生かされてここまで生きてきて ― 2011年07月26日 22時15分16秒
★自分を見つめなおして気づいたことを記す
宗教としてのキリスト教を築いたのは、実はナザレのイエスと呼ばれた男ではなく、直接の弟子でもなかった迫害者サウロこと、パウロであると、佐藤優氏も指摘しているが、聖書にあるその「サウロの回心」ではないが、自分にも天啓のようなものがようやくだが下った。そのことを記しておきたい。
拙ブログを読んでくださる方で書き手である増坊自体をご存知の方はどれだけいるのかと思うが、友人知人に伝えたり知ってほしいという以前に、まず自らのためにも今の気持ちをあるがまま書き残しておきたい。
このところずっと家にこもって、家事、つまり親たちに飯作ったり洗濯したり病院通いなどする以外は、専ら二階で本の山に向きあい、未整理の本、雑誌の整理分別、そして検索と処分に励んでいる。そのほか、合間みては溜まりに溜まった近年の「書類」の整理もやっている。
そうして過去の自分と向き合って今改めて思うのは、つくづく自分は当たり前のことができない人間だったという事実である。
当たり前のこととは、要するにきちんとするということであり、日ごと使った金の記録や届いた手紙類の管理、出かけ先でもらったチラシの分別、録音したテープ類の管理、その他、届いたメールの応答、約束したことの履行など全部である。その日どこで何をしたということすら近年は滞ってきていたし、特に昨年はすべてにおいてほったらかしとなってしまっていた。
その理由としてともかく春先からあれこれいくつも抱えて忙しかったこととか、秋からは母の体調が悪化して介護に追われたということも事実としてある。しかし、だからといって忙しさを理由に全てないがしろにして良いはずはないし、どんな人間だってそれなりに大変なのだからその合間をぬって記録につけたり人生を管理するちょっとした手間をかけることはできたはずだし、すべきであった。自分でもそれで良いと思ったわけではなく、きちんとつけておかねばと思いつつ、忙しさにかまけて後回しにして寝たり酔っぱらったりしてやがて忘れてしまったのだ。それがそのときどきのまま溜まりに溜まったのだ。
今、ある程度時間ができるようになって、自らと向き合い、そうした過去の残骸というか、ガレキの山を前にして、そのだらしなさに自分でも心底呆れ果て、ただうんざりしてしまう。告白するとそれは昨年だけのことではない。これまでも若いときからずっと自分はきちんとすることが基本的にできなかったのだから。今風にいえば多動性障害だったのかと思ったほどだ。
自分が結婚しなかったのは自由意志だと思っていたのが、なるほどそんな人間だから相手はたじろぎ呆れてしまいだから結婚できなかったのではないかと思い至った。そう、すべてのことには理由があるのだ。
しかしそんな人間でも50年も何とか無事に生きてきた。そして今も生きている。あちこちで常にトラブルを巻き起こし、人に眉をしかめられながらヘラヘラと性懲りもなく生きている。
考えてみれば過去に何度も後から振り返ってよく無事だったと思える危機に遭遇しているし、喧嘩や大酒も含めて命の危険は何回となくあった。自分はキレやすいしバカだから常に騒ぎをしでかすトラブルメーカーであり警察の世話にも何度もなっている。
それでもオレはまだ生きていて、自分よりはるかにまっとうで社会や人様の役に立つ立派な愛される若き友人たちが近年亡くなることが続く。これはどうしたことかとずっと自問してきた。
昨年秋からの習慣でこのところ寝る前には必ず聖書を開き、旧約から少しづつ読み進めて、途中はしょったところもあるが、今ヨハネの黙示録のところまで来た。一人で理解しがたいところは三浦綾子さんら文人クリスチャンの随筆を参考にした。
その中でも何度も読み常に心を揺さぶられたのはルカが描く「使徒行伝」中のサウロの回心の場面であり、キリストの信者を勇んで迫害しに向かう旅の途中で彼に起こったことはまさに奇跡であり事実だと確信した。ここでは説明は省くが、ぜひお読みいただきたい。
サウロはその天啓を受け、回心して、迫害する側からキリスト教を布教する側に180度転向し、大使徒パウロとして残りの生涯をキリストに捧げ各地を回り人々に教えを説き最後はローマで殉教するのである。
自分はそんな神の声を聞いたわけではないが、ようやく先だって気がついた、いや理解したことがある。それは、実は生きているのではなく生かされていたということだ。
神なのか守護霊なのかわからないが、なにか見えないものが存在していたから自分は無事に何度も危機を乗り越え生きてこれたのだ。まちろん、多くの友人やこのブログの読者たちの励ましや存在も大きいし親や肉親にも当然感謝しないとならない。でもそれをひっくるめてすべて、もっと大きい存在があり、その方の計らいで何とか自分は今生きているのだと思い至った。自分はいつもついていた。
そのうえでこんな自分が生きているということは何かきっとその役割があり意味があるのだと信ずる。自分は本当にこれまでずっと愚かであり目が曇っていた。だのに神は見捨てずに常に見守り助けてくれたのだ。
サウロも天の雷に打たれ三日間目が見えなかったが、キリストの遣わした使徒により目からウロコが落ち再び見えるようになった。今自分もようやくだが今まで気づかなかったことが見えるようになった。有難いことだ。
まずは人生をきちんとさせて自分のなすべきことその役割をやっていこう。それが何なのかはまだ確信はないがおぼろげながらも見えてはいる。人のために生きるはもちろんのこと、音楽(感情)と本(知識)を通して社会に還元していくことだ。これからも迷うこともあろうが、もう何も怖くはない。一人で生きているのではない、生かされているのだから。
拙ブログはそのお知らせの場としたい。
宗教としてのキリスト教を築いたのは、実はナザレのイエスと呼ばれた男ではなく、直接の弟子でもなかった迫害者サウロこと、パウロであると、佐藤優氏も指摘しているが、聖書にあるその「サウロの回心」ではないが、自分にも天啓のようなものがようやくだが下った。そのことを記しておきたい。
拙ブログを読んでくださる方で書き手である増坊自体をご存知の方はどれだけいるのかと思うが、友人知人に伝えたり知ってほしいという以前に、まず自らのためにも今の気持ちをあるがまま書き残しておきたい。
このところずっと家にこもって、家事、つまり親たちに飯作ったり洗濯したり病院通いなどする以外は、専ら二階で本の山に向きあい、未整理の本、雑誌の整理分別、そして検索と処分に励んでいる。そのほか、合間みては溜まりに溜まった近年の「書類」の整理もやっている。
そうして過去の自分と向き合って今改めて思うのは、つくづく自分は当たり前のことができない人間だったという事実である。
当たり前のこととは、要するにきちんとするということであり、日ごと使った金の記録や届いた手紙類の管理、出かけ先でもらったチラシの分別、録音したテープ類の管理、その他、届いたメールの応答、約束したことの履行など全部である。その日どこで何をしたということすら近年は滞ってきていたし、特に昨年はすべてにおいてほったらかしとなってしまっていた。
その理由としてともかく春先からあれこれいくつも抱えて忙しかったこととか、秋からは母の体調が悪化して介護に追われたということも事実としてある。しかし、だからといって忙しさを理由に全てないがしろにして良いはずはないし、どんな人間だってそれなりに大変なのだからその合間をぬって記録につけたり人生を管理するちょっとした手間をかけることはできたはずだし、すべきであった。自分でもそれで良いと思ったわけではなく、きちんとつけておかねばと思いつつ、忙しさにかまけて後回しにして寝たり酔っぱらったりしてやがて忘れてしまったのだ。それがそのときどきのまま溜まりに溜まったのだ。
今、ある程度時間ができるようになって、自らと向き合い、そうした過去の残骸というか、ガレキの山を前にして、そのだらしなさに自分でも心底呆れ果て、ただうんざりしてしまう。告白するとそれは昨年だけのことではない。これまでも若いときからずっと自分はきちんとすることが基本的にできなかったのだから。今風にいえば多動性障害だったのかと思ったほどだ。
自分が結婚しなかったのは自由意志だと思っていたのが、なるほどそんな人間だから相手はたじろぎ呆れてしまいだから結婚できなかったのではないかと思い至った。そう、すべてのことには理由があるのだ。
しかしそんな人間でも50年も何とか無事に生きてきた。そして今も生きている。あちこちで常にトラブルを巻き起こし、人に眉をしかめられながらヘラヘラと性懲りもなく生きている。
考えてみれば過去に何度も後から振り返ってよく無事だったと思える危機に遭遇しているし、喧嘩や大酒も含めて命の危険は何回となくあった。自分はキレやすいしバカだから常に騒ぎをしでかすトラブルメーカーであり警察の世話にも何度もなっている。
それでもオレはまだ生きていて、自分よりはるかにまっとうで社会や人様の役に立つ立派な愛される若き友人たちが近年亡くなることが続く。これはどうしたことかとずっと自問してきた。
昨年秋からの習慣でこのところ寝る前には必ず聖書を開き、旧約から少しづつ読み進めて、途中はしょったところもあるが、今ヨハネの黙示録のところまで来た。一人で理解しがたいところは三浦綾子さんら文人クリスチャンの随筆を参考にした。
その中でも何度も読み常に心を揺さぶられたのはルカが描く「使徒行伝」中のサウロの回心の場面であり、キリストの信者を勇んで迫害しに向かう旅の途中で彼に起こったことはまさに奇跡であり事実だと確信した。ここでは説明は省くが、ぜひお読みいただきたい。
サウロはその天啓を受け、回心して、迫害する側からキリスト教を布教する側に180度転向し、大使徒パウロとして残りの生涯をキリストに捧げ各地を回り人々に教えを説き最後はローマで殉教するのである。
自分はそんな神の声を聞いたわけではないが、ようやく先だって気がついた、いや理解したことがある。それは、実は生きているのではなく生かされていたということだ。
神なのか守護霊なのかわからないが、なにか見えないものが存在していたから自分は無事に何度も危機を乗り越え生きてこれたのだ。まちろん、多くの友人やこのブログの読者たちの励ましや存在も大きいし親や肉親にも当然感謝しないとならない。でもそれをひっくるめてすべて、もっと大きい存在があり、その方の計らいで何とか自分は今生きているのだと思い至った。自分はいつもついていた。
そのうえでこんな自分が生きているということは何かきっとその役割があり意味があるのだと信ずる。自分は本当にこれまでずっと愚かであり目が曇っていた。だのに神は見捨てずに常に見守り助けてくれたのだ。
サウロも天の雷に打たれ三日間目が見えなかったが、キリストの遣わした使徒により目からウロコが落ち再び見えるようになった。今自分もようやくだが今まで気づかなかったことが見えるようになった。有難いことだ。
まずは人生をきちんとさせて自分のなすべきことその役割をやっていこう。それが何なのかはまだ確信はないがおぼろげながらも見えてはいる。人のために生きるはもちろんのこと、音楽(感情)と本(知識)を通して社会に還元していくことだ。これからも迷うこともあろうが、もう何も怖くはない。一人で生きているのではない、生かされているのだから。
拙ブログはそのお知らせの場としたい。
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