2013新潟でのフーテナニーに参加して思ったこと・12013年06月11日 04時26分31秒

ブラ彦と太田さん、会場近くの湧水で
★マス坊の「新潟フーテナニー報告記」・2013

 2013年6月8日、新潟県阿賀野市畑江にある「ペンションぽっぽ五頭(ごず)」を会場として「フーテナニーin新潟」と題したフォークソングのイベントが開催された。

 自分=拙ブログ書き手であるマス坊は、東京西多摩から自らの車で二人の男性フォークシンガーを乗せこのコンサートを見聞してきた。1人は新潟出身で現在は東京在住の藤しんいちろう氏、もう一方は漂泊のベテランシンガー太田三造氏である。今回の催しはその藤さんから知らされ太田さんを誘っての参加となった。その報告記というか感想のようなものをここに記しておきたい。

 新潟には公的には「新潟フォーク村」と名付けられた音楽団体は存在しないそうなのだが、もう何十年も活発なライブ企画と演奏活動を続けている実力派アマチュアフォークシンガーたちがたくさんいる。
 その一団を束ねているヘッドというか、代表は「たっつあん」と愛称される自らも素晴らしいオリジナル楽曲を多数擁するシンガーである。彼は古く1960年代後半、京都で起こった熱いフォークムーブメントを向こうの大学に通っていて実体験した世代であり、新潟に帰郷後、この地でフォークソングの活動を開始した。なので先に詩朗読コンサートで荷姿を訪れた京都がほこる世界的詩人・有馬敲氏曰く「新潟には今も関西フォークの精神がしっかりと根付いている」のである。

 マス坊は近年、2011年からひょんなきっかけで彼ら新潟のシンガーたちと親交を持つ機会を得、毎年最低でも年に一度はその地を訪れるようになった。今回で4回目になるのかと思う。
 ただこれまではライブの会場は、たっつあんのお住まいのある新潟市西蒲区巻町周辺であり、今回のフーテナニー、(以下フートと略す)も毎度のことその辺りでの開催だと思い込んでいた。藤さんから誘われて、気軽に応じたのも行きなれた地だと思ったからに他ならない。巻町は地図でいえば新潟市の下であり、関越道で行くと東京からも意外と近かった。

 今回の会場となった阿賀野市五頭とは、あの白鳥で有名な瓢湖の近くであり、新潟からまた別の高速、に入って行かねばならない。その道の先は今話題の大河ドラマで有名な会津である。これは巻町よりずっと先でかなり遠い。そのことは当日車を発車させてから気がついた。毎度のことながらコトにあたって何のリサーチもしないオレは迂闊であったが仕方あるまい。

 遠く千葉から来る太田さんには前日夜からウチに泊まってもらい、藤さんの到着を待って午前7時半過ぎ出発した。まずは五日市方面へ走り、圏央道には日の出の口から入って鶴ヶ島へ出、そこから関越道に入っていく。自分の車でも新潟に向かうのはこれで3回目となるから慣れたものである。
 土曜日の午前とあってやや車の数は多かったが大きな渋滞はなく途中一回だけ谷川岳PAで休憩しただけで、いつも降りるIC巻潟東を過ぎ、新潟中央ジャンクションから磐越道へ。そして安田というICで降りて山道をひた走り五頭温泉郷を過ぎ会場近く、フートの看板も出ているところの喫茶兼食堂で昼食をまずとった。午後12時半。休憩入れて約5時間で現地に着いたのだから極めて順調である。思ったより遠くはなかった。満タンに入れて出たガソリンもほぼ尽きて安田を降りてから一度さびれたスタンドで給油した。

 店であまりうまくもなんともないラーメンを皆で食べて(それにしてもどうしてこうした田舎の店はたかがラーメン作るのに何十分も待たせるのだろうか!)、山腹のペンション、会場である「ぽっぽ五頭」には1時半に到着した。ここまでで370キロ、よく走った。よく運転したぞマス坊。

 森の中にあった会場となるペンションは今年の3月から通常の営業を休止していて、今回はこのフートの催しが貸切であった。別棟でコテージもいくつか並んであるので、男性女性、参加グルーブごとに個室に分かれての宿泊であった。
 いよいよ開演の2時である。※ここまで書いたら同じ姿勢で腰が痛くなってきたのでいったんアップさせてまた続きを休憩後書いていく。

新潟でのフーテナニーに参加して思ったこと・22013年06月11日 07時38分37秒

出演者プログラムだが、もちろんこれ以外にも飛び入り的に登場した人もいた。
★フーテナニーとは一体何か

 さて、フートことフーテナニー(hootenanny)とは一体何か。今どきの人たちには耳慣れない言葉であろう。実はマス坊もそのイメージがすぐにピンとわいてこなかった。

 そもそもこれはアメリカでのモダンフォークのブームから生まれたコンサートの形式で、歌い手、出演者と観客=参加者が分け隔てなく一体となった催しを指すのだと辞書などには説明されている。日本でも60年代は良く企画されたと記憶するが、残念ながらマス坊は遅れて来た世代なので、その当時のフートには参加していない。

 結局のところ、日本のフォークソングの黎明期は、まだプロとアマとの差はほとんどなかったから、あったとしてもそれは当時唯一のレコード会社URCからレコードを出しているかの違いでしかなく、歌い手と観客が未分化、混然一体化していたからそうしたコンサートが成り立っていたのだと想像する。

 しかし、いつしかプロのシンガーに人気者が出てきて、コンサートも営業を目的としてチケット代をとるようになっていくとシンガーと聴き手は、観客と出演者とに分離されそうしたフートは消えていく。
 かつてそうしたフートに自らも参加し企画してきたたっつあんは、今回京都時代も含めてかつて関わりがあった音楽仲間たちに全国的に呼びかけ、ここ新潟阿賀野市五頭で、今回久々の「フーテナニーin新潟」開催の運びとなったのである。

 そのたっつあんは今回呼びかけとしてこうしたメールを先に仲間たちに送っている。それをもう一度掲載しておく。

たっつぁんです。

フーテナニー in にいがたを開きます。

呼びかけです。

暮らしの中で歌を作る仲間が全国にいます。
みんな一緒に集まって、歌い合おうと企画しました。
フーテナニーは歌い合う場です。
フーテナニー、伝えあう歌があります
全国からの歌い手たちが集まります。
もちろん、新潟の歌い手たちも歌うよ

歌い合い、聴いて、いっぱい話して、歌の力を感じ合えるフーテナニーを考えています。

時 2013年 6月8日(土) 9日(日)
  第一部 全国から歌い手たちがやってきたフーテナニー  
      13時開場 14時開演 17時終演予定
  第二部 山小屋に会場を移し、フーテナニー 19時開演 22時終了予定
      新潟のメンバーも歌います。
  第三部 話したい事いっぱい交流会 22時から、夜更けまで

参加費 泊まり、夕食、朝食付 5,000円

6月9日(日)は、新潟温泉巡りツアーを予定しています。
     午後12時すぎ、解散


 このメールが新潟出身で昨今親しくして頂いている藤しんいちろう氏から転送されてきた。むろん当然のこと彼もこのフートに参加出演する。で、マス坊はどうするか。彼から誘われていると思うのだがこのフートに参加すべきか。

 正直なところ今だから明かすが、あんまし乗り気ではなかった。それはプロの出ないアマチュアだけのコンサートだからではなく、自分がこれに関わらねばならない、参加せねばならない必然性というか関係性がよく見えなかったからだ。

 御大たっつあんをはじめ新潟のシンガーたちとはこのところ数を重ねてその地を訪れているのでずいぶん親しくなり行けば歓待してくれるのもわかっている。自分としても彼らと再会したい。が、他の参加者、唄い手とはまったく面識も知識もなくこのフートなるものに東京から時間かけて金かけて一泊二日で参加せねばならないモチベーションがなかなかわいてこなかった。むろんのこと、先の天才アコーディオン奏者・熊坂るつこさんのコンサートや有馬敲氏の詩朗読コンサートのように自分の役割がそこにあるなら喜んで行くし行かねばならないのは当然だ。が、今回はそこに自分が行く必然性が見えなかったのである。

 告白すると数年前の自分ならば、どんなイベントであろうとフォークと名付けば全国どこへでも気軽に出かけた。しかし春一の件とかいろいろあって今はその熱も冷めてきたこととウチには今「要介護」の人間や犬も抱えているのでなかなか気軽に家は空けられない。
 また、フートの形式上、唄わない純粋に一観客として参加は意味があるのかとの迷いもあった。人見知りする自分が彼らの輪に入れるのか。だからあまり乗り気ではなかったから拙ブログでもイベントの告知はしたが積極的に宣伝はしなかった。

 しかし幸いなことに旧知のシンガー、いつもあれこれお世話になってばかりいる太田三造さんが参加してくれると言ってくれたので、自分も行く理由ができた。けっきょく、その藤さんと太田さん、そしてマス坊の男三人で、いや、退屈していた黒犬ブラ彦も乗せて人3+犬1での参加となったのである。もっと誰か誘おうと考えたが、そもそもこうした催しに強い関心のない人には馬の耳に念仏でしかない。

 で、参加した感想はどうであったか?
 一言でいってしまえば、予想した通り部外者にとって初めてお会いし見聞きする方々ばかりだったので当初は戸惑いや違和感も強くあった。が、最後は大いに楽しめた。適切な喩えではないが、これは学校は同じだったがクラスや学年の違う「同窓会」に参加しているのだと思った。クラスが違うのだからなじめないのも仕方ない。が、全く違う学校ではない。共通する先生もいるではないか。
 そう気がついたら演奏聴くのにも身が入るようになり特に夕食休憩後は深く楽しめるようになった。今の気分としては行けて参加できたことに満足しているし良かったと思う。何よりも収穫は、うたとは何か、唄うこととはどういうことなのかあれこれ深く考えさせられ自分なりの答えが見えてきたからだ。

 と、ここまで記してまた腰が痛くなってきた。んで、まずここまで一回アップさせて後ほど最後のまとめを書く。
 もう少しお付き合い願いたい。

新潟でのフーテナニーに参加して思ったこと・32013年06月11日 12時05分33秒

翌日の朝、解散式での全員での記念写真。先に帰られた人もいるので実際はもっと数が多い。
★フーテナニーに参加して見えてきたこと

 さて、そのたっつあんが呼びかけて、これまで関わりがあった歌い手たちが全国からこの新潟でのフーテナニーに集まった。その数およそ60人近く。これはすごいことだと思う。そしてフートの性質上、参加者のほとんどが演奏者、歌い手であってまた観客でもあった。

 ペンションの大食堂をテーブルなどを取っ払い椅子を並べて会場にして午後2時から一部開始として唄が歌われ始め、途中夕刻、約1時間の食事や入浴休憩はあったが、また7時からアルコール解禁で二部が始まり零時近く一応終了となった。実に8時間を超すロングコンサートとなった。しかしその後もえんえん唄と演奏は続いていたそうで、マス坊は疲れ果てて風呂で汗流して午前一時には布団の中に入ったのでわからないのだが、皆さん還暦を越していると思われるのに呆れ果てるほどすごい体力、情熱である。

 この日、あまりに出演者が多いので、事前に持ち時間は細かく割り当てられていた。新潟の人も他の地域からの参加者もほぼ一律一人当たり15分の持ち時間しかなく、休憩時間もなく、次々と皆さんその枠の中で語りうたっていく。
 一部と二部に重複して出たシンガーもいたが、それは人気や知名度の有無ではなく、到着された時間の都合のようだ。盛り沢山の人たちが次々と登場したが皆実に几帳面に持ち時間を守ったことにも感心した。プロならこんなふうに予定枠内に収まらない。絶対だらだらと少しでも自分のステージを長引かそうとするし他者のことなどお構いなしだなのだ。その意味でもこのフートの参加者は実に紳士であり、暴れたり酔っても絡む人は1人もなく良い人脈を築いてきたのだなあと深く得心した。

 ただ、いくつか気になったこともなくはない。自分は1970年代初頭にフォークソングと出会い、以降、全国あちこちでライブを観、うたを聴いてきたきたわけなのだが、プロとアマチュアの差って何なのかとよく考える。一口に「プロ」と言ったって、なぎらや南こうせつクラスの世間的に誰でも知っているタレント的有名人もいれば、自分が敬愛する、お願いすれば拙宅にも来てもらえて唄ってくれるプロもまたいる。
 また、プロはうまい、アマは下手というわけではないことは例えば新潟のシンガーたちを見ればわかるように、凡百のプロミュージシャンより歌も演奏もはるかに巧い魅力的なアマチュアはおそらく全国にもたくさんいるはずだ。逆にプロだって下手くそな人も実に多いのである。
 自分はプロとアマとの間に、格差=プロのほうがエライ、上とのヒエラルキーを認める者ではないが、やはりそこに「差」というか違いは厳然と存在すると感じる。それは聴き手、つまり観客を前にしての意識の差である。

 何だかんだ言ってもプロとは客商売であって、ギャラの多寡、チケットの値段とはいっさい関係なく、例えフリーコンサートであろうと常に一定の水準のステージを築き提供しないとならない。そうした意識は誰だって持っている。それが商売柄、「プロ」ということであって、どんな職種でもそこに違いはない。
 それは聴き手を満足させるということだけではない。技術以前に聴かせる、聴いてもらうのだという意識がしっかりあるかだと思う。この新潟のフートではアマチュアであろうともそのことをきちんと理解徹底している歌い手とそうでない人たちとの差が如実に浮き彫りにされた。今回、うまい下手以前に、フォークサークルの発表会程度の意識しか持たずに活動を続けている人たちと新潟のシンガーのようにプロを凌駕するほどの高い意識で常に観客としっかり対峙して唄っている人との差は観ていて痛々しいほどであった。

 うたにはまず何を(どんな曲を)どう唄うのかという目的意識と技量的な問題がある。だがそんなことよりもまず自分は、うたとは、うたう姿勢、その心構えを問題としたい。これはプロ、アマ問わずお金がとれるとれないに関係なく他者=観客に聴いてもらうことを唄自身が求めているからに他ならない。
 アマチュアなのだから、集まって皆でわいわいがやがや唄う者たち自らがまず楽しく歌って何が悪いという反論もあろう。そこまで彼らに要求するのは酷だとも自分も思う。音楽とは読んで文字のごとくに、音の楽しみであって構わないはずだ。ましてフートなのだから歌う側が楽しんで何が悪いというのか。それはわかるが自分が感じた一部のシンガーらの唄うことに対する意識の低さ、心構えの甘さには苦言を記しておくのが筋だと信ずる。まあ、それはそれでちっとも悪くはないのだけれど。でもそんなだとせっかくの良い曲があるのにきちんと聴いてもらえずモッタイナイ。

 つまるところ、うたとは、音楽とは演者、歌い手の自己表現の手段にすぎない。そのことに異論はないだろう。
 しかし、「うた」とは単にそう言い切ってしまうのにどうしてももう一つ抵抗がある。うたがそこにある理由、存在価値とはまた別の理由、もっと大きな意義や意味があるような気がしてならないでいる。
 今はまだそのことをきちんと文字にして説明はできないのだが、抽象的に語るとしたらうたもまた天啓、見えない者によるはからい、恩寵であり唄い手のものではなく独自に存在していると感じている。うたは誰のものかということだが。

 そうした意味での「うた」を思うとき、歌い手はもっとうたに対して真摯に忠実に丁寧に向き合わねばならないのではないか。放言とは勝手な言葉を言い放って責任をとらないことだが、うたもまたうたいっ放しの放歌、放唄になっていないか。
 そんなことを今回のフートの帰り道、運転しつつつらつら考えた。今回の新潟フーテナニー、参加できたことで様々な示唆を得た。新たな出会いもあった。たっつあん、藤さん、そして太田さん他多くの参加者に深く感謝したい。

 画像のほうは遅くとも今月内に、ステージに登場された方は全て撮ってあるので全員の画像をアップさせておく。そちらはいっぺんに複数の画像が上げられる別ブログ http://masdart.exblog.jp/ の方をそのうちご参照願いたい。むろん当ブログでもアップ終えたら告知しますが。

 と、ここまで書いて下へ降りたら、ハガキが来ていて誰からかと思ったら京都の古川豪さんから今年の七夕コンサートのお誘いである。今年は久しぶりに中山ラビさんも合流しての5人全員集合となるようだ。これは見ものである。さて、マス坊、どーする!?どーする!?