雪搔きしに行って帰ってきた2014年02月27日 22時06分16秒

南側はともかく北側はほぼ雪に埋もれていた。
★住まいは冬を旨とすべし       アクセスランキング: 179位

 昨日は午前から東京を出て、山梨の古民家の庭先の雪搔きだけして夕刻に公共の温泉へ入って日帰りで帰ってきた。向うの家屋内にいたのは10分程度。あとは2時間かけて汗まみれになって車一台分のスペースを空けるべくひたすら雪搔きに追われていた。

 報告だけいたすと、我が古民家は無事であった。ただ、今も北側の屋根にはずっしりと重たい雪がどっしりと50㎝も積もったままで、そこはまだカチンカチンに凍ったまま見た目にも屋根が重さで撓っている。南側の屋根はもう完全に雪は溶けていて安心できたが、大雪の直後には屋根全体にこの雪の塊が乗っかっていたのである。よく重さで潰れずにいたものだと、昔ながらの木造建築の頑健さに感心した。
 ただ、その状態ではたぶん引き戸など上から圧迫されて動かないだろうし、家じゅうミシミシ、ギシギシ音立てていたのではないか。そこにいたら何よりもいつ雪の重さで家が潰れるか恐怖にかられてとてもおちおち眠れないと思う。よく北国では雪の中でも雪下ろしをやって滑って落ちて雪に埋もれて死ぬ事故が報じられるが、そうせずにいられない恐怖が実感できた。もし自分もそのときここにいたら一人でも屋根に上がって降りしきる雪の中でも必死に雪下ろしをやっていただろう。

 今回、その古民家へは一か月半ぶりにやって来た。正月明けに一度来たが、その頃は暖冬で、雪の降る気配は全然なかった。それから何度か来ようとしたが、天気が悪かったり家人が風邪ひいたりと常にアクシデントが重なり行けないまま二度の大雪がありその後は高速道すら普通で山梨は県全体が陸の孤島と化してしまっていた。

 今回、中央道は復旧はなっていたが、やはり道の路肩には雪が1m以上高く壁のように残っているところも多々あって、全区間車線規制となっているので当然のこと渋滞気味であった。つまり車線が3本あれば、一番左は積み上げられた雪で通れず2本しか走れず、トンネルの中のように2本の路線は1本しか走れないようになっていた。

 行きはそれでもほぼ順調に走れたが、帰路は何か所かで渋滞があって、結局いつもより1時間余分に時間がかかってしまった。高速道がそんなであるから、現地はというと、意外にも県道、市道など公道は路肩に雪が少し残る程度ですいすい走れた。
 が、ウチの古民家のある山里の集落に強いる細道は、雪がなければ軽なら二台十分にすれ違える道幅が、両側の堆い残雪の山で一台分しか通れず、対向車があればどちらかがバックするという有様で除雪が進んでない現実を目の当たりにした。

 で、その家は屋根に大きな雪の重石は載せつつも無事ではあったが、問題は着いたはいいが車を停める、車が入れるスペースが雪で埋もれてどこにもないことだった。いつもは庭先に入れるか、家の裏に車一台分の空き地がありそこに停めていた。そこもどこもまだ膝上ぐらいまでの雪が平らに積もったままなのである。当然ながら他人の家の庭など誰も通らないし雪搔きもしてくれない。無人であったから豪雪後一週間以上経っても大雪は降ったまま手つかずの状態であった。それでは玄関までも雪で通れない。

 幸い、こんなこともあろうと、韮崎のホームセンターで途中で買ってきた雪搔きシャベルで道をつくり、同行した母だけは家に入れた。それから、車は雪のない道路に停めたままなので、他の車が来ないか気にかけつつ一人で必死に庭の雪を掻いて、何とか軽の車一台分が入れられるスペースを空けた。休みなしで約2時間その作業に専念した。滝のように汗だくである。
 それから車の荷台に一か月以上積み込んだままだった古雑誌の山を庭の物置に押し込んで気がつけばもう夕方近く。

 泊まっていくことも考えたが、ボケ老人とボケ老犬を残してきたのが心配だし、明日もまた雪搔きしていたら間違いなく体がおかしくなる。恭一にで限界であった。足腰よりも両の腕がしびれて感覚がなくなってきていた。雪搔きは腰よりも上半身にこたえた。重たい雪を掬って投げるから腕の筋肉をフル稼働させる。ひたすら雪搔きの作業中、温泉、温泉と、暖かい湯につかることばかり考えていた。長靴の中の足の指先も寒さで凍傷になりそうなぐらいまったく感覚がない。

 ウチよりもっと山奥にあるラジウム鉱泉、増冨の湯は大雪で途中までしか道が通れないと、集金に来たプロパンガス屋のオヤジさんが言ってたので、一番近くの明野の公共温泉に行って一時間温泉に浸かって両腕、肩の凝りをひたすらマッサージして血行回復させた。おかげで何とかキロのハンドルを握れたという次第。

 結局、昨日は北杜市の役所でいくつか書類出したり、支払いを済ませたりはしたが、雪搔きしに行ったようなものであった。雪なんてほっておけばやがては溶けるだろうし、そこで暮らしているわけでもないのだから今さらやるべきことでもない。が、一目で無人の空き家だと思われるのも気になるしこの家と関わりを持ったのだから来たからには少しは手を入れなくてはならない。ここ、自分の家の庭、前の道だって雪搔きにはうんざりしたのに、またもう一軒、豪雪の後始末に追われるとは疲労とうんざり度も倍増である。しかしそれもまた寒さや雪のことなどをまったく想定してしなかった自分がいけないのだ。

 何はともあれ、今回の山梨県を襲った記録的豪雪でもオンボロ古民家は無事であった。もうこんな大雪はあってほしくないし、当分ないとも思うけれど、冬でも来れるようにスノータイヤなどの準備、万が一雪に閉じ込められた場合の備え、寒さに対しても負けない快適な環境作りなどこれからの課題が山ほど出た。
 まったく、春5月に観に来て、涼しく快適な夏に話が進み、秋に手続をしてそしてこりゃ素晴らしく良いところを手に入れたわいと思ったら冬が来たら耐え難い寒さと猛烈な積雪である。来ることも出ることもできやしない。

 家は夏を旨とすべし、が日本の家屋の基本ではあるが、それは平野部の街中での話であって、山間や山里などの地方の寒冷地では住むならば冬がまずどうだか考えねばならなかったのだ。人は暑さでも死ぬが寒さでも死ぬ。しかも問題なのは、冬場の死には、孤独と孤立、雪がもたらす事故までもが、凍死の周りに雪だるま式に付随しているのであった。この日本、どこに行ったとしても一年中快適な、住みやすい処なんてないのかもしれない。特に自分のような人間には。