本日は子犬のベル子満一歳の誕生日2013年09月11日 16時47分55秒

★これからどれだけの歳月を共に暮らしていくのだろう。  ランキング: 162位

 今日は9.11、あの米国の同時多発テロの日。大震災から二年半の節目の日でもある。
 記録的猛暑に襲われた今年の夏だったが、ようやくこの数日秋めいた涼しい日が続くようになった。明日はまた暑さがぶり返すとの報だが、もう人死にが出るほど気温は上がらないだろう。何とか烈夏を乗り切れた感慨がわく。

 さて個人的なことだが、ウチの若い雌犬、ベルは今日が誕生日で満一歳となった。昨年の暮れ、栃木県佐野市まで人の伝手頼りに貰いに行った。そのとき訊いた誕生日が9.11だからようやく一歳。ウチへきて8か月ちょっと。でもあっという間であり、ずいぶん長くも感じる。またかなり大変でもあった。
 
 来た当初はおどおどと家人の顔を見上げては不安で落ち着かずとてもおとなしかったが、それは猫ならぬ犬を被っていたからで、やがては本性が出た。若いこともあるがともかくやんちゃで、やたら元気がよく、噛むの咥えるのが大好きでひと時もじっとしていない。家に上げれば、ありとあらゆるモノを咥えてガシガシ噛み砕いてしまう。何十本もペンやボールペン、本までかじられた。歯が鋭く、噛みたくてしょうがないらしい。
 室内に入れたままうっかり留守にしておくとそこは被災地のような惨状となってしまうほど暴れまくる。だから他の犬たちも彼女には恐れをなして逃げだすほどだ。それに来た時からだがかなり大きい犬なのだ。しかも空き地で紐から放すと、いくら呼んでも絶対返って来ない。何十匹も犬は飼ったがこんな犬は初めてである。

 老雄犬、黒犬ブラ彦の嫁さんとして来たわけだが、実は夏前に早くも交尾あった。それも無理やりブラが襲いかかってしまったのだが、そのときは数か月、その後偽妊娠で食欲がなかったが、妊娠はしなかった。やはりまだ体が成犬になっていなかったのだ。その間は食欲もなく医者にかかったりだいぶ心配させられた。

 そして今、ようやく満一歳の大人になり、もしかしたら近く秋口にまたかかってしまうかもしれない。そしたら早ければ年内に子犬が産まれる。その可能性はあるが、ブラも歳とっているので、性交しても子ができない可能性もあるし、また偽妊娠に終わるかもしれない。

 今、自分の気持ちを告白すると、ブラの嫁さんとして子孫を残そうと貰ってきたベルだったが、その子犬出産はもうどうでも良い気がしている。むろん、代々子犬が産まれ血が続いてきたブラの子がやっと産まれるのはとても嬉しい。しかし、それも結果であり、できなければできないで仕方ない。何も無理やり子ができなくても、ベルはベルであり性格にやや難あってもとてもかわいいし、それだけで十分なのだ。
 ブラが老いて死んでもベルだけでもあと10年以上生きるはず。その頃自分は早や70歳近いのである。子犬を産ますということは、貰い手があったとしてもウチでもさらにまた新たに一匹は飼うことであり、先のことを思うと彼らの面倒を自分一人でみれるのか不安もまたある。

 だけど、今すぐ避妊手術させる気はない。だってブラの嫁さん候補としてあちこち探しまくって佐野まで出向いて迎え入れたのだ。子犬ができるかできないか、それは神の御心のままに、という気持ちで今いる。ただどちらになろうともベル子を、今いる犬たちも含めて最後までとことん面倒を見る気持ちに変わりない。ベルには手を焼き噛まれまくりではあるがカワイイのである。体は大きいがまだ子犬であり、これですぐ母親になるのはかわいそうな気もする。

 18歳を超した老犬バドもこの猛暑は絶対乗り切れないと覚悟していたが、どっこい無事に生き延びられた。かなり注意して少しでも暑いとクーラーの効いた部屋に避難させたり、夜中でも起きて大小便の介助したことも効を奏した。それに何より食欲はしっかりあり、当人も生きようとする意思が強い。

 そして永遠の問題児ブラ彦も相変わらず手がかかるが、それはそれだけ彼らが人間に近しい知的なしるしでもあるので、人格を尊重しながらうまく付き合っていくしかない。機嫌が悪いと飯食べなかったり抗議や要求の遠吠えもよくするが、犬には犬の都合があり、人には人の都合もある。人間もうまく彼らと付き合っていかねばならない。無理もできないが。

 先のことはわからない。すべてその時はそのときだと思う。犬や猫、ペットに関心ない人はこんな記事を読んでも興味外どころか不審に、いや不快にさえなるかもしれない。たかが犬の話なのだ。しかし、自分にとっては犬猫、特に犬は、ペットなどではなく人と変わらぬ家族の一員、人生のパートナーなのである。彼らはこちらが面倒を見ないとならないし世話もやける。しかしそれ以上に大きな役割があり、大きな慈しみや癒しを常にこちらに与えてくれるのだ。彼ら無しでは自分は生きていけないだろう。彼らの世話をしている自分が実は彼らの世話になっている。

 人間との関係が下手で、人との縁がうすい自分には、犬猫こそが大事な家族なのである。かといって、人より犬猫が好きだとは言わない。人は人、犬は犬、猫は猫でしかない。そう、たかが犬である。されど犬なのだ。