「うた」の今、今の「うた」について考えたこと・2 ― 2013年09月29日 20時56分39秒
★館野公一の音楽世界について アクセスランキング: 140位
うたや音楽について文字で説明することは難しい。が、今の時代、YouTubeなどで関心あるミュージシャンや音楽について調べて確認することはたやすい。たぶん、彼もまたそうして検索すれば画像は出てくるとは思うが、自分は誰であれそれを奨めない。
なぜならそれだけで観た、知った気になるのはとんでもないことで、それはきっかけに過ぎず、それで得た先入観が正しい情報となるとはどうしても思えないからだ。
うたや音楽はともかくまず生で体感、体験してもらわねばその真の価値、ミュージシャンが伝えたい「大事なこと」は伝わない。今の人は何でも安易にネットで調べて小さな液晶モニターでそれを見て、知った気、わかったつもりになってそれで終えてしまう。
ミュージシャンやパフォーマーによっては自らYouTubeに自分の映像をアップさせて宣伝も兼ねて活用している人も多いようだが、自分は音楽に関しては基本的にそれでは見ない。音だけならともかく、画像で見られる画質の悪い一つのライブで、その音楽と歌い手を判断しては失礼だと考えるからだ。もし、関心があるならばCDを手に入れるか、ともかくまずはライブに足を運ばなければならない。そのうえで判断する。事前の漠然とした先入観で何事も決めつけてはならない、とは故林美雄の教えでもある。
しかし、10月5日の拙宅無頼庵での彼のライブを前に、ともかくまず聴きに来てくれ、というだけではあまりに乱暴だろう。いったいどんな唄い手で、どんな音楽をやっている人なのか、ある程度最低限の「説明」はせねば関心の持ちようもない。彼について自分の思うところを書く。
館野さんとは(以下敬称を略す)、そもそもいったいいつからどこで知ったのか考えても思い出せない。と言ってもそんな昔からご近所とはいえ幼馴染という関係でもない。たぶん中川五郎さんや古川豪さんのライブの折に、共通の知人、友人であったがためまず顔見知りになったのではないか。
当初は彼らベテランミュージシャンのステージで、マンドリンなどでサポート、つまり助演として共演する人だと思っていた。その達者なテクニックにいつも感心していた。しかしやがてご当人もマンドリンだけでは当然なくギターで自らの楽曲をうたっているシンガーだとわかってきた。
その「うた」とは、国立谷保の「かけこみ亭」で長く回を重ねている「語り歌の継承」という連続シリーズライブでも知られるように、彼自ら言う「語り歌」なのである。でもそもそも語り歌とは何であろうか。
説明するまでもなく、「うた」とは本来、琵琶法師の謡いやアイヌのユーカラ、世界各地にある曲をつけての史的「物語」から発したと考えられる。つまり、ある集団、民族などでは文字を持つ以前に、あったできごと、神話などの物語を語り継ぐためにもメロディをつけて歌にしていたと思われる。どんな出来事もメロディをつけての「うた」にしたほうが覚えやすいのは言うまでもない。日本にも「ノルマントン号沈没のうた」や「真白き冨士の嶺~七里ヶ浜哀歌」などいくつもある。
つまり、「物語」の伝承としての「うた」こそがうたの発生、起源であり、その歴史はわりと長く近代まで続いていた。アメリカのフォークソングにも、バラッドというジャンルで、悲惨なできごとや殺人事件を語り継ぐためにも様々なトピカルソング、マーダーソングが誕生した。
アメリカフォークソングの古典として、有名な「トム・ドゥ-リー」さえも2コードの単純なメロディーに実際にいた殺人犯のことを唄っているそうだし、ボブ・ディランにも中川五郎や古川豪にもそうしたバラッドはいくつもあるのだから、バラッド、語り歌というのは、うたの原点だと言えよう。だから当然のこと、内容豊富で一曲一曲が長くなる。長いのは10分を軽く超すのではないか。
館野さんには、自分が企画に関わったライブで、サポートだけでなくご自身も唄ってもらうことが多かったのだが、どうしても曲の長さの関係で、いつも1~2曲だけで終わってしまい、正直に告白すると最初の頃はあまり印象に残らなかった。シンガーであるよりもあくまでも日本のフォークシンガーたちに頼りにされている確かな技量のサポートミュージシャンというイメージでいた。
しかし、あるとき、亀有のキッドボックスというごく小さな店で、彼のソロライブをたっぷり聴き、彼のうた、楽曲の素晴らしさにようやく気がついた。そこのマスター曰く、館野さんのうたはたっぷり長く聴かないとその世界のすばらしさはわからないだろう、と語っておられたと記憶するがまさに同感した。自分の不明を恥じた。彼に心底申し訳ないと思った。
館野公一の語り歌というのは、むろんのこと、社会的事件、ある起きた事実をうたとしてメロディーに乗せて物語るものもある。それとは別に、ある架空のストーリーをときに、マンガ、ときに落語のように、起承転結をきちんとつけてうたにして聴かせてしまう。中でも、自分が一番好きな話は、ある架空の街を舞台に再開発でひと騒動起きる中不思議な出来事の「顛末」を描いているストーリーなのだが、聴いているうちにまるで映画のようにその町の風景、人々の姿さえもが目に浮かんできて感動させられた。まるであの「トワイライト・ゾーン」、ロッド・サーリングの描く世界だと思った。それはものすごく感動的に面白い。
マス坊はこれまで様々なフォークシンガーのステージを聴いてきた。しかし、語り歌、バラッドで、ここまでリアルに、ギター1本の唄なのにまるであたかも映画のように物語の光景を浮かび上がらせたシンガーは他にいなかった。これは語り歌ではない、「映画うた」だと思った。他のシンガーは単にある出来事、物語をメロディーに乗せてただ淡々と唄っている。館野公一はそうではない。十二分に個々の人物像を掘り下げ聞き手にリアルなイメージを伝えてくる。だから聴き手はリアルに感じ身を乗り出して聴き入れてしまう。もはやこれはうたやフォークソングではなく、「館野公一の語り歌」という一つの新たなジャンルではないかとさえ思えるほどその世界は深い。そして何よりも面白いのである。
館野公一は、フォークシンガーであるけれど、うたや音楽だけで生業を立てているわけではない。かといってアマチュアではない。全てに才能ある方だから物書きとして、市民運動家としてもあれこれ広く活躍されている。その点もまた素晴らしいと思える。うたと生き方がそのまま一致して違和感、隙間が彼にはない。ステージ以外は単なる酔っ払いでしかない歌い手が多いことを思うとき、自分にとって彼こそが正しいフォークシンガーだと考える。その点も高く評価している。理想や憧れですらある。
そんなこともあり音楽活動だけではないのでフォークシンガーとしては知名度は高い方ではないと思うが、まさにミュージシャンズミュージシャンとして多くの有名フォークシンガーからは高く評価され深く信頼されている方である。その確かな実力派シンガーをようやくきちんとソロでウチにお招きしライブが企画できる光栄を思う。
館野公一、その素晴らしいユニークな音楽世界をこの機会にぜひ堪能してもらいたい。当日は時間あれば、彼がレポートしてきたウクライナの原発の話なども訊けるかもしれない。
乞うご期待!
うたや音楽について文字で説明することは難しい。が、今の時代、YouTubeなどで関心あるミュージシャンや音楽について調べて確認することはたやすい。たぶん、彼もまたそうして検索すれば画像は出てくるとは思うが、自分は誰であれそれを奨めない。
なぜならそれだけで観た、知った気になるのはとんでもないことで、それはきっかけに過ぎず、それで得た先入観が正しい情報となるとはどうしても思えないからだ。
うたや音楽はともかくまず生で体感、体験してもらわねばその真の価値、ミュージシャンが伝えたい「大事なこと」は伝わない。今の人は何でも安易にネットで調べて小さな液晶モニターでそれを見て、知った気、わかったつもりになってそれで終えてしまう。
ミュージシャンやパフォーマーによっては自らYouTubeに自分の映像をアップさせて宣伝も兼ねて活用している人も多いようだが、自分は音楽に関しては基本的にそれでは見ない。音だけならともかく、画像で見られる画質の悪い一つのライブで、その音楽と歌い手を判断しては失礼だと考えるからだ。もし、関心があるならばCDを手に入れるか、ともかくまずはライブに足を運ばなければならない。そのうえで判断する。事前の漠然とした先入観で何事も決めつけてはならない、とは故林美雄の教えでもある。
しかし、10月5日の拙宅無頼庵での彼のライブを前に、ともかくまず聴きに来てくれ、というだけではあまりに乱暴だろう。いったいどんな唄い手で、どんな音楽をやっている人なのか、ある程度最低限の「説明」はせねば関心の持ちようもない。彼について自分の思うところを書く。
館野さんとは(以下敬称を略す)、そもそもいったいいつからどこで知ったのか考えても思い出せない。と言ってもそんな昔からご近所とはいえ幼馴染という関係でもない。たぶん中川五郎さんや古川豪さんのライブの折に、共通の知人、友人であったがためまず顔見知りになったのではないか。
当初は彼らベテランミュージシャンのステージで、マンドリンなどでサポート、つまり助演として共演する人だと思っていた。その達者なテクニックにいつも感心していた。しかしやがてご当人もマンドリンだけでは当然なくギターで自らの楽曲をうたっているシンガーだとわかってきた。
その「うた」とは、国立谷保の「かけこみ亭」で長く回を重ねている「語り歌の継承」という連続シリーズライブでも知られるように、彼自ら言う「語り歌」なのである。でもそもそも語り歌とは何であろうか。
説明するまでもなく、「うた」とは本来、琵琶法師の謡いやアイヌのユーカラ、世界各地にある曲をつけての史的「物語」から発したと考えられる。つまり、ある集団、民族などでは文字を持つ以前に、あったできごと、神話などの物語を語り継ぐためにもメロディをつけて歌にしていたと思われる。どんな出来事もメロディをつけての「うた」にしたほうが覚えやすいのは言うまでもない。日本にも「ノルマントン号沈没のうた」や「真白き冨士の嶺~七里ヶ浜哀歌」などいくつもある。
つまり、「物語」の伝承としての「うた」こそがうたの発生、起源であり、その歴史はわりと長く近代まで続いていた。アメリカのフォークソングにも、バラッドというジャンルで、悲惨なできごとや殺人事件を語り継ぐためにも様々なトピカルソング、マーダーソングが誕生した。
アメリカフォークソングの古典として、有名な「トム・ドゥ-リー」さえも2コードの単純なメロディーに実際にいた殺人犯のことを唄っているそうだし、ボブ・ディランにも中川五郎や古川豪にもそうしたバラッドはいくつもあるのだから、バラッド、語り歌というのは、うたの原点だと言えよう。だから当然のこと、内容豊富で一曲一曲が長くなる。長いのは10分を軽く超すのではないか。
館野さんには、自分が企画に関わったライブで、サポートだけでなくご自身も唄ってもらうことが多かったのだが、どうしても曲の長さの関係で、いつも1~2曲だけで終わってしまい、正直に告白すると最初の頃はあまり印象に残らなかった。シンガーであるよりもあくまでも日本のフォークシンガーたちに頼りにされている確かな技量のサポートミュージシャンというイメージでいた。
しかし、あるとき、亀有のキッドボックスというごく小さな店で、彼のソロライブをたっぷり聴き、彼のうた、楽曲の素晴らしさにようやく気がついた。そこのマスター曰く、館野さんのうたはたっぷり長く聴かないとその世界のすばらしさはわからないだろう、と語っておられたと記憶するがまさに同感した。自分の不明を恥じた。彼に心底申し訳ないと思った。
館野公一の語り歌というのは、むろんのこと、社会的事件、ある起きた事実をうたとしてメロディーに乗せて物語るものもある。それとは別に、ある架空のストーリーをときに、マンガ、ときに落語のように、起承転結をきちんとつけてうたにして聴かせてしまう。中でも、自分が一番好きな話は、ある架空の街を舞台に再開発でひと騒動起きる中不思議な出来事の「顛末」を描いているストーリーなのだが、聴いているうちにまるで映画のようにその町の風景、人々の姿さえもが目に浮かんできて感動させられた。まるであの「トワイライト・ゾーン」、ロッド・サーリングの描く世界だと思った。それはものすごく感動的に面白い。
マス坊はこれまで様々なフォークシンガーのステージを聴いてきた。しかし、語り歌、バラッドで、ここまでリアルに、ギター1本の唄なのにまるであたかも映画のように物語の光景を浮かび上がらせたシンガーは他にいなかった。これは語り歌ではない、「映画うた」だと思った。他のシンガーは単にある出来事、物語をメロディーに乗せてただ淡々と唄っている。館野公一はそうではない。十二分に個々の人物像を掘り下げ聞き手にリアルなイメージを伝えてくる。だから聴き手はリアルに感じ身を乗り出して聴き入れてしまう。もはやこれはうたやフォークソングではなく、「館野公一の語り歌」という一つの新たなジャンルではないかとさえ思えるほどその世界は深い。そして何よりも面白いのである。
館野公一は、フォークシンガーであるけれど、うたや音楽だけで生業を立てているわけではない。かといってアマチュアではない。全てに才能ある方だから物書きとして、市民運動家としてもあれこれ広く活躍されている。その点もまた素晴らしいと思える。うたと生き方がそのまま一致して違和感、隙間が彼にはない。ステージ以外は単なる酔っ払いでしかない歌い手が多いことを思うとき、自分にとって彼こそが正しいフォークシンガーだと考える。その点も高く評価している。理想や憧れですらある。
そんなこともあり音楽活動だけではないのでフォークシンガーとしては知名度は高い方ではないと思うが、まさにミュージシャンズミュージシャンとして多くの有名フォークシンガーからは高く評価され深く信頼されている方である。その確かな実力派シンガーをようやくきちんとソロでウチにお招きしライブが企画できる光栄を思う。
館野公一、その素晴らしいユニークな音楽世界をこの機会にぜひ堪能してもらいたい。当日は時間あれば、彼がレポートしてきたウクライナの原発の話なども訊けるかもしれない。
乞うご期待!
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