古本商売撤収と再スタートに向けて2013年09月13日 19時15分40秒

★戦略的撤退に邁進中なのだ。 アクセスランキング: 217位

 今日は蒸し暑かった。所要で都心に出たが、短パンにTシャツ、サンダルで街を歩いているのは自分だけで、何だか妙に恥ずかしさを覚えた。暑いといってももはや9月半ば、世の皆さんちゃんと上着羽織った秋のスタイルなのである。短パン姿では冷房の効いているところでは寒さを覚えた。相変わらず状況が読めない自分である。

 さて、久々にマイ「商売」、古本稼業について書く。
 注文が減った、販売している本の値段が下がり続け儲けが出ない、出品もままならないことは前にも何度も書いてきた。が、2013年秋の段階で、もうネット古本屋という商売は撤退するしかないと決意した。そのことについて書いていく。

 ネットで古本屋を始めて約10年が経つと思う。きっかけは北尾トロ氏のハウツー本を読んで、これなら自分でも家で簡単に始められると思い、友人から貰った本も沢山あったからまずは自店舗を立ち上げて古本商売を始めてみた。

 しかし、無名の個人の「店」では集客力はなく、なかなか注文は来ない。で、Amazonのマーケットプレイスに参入して、そこで出品して手数料はとられるものの主力はほぼそちらに移行した。
 そこでの当初は、正直、面白いように、右から左へと本は売れた。つまりAmazonで検索して、新刊と並んで中古本が出て入ればそちらが安ければ人はそっちで買う。出品すればするだけ売れていく。かなり儲かったかと記憶する。

 だが、ご存知のように、しだいしだいにそこでもデフレ化が進行し、出品者が多い本は、それぞれが値下げ競争に腐心したあげくついには「1円」という値をつけて出品する店も出てきた。そんな値段で儲けが出るのかと訝しむだろうが、かつては送料は一律340円もとっていたし、多数出して多数売れるメドのある大口出品者には特枠もあって、その送料などから僅かでも儲けが出る仕組みとなっている。けっきょく、気がつけばいつしかベストセラーなど話題となった本は、ほぼすべて「1円本」となってしまった。

 ウチはそんな大きくやっていないから、出品価格=売値が200円以下となってしまえば実質的利益は100円以下そこらとなってしまう。それでは梱包、出荷など手間ばかりかかってバカらしい。出すからには手取りで千円以上の儲けがほしい。しかしそんな本はなかなか手に入らない。せいぜい売値が300円ぐらいまでが下限である。それでもマージンが惹かれるから実質の儲けは微々たるものでしかない。

 そんなこんなでもうやっていけない、と一時そのときも撤収を考えた。しかし、Amazon側も考えて、古本のリストをISBN=本の個別識別番号のついていない古い本、つまりかなり発行からかなりの歳月を経た「古書」の枠も拡げて、出品できる範囲を大きく拡大した。
 おかげで、それまでAmazonのリストにはなくて売れなかった旧い学術書、専門書なども出品できるようになり、そうした本は高値がつくからまた持ち直すことができた。
 そんなこんなで、点数は多くなくても売れれば儲けが大きいからウチではそうした古い物理や数学、工学などの専門書中心に出品することにしてまあ小遣い稼ぎにはなっていた。

 しかし・・・このところ注文が時とともに減り続け、昔は日割りすれば少なくとも日に一冊の割合で届いていた注文も何日も一冊も売れない日が続くようになる。今も常時2000冊近く出品中なのだが、売れるのは新たに投入した本だけで、全く売れないままの不良在庫が溜まる一方となった。
 それでこのところ暑さも和らぎ涼しくなったこともありそうした「在庫」を再検索して同じ本が他店ではいくらで出しているか一冊づつ確認作業を続けている。本当はそうした作業は日々地道に確認して「相場」を意識しないと時間とともに値は下がっていくものなのだからいつまでも当初の値段では売れるはずがない。順次他店の最低値を確認してウチの本も下げなくてはならなかった。しかし忙しさにかまけてほったらかしにし続けていたのだ。

 わかったことは・・・ ウチが千円近くの値で出している本はそのほとんどが今は1円本、もしくは100円以下となっていて、確認後、すぐに出品取り消しするばかり。再検察して他店との相場を確認してみると、「1円本」と化していたのでマーケットプレイスから引き揚げた本が割合で言えば10冊のうち半分以上である。他では1円で出しているのにウチでは千円近いのでは売れるはずがない。

 また、以前は高値がついて、出品していた「専門書」「稀覯本」も軒並み値崩れを起こしている。さすがに1円ということはないが、自分が4千円で出している本の最低値は今400円からだったりと、確認して愕然としてしまった。ウチが付けた値は、出した当時他店と比べて一番安くつけていたはずだ。それが今では一番高いランクとなってしまっている。ざっと見積もるとその値崩れ率は10分の1といった感じである。つまり一万円だった本が今では千円で出品されているということだ。
 むろん今だって相変わらず何万もする高値で出されている本もあることはある。しかしそれは他店にその本の出品がない一冊、もしくはごく数冊の場合であって、けっきょくそうした本は需要もなく当然売れない。自分も仕方なく他店と競合していなくても売れないので値を下げた。

 現行本、ちょっと前に話題になったりよく売れた本が1円本と化するのはわかる。それは出品者も点数も多いから。しかし、以前は高価で取引されていた古書の域の本までが今では値崩れを起こしている。これでは出品できたとしても儲けはたかが知れている。何故なのか、どうしたものか。

 マーケットプレイスには出品中だが何年も全く売れないままだった不良在庫を再検索して、今でも出品するに値する価格が付く本はごく僅かだとわかってきた。稀覯本でも専門書でもともかく値段を下げて再出品しなおしている。しかし、それでも反応は芳しくない。もう何日も一冊も注文が届かない。

 kindleなどの電子書籍がじょじょに普及しているからと考える向きもあろう。しかし、思うに、そんなこととはまったく関係なく、本という媒体自体もはや価値を失っているのではないか。一言でいえば、「本」というものを愛する読書好き、読書人、古書マニアのような人たちが激減しているような気がしている。
 確認したわけではないが、本当の古本屋さんたち、つまりAmazonマーケットプレイスなどで扱う類の古本ではなく、本物の「古書」、=稀覯本、専門書籍を扱う古書店もそうしたものを熱心に求める顧客自体が減っているのではないかと想像している。かつては大学の先生、巷の研究者、郷土史家、古書マニアのような「古書をこよなく愛好する人々」がこの国にもたくさんいた。しかし、近年、特に21世紀になってからはそうした人たち、つまりある程度高年齢の世代が死滅していき、さらに活字離れもあってそこに新たな参入者、後進の育成もなく、そうした市場が成り立たなくなってきたのではないか。

 つまり単なる「情報」ならばインターネットでほぼ何でも間に合ってしまう。検索すればどんなことでもたちどころにヒットして誰かが教示してくれる。何も絶対「本」でなくてはならないということは少ない。つまりアーガイブスとしての本はもう役割を終えたのではないか。
 だとすれば、そうした本を売って、しかもそれが新刊の出版ならばまだしも、従来の「古本」ならばそこに需要などはほとんどないのではないか。つまり情報としての「実用書」としての本は21世紀前半の今役割を終えた。また「小説」「物語」としての本もインターネットで配信すれば事足りるのだから、本の意味はない。ましてそちらは電子書籍で十分だ。

 となると古本を商う古本屋はいったい何を売れば良いのか。
 今、自分はまずたくさん抱えている不良在庫を全部検索した上、値がつかない本はすべて処分して、残った少数の本たちと共にAmazonでではなく、自店舗で再出発しようと考えている。
 「店」はともかく開けて、何かを、売れるモノはともかく何であろうとも売らなくてはならない。売って金を稼ぎたい。でないと住む家はあっても収入のアテが自分にはないのだ。年金は一円も入ってこない。今さらコンビニや工場、清掃員のバイトも口がない。

 だからこそ本当に真剣に「商売」をやっていく。それが「古本屋」と呼べるかはわからないが、旧いものが大好きな自分としては「古物商」として再スタートを切りたい。年内にがんばって撤収作業を終わらせて、来年早々には「新装開店」をと夢想している。むろんそこに需要があるならば本は売っていく。なぜなら減ったかもしれないが本好きはまだ自分も含めてかろうじて生息していると信じるからだ。

 誰が本を殺したのか。ようやくわかった。インターネットが普及したこの「時代」そのものなのであった。