二度目の大雪の夜2014年02月14日 23時30分26秒

翌朝、庭に出てみたら・・・
★雪は心にも重く圧しかかる       アクセスランキング: 145位

 先日の記録的大雪があったのが8日の土曜日。それから一週間もしないのにまたもや同じかそれ以上の雪となり今もまだ降っている。
 子供の頃の冬は毎年かなり雪が降ったという記憶はあるが、このところは暖冬で雪など久しく積もるほどなかった。それが今年は前回の雪もまだ溶けてないのにまたもや大雪。近年にない今年は積雪の冬となった。もうさすがにうんざりである。雪に喜んでるのは若犬ベルコさんだけだ。

 当初の予報では前回ほどではないとか、夜からは雨に変わるとか言ってたが、どっこい朝から降り出して今もまだ細かい雪がやまないのだからウチの辺りでは今で既にこの前に並び、このままだと確実さらなる大雪となろう。困るのは雨用長靴の丈以上に積もるとすぐに雪が長靴の中に入ってしまい中で溶けて耐えられない冷たさとなることだ。もっと長い、紐で縛るようなタイプのスノーブーツを用意しないとならない。前回の時も膝までの深さにまで積もった。まさに予想外、想定外であった。

 今テレビでは中央道は行きも下りも上野原から中津川まで通行止めとテロップが出ている。道というのは車が走っていれば雪は積もらないが、車がなければひたすら積もりそれが凍って除雪がさらに困難となる。山梨県は観測以来の記録的大雪とのことで、甲府で50センチを超えたとか夜早い時間に報じていたから、もっとさらに長野寄りの北杜市須玉ではいったいどれだけの雪となったのか。高速道路も当分使えないし、冗談抜きに春が来るまで古民家へは行けなくなった。

 いや、それよりも今心に重く圧し掛かっているのは、雪の重みで、前回の雪も50㎝は降ったとのことだったから、たぶんそれはそのままで、そこにさらにもっと沢山降れば重さで建物自体が倒壊してしまうのではないかという心配だ。
 その古民家は昔ながらの重たい瓦がしっかり屋根に乗かっている。それだけでも大地震の時とか瓦の重みで大丈夫かと気になっているのだが、それ以上にこんな豪雪がその上に圧し掛かって家が持つのだろうか。人が住んでれば、北国ではみな必死に屋根から雪下ろしをやっている。しかしそこは今無人だから雪はただ屋根にも降り積もるだけとなる。近所に人家はあっても皆自分の家だけで手いっぱいだろう。降り続く雪を見ているとしだいに憂鬱になってくる。

 家とはどのぐらいの重さに耐えられるのか。今住んでいるこの家は、瓦など使っていないし、ほとんど屋根自体には重さがない。いちおう耐震建築で建てて間もない。だからどんな大雪が降ろうと今までもたぶんこれからもこの地では雪下ろしなどする必要はないと思う。
 問題は築100年?のその古民家で、果たして二度にわたる観測史上初めての大雪に耐えられるのかだ。近くならばタイヤにチェーン巻いてともかく見に行く。しかし、今はただここで不安な心地で雪のやむのを待つだけだ。

 高速道路さえ開通したら、来週明けでもともかく一人でも確認しに行こうと思う。ともかく今のままでは気が気でない。胃が痛くなりそうだ。結局、ルンペンが愉快なのは、「持たない」故の気楽さだろう。今までは雪が降ろうと山梨の北部、北杜市のことなんかまったく関心がなかった。それが今では、「持った」が故に、天候だけでなくどのぐらい雪が積もったかその都度心配でならない。

 いろんな意味で自分の判断が間違ったか、考えが甘かったか、このところ自問している。まったく先のことは予測がつかない。こんなに今年雪が降るとは誰も思いもしなかっただろう。まあ、それは地震も同じで、いくら頑健な防波堤を築こうとも近く大地震が起こると予測されているところで原発再稼働を今から始めることこそ愚の骨頂だろう。本当に先のことはわからない。神のみぞ知る、のである。自然は百年に一度、千年に一度の想定外のことを時に起こす。ならばこそ人は対策は絶対万全などと驕らずに、常に謙虚であらねばならないのだ。