日暮れて荷重し、前途遼遠ではあるけれど2013年09月21日 22時53分20秒

★初の古民家宿泊      アクセスランキング: 166位

 この金土曜、笠間から社員を招いて、一泊二日で初めて「江草スタジオ」に泊まってきた。ウチの軽のミニワゴンに、本など満載して高速を走ったわけだが、いろいろ新たな発見もあった。

 今、古本稼業は撤収の方向で動いていることは先に書いた。実はウチのごく近所にまだ倉庫を借りていて、家賃を払い続けている。それも古本を売って儲かる利益以上の額である。なので、山梨のほうに古民家を得られたので、倉庫は一日も早く引き払い。そのために片付けとそこの本の移動に取り掛かった次第。
 希望としては、年内、12月いっぱいで倉庫は空にして大家さんに明け渡したい。そうすれば儲かるわけではないが、負債は減っていく。その流れでこれから暇をみつけては一人でも倉庫の中を整理して捨てられない本などは車に積み込み山梨へ運ぶこととした。

 金曜日の午後3時頃、車の後ろ荷台にこれから販売予定の本など満載して社員氏を助手席に八王子インターから中央高速に入った。また連休の前だったが、まだ金曜なのでさほど渋滞はしていなかった。が、工事しているとかで、やはり上野原~大月間、さらに毎度の笹子トンネルの前でかなり渋滞していて、けっきょく、現地に着いたのはもう暗くなった6時過ぎていた。
 それに荷物を積みすぎると、高速ではやたらと車がふらつく。80キロぐらいが限界で、100キロ以上出すともう酔っ払い運転のようでハンドルを支えるだけで精いっぱいだ。えらく気を使って疲れた。高速走行では重量を多くあまり荷物は積み込めないことも始めて理解した。

 積んできた本などを物置に投げ込み、車で麓の商店街まで走る。
 須玉の街には店らしい店などないと思っていたが、幸いわりと遅くまでやっている大きな地元スーパーを発見。そこで弁当や缶ビールを買い込み、その晩は部屋で呑んでわりとすぐに寝た。

 が、コーフンしているのか目が冴えて体は疲れているのに眠くならない。おまけに社員氏の歯ぎしりと鼾が交互にうるさく気になって眠れない。人は無意識の世界で人柄が知れるが、この人は実は内面では深く病んでいるのである。が、バカだから本人は意識していない。それは自分もまた同じなのであるが。

 結局、夜明けごろ、早起きの彼は起きて同行させた犬たちの散歩に出たのでそれからようやく短時間だが深く眠れた。
 で、今日は朝から室内を窓を全部あけて掃除機かけて、今後の算段などを計算してみた。それから地元の野菜などを直売所で買い込み昼過ぎには韮崎のインターから高速に入り、ウチには2時前には帰って来れた。荷物は下ろしたので車は軽く、まったく渋滞もなく快適快走であった。

 社員氏と明日の支度のため無頼庵を片づけ、彼は夕刻帰った。それからシャワー浴びて少しだけ昼寝して、夕食。親たちを寝かしつけてこれを記している。明日は映画塾。もう何回もやってきたので明日のことは思い煩うことはないが、さて、これから山梨のほうも借りている倉庫のほうもどうしたものかと考えている。

 この調子で、ガソリン代と高速料金で、毎回一万円近くかかってしまう。しかし運べる量はごくわずかだ。倉庫撤収までの道のりを思うと前途遼遠である。まあ、少しづつ運んでいけばいつかは必ずなくなり終わる。しかし残り三か月ほどでそれがこのペースでやって終わるとは思えない。それでも高速でふらつきながらも少しづつ運んでいくしかない。

 その他、いくつものイベントもある。その支度で慌ただしい。入ってくる収入のあてはない。そこにいろいろ支払いや督促はある。消費税は上がるが転嫁できない。出る一方である。なかなか人生は大変だと嘆息する。しかし、またこうも思う。何はともあれやるべきことがあり、それをまだやれること、動けることは幸福なのではないか。

 今友人で、病気入院、治療中の人もいる。彼のことを思えば、どんなに忙しくてもこうして自由に何かやれること、動けることは幸福でありがたいことではないか。いちばん辛いことはそうして病気などで束縛されて不自由となってしまうことだ。むろん刑務所の中でもささやかな楽しみがありそれをみつけるのが人生なのだが。

 彼のためにも自分は頑張らねばならない。人は皆自由に生きる権利がある。それも自己責任においてではあるが。生きていることは苦しむことではなく、生を楽しみ味わうことだ。日々祈りを捧げ、全てに感謝し皆が明るく楽しく暮らせるようにがんばりたい。

 日は暮れかかっている。が、完全に暗くなるまではまだ時間がある。