夏を迎えることができた。感謝しなければならない。と同時に、ならばこそその役割を全うしなければならないと帰り道、ハンドルを握りながら奮い立つものがあった。
このままでは生かされている者として申し訳ない。
ひんやりとした湿った風が吹く晩である。台風が近づいているはずだが、ややそれたのか雨も小降りで時たま風が吹きつけるぐらいで、静かな夜だ。何よりも久々に涼しくて本当に助かる。気温は20度少ししかないようで、裸生活に慣れた身には寒いぐらいだ。
一昨日から妹が帰省して来ている。妹は九州に嫁いで長く、今は大分の耶馬渓というところで老人施設のケースワーカーのようなことをしている。その息子も進学で先にウチに下宿していたが、もう卒業、独立して現在は都内に一人暮らしをしている。
妹は、このところ母の病以来、わりと頻繁に東京に来てくれて、今年は今度でもう4回目となる。今日は久々に父と母、妹と家族四人勢ぞろいして車で近くの中華料理店に昼食に出かけた。
台風は来ていたが、幸いそれほどの暴風も豪雨にもあわず、ホームセンターで帰りに買い物してこともなく戻ってこれた。
考えてみれば昔、自分たちが子供の頃は父の運転でこうして一家そろって全国各地を長休みごとによく旅行したものだった。妹が結婚して遠くに暮らすようになり、ましてそこで子育てに追われ、なかなか東京にも来れなくなってから家族全員で出かけたことは久しい。
思えば親たちも八十代、そして我々子供も五十代となって再び家族四人全員揃いこうして出かけられたことに深い感慨を覚える。これは実際有りうべからざることであった。一時の母の容体を思い返せば妹が今来ているのは四十九日の集いであってもおかしくなかった。今こうして家族が昔のまま揃い集まれたことはまさに僥倖、奇跡のような有難さを覚える。
この歳でこの病気で、人はいつ死んでもまったくおかしくないわけだが、なぜか生き長らえ親たちも自分ら子供たちも全員無事で揃って出かけることができた。それは幸運不運とか、良い悪いとか何かの理由や原因があるのではなく、ただともかく何故か幸いにして今もまだ生きているということに過ぎないとしか思えない。母だけではなく父もこの我が身もさえも。
人は次々去っていく。若くして亡くなる人も多々ある。それは何がいけなかったとか誰が悪いとか原因などは実はなくそうした定めであったとしか最近は思えなくなった。人の死は常に哀しいし残念で悔やみきれないものであるのは変わらないが。
以前は自分は自ら生きていると思い込んでいた。しかしいつのころから人は生きているのではなく生かされているのだとわかってきた。それは誰に生かされているかはともかくも、自らが一人で生きていると信ずるのは僭越であり自惚れたことだと思うようになってきた。
そう、生きているのではない。生かされてここに在るのである。
これまでさんざんいろんなことがあったが、幸いにして有難くも我が家族は家族全員揃って生かされて今2011年の夏を迎えることができた。感謝しなければならない。と同時に、ならばこそその役割を全うしなければならないと帰り道、ハンドルを握りながら奮い立つものがあった。
このままでは生かされている者として申し訳ない。
最近のコメント