老いてますます烈なり・中2013年06月28日 10時18分01秒

★肉体の老いと頭と心

 古人曰く、人の性は老いてますます烈なりと。
 ここで言う性とは、sexのことではなく、性格、性質などその人の持っている元々の気質のことを指している。年老いるとその人の気質は激しさを増すのだという。

 よく、世間には、若いときはケンカ早く、暴れん坊だった人なのに歳とってすっかり丸くなりおとなしい好々爺になったと言われる人もいる。しかし、その人の性が歳老いて改まったのではなく、実際はそういう人は元々が温和な人だったのである。それが若いときは激情にかられてそうした傾向が出ていたに過ぎない。

 自分が見るかぎり、人は歳とるとその人の特異な傾向、それも良い部分ではなく、ダメな悪いところは歳月と共に肥大、顕著になっていくように思われる。それは親たちも含めて何人も老人と付き合った結論である。

 怒りっぽい人は歳とるとより怒りやすく、だらしない人はさらにだらしなくなる。自分勝手な人はより自分勝手に、世知のない反社会的傾向のある人はさらに奇矯なトンチンカンな行動をとる。何故なのだろうか。
 要するに若いときは仕事などで社会の中に嫌でも身を置かねばならずそうした悪い傾向が外に出ることを自らが自制している。それをしないと仕事や学校、家庭、隣近所などの付き合いに問題が生ずる。しかし、歳とってそうしたしがらみ、社会の枠から解放されてしまうと、もう束縛するものは何もなくなる。老人に対しては年上ということもあり社会は面と向かって文句は言えない。ゆえにその特権もあって、逆に世間に向かってガミガミ文句言ったり、怒鳴りつけても年寄りだからと許されてしまう。そうした世間的ストッパーがなくなって老人は皆自分勝手にわがまま勝手になっていく。
 ゆえにその人の性、素の部分が表に出てくるというわけだ。むろんそこにはボケも大きく関係していることは言うまでもない。

 ウチの親父の場合、若い時から小心者ゆえ不安神経症的傾向があったのだが、歳とってその傾向に磨きがかかり、何事においても「大変だ! 問題だ!心配だ!」と大騒ぎし騒ぎ立てる。マス坊は若いときは家を出ていたこともあるし、そもそも親父も働いていたから父と子は疎遠であった。それが彼も退職し、自分もまた親元で暮らすようになってみてようやくこの人の性格にはっきりふれた。そして驚きうんざりした。

 自分で言うのも何だが、マス坊の父だけにその異常さは自分の比ではない。つまりこの男の性格が母によって半分に薄められてこの自分がいるのだと気がつく。
 自分勝手であり、社会常識を欠き、小心のくせに厚顔無恥なところも多々あり外面だけは良い。もともと反社会的傾向を強く持ち、他人と付き合うことは全く望まない。自分の関心あることには強く執着しそれ以外のことには逆に全く無関心である。
 彼にとっては政治も憲法も原発の問題も「関係ない、どうでもいい、ばかばかしい」の一言で吐き捨てる。関心のあること、自分の狭い興味の範囲内のことだけにすごく拘泥する。ニヒリストだと言えなくもないが、一言でいえば幼児的性格に尽きよう。オタク的こだわりはないから存外何事にも飽きっぽい。騒ぎ立てていたくせにすぐに関心を失い忘れてしまう。だからもういちいち相手にしないことにした。

 先だってのトラブルは、彼にとって最大の関心事、愛猫の一匹が何日か家に帰らずそのことが心配で数日夜もろくに眠れないでいた。だから夜中でもライトを持って隣近所を探し回る。猫が出入りしてそうな家もあり、そこの家の敷地内に勝手に入り込んでしまう。文句も出ている。
 ところが彼にとっての関心はマイ猫のことだけだから、その世間の声には全く耳を貸さない。猫さがしを止められると「何でいけないんだ!!」と怒り外に出ようとして引き止めると暴れだす。理屈で諌めてもまるで駄々っ子のように耳を貸さない。
 母も若い時から変わった人だと思ってたけれど・・・とお手上げである。つまり一度頭に血が上り、ある一つのことに囚われると他のことは何一つ考えられなくなってしまうのだ。ある意味狂人だとも言えよう。元々そうした気質、傾向は強かったが歳と共に全開となったということだ。

 と、書いたが、これは元気なとき「発作」が起きたときであり、日常的なことではない。普段の父は、朝起きた時などはぼーとして自らは一言も口を利かないし、ほとんど反応を返さない。ひたすら眠い眠いと朝から大あくびである。何か軽作業をさせようとするとすぐに疲れた、メマイがすると言ってすぐさまベッドにもぐってしまう。

 そしてそういうときの顔がある。それはボケ老人特有の表情で、目に輝きのない無表情の顔は、一目でそれと判別できる。このところ話題の某元都知事もその顔をしているときが多々ある。つまり彼もまた完全な認知症だとその表情は示しているのだ。