5月も終わる。おもうところを少し記す。2015年05月30日 02時13分54秒

★うたの力と自らを信ずるしかない。            アクセスランキング:180 位

 なかなか本調子に戻らず時間だけが過ぎていく。しかし絶望はしない。迷い惑わないしやるべきことを見据えてやつていくだけだ。

 道は雨に濡れていた。

 谷保のかけこみ亭で、店長のぼけまる氏らと打ち合わせかねてだらだらビールを呑んでいた。
 あれこれ話もはずんだが零時近くなって南武線で帰ることにして別れ告げ店の外に出た。
 道路は雨で黒く濡れていた。ふと大昔、自分が十代の頃、関西をぶらついていた頃のことを思い出した。

 放浪というような意識的なものではない。金はなくとも時間だけはあったから、吉祥寺ぐゎらん堂に置いてあった来客者が書き記したノートの記事を見て、ふらっと全く無計画に関西方面にキセルして出掛けたことがあった。
 目的は、天王寺野音での春一番コンサートで、ホテルも何も予約してなく、ともかく関西へ、まず大垣行きの夜行列車で、大阪へとやってきた。
 それでも若かったのと昔の話だから、車中や向こうで知り合った人たちに泊めてもらい、駅の構内で寝たこともあったけど、神戸や尼崎や名古屋にも寄って、まさに自由気ままな旅をしてきた。そのときはそれが旅だとは気づかなかったが、今思い返すとそうした日々こそが旅だったのだと思い至る。
 ちょうど友部正人が発禁となったアルバムを出し、「どうして旅に出なかったんだ」とスカイドック・ブルースバンドをバックに声を荒げていた頃の話だ。思い出した、ぐゎらん堂のそのノートに、そのうたを聴いて、俺はここにやってきた、と地方から来たやつが書いていて、読んで自分も発奮して旅に出たのだった。

 夜通し、地方のどこそこのライブハウス的溜まり場、喫茶店で夜も更けて、酔っぱらって外に出たとき、道は雨に濡れていたことがあった。いや、それは、鈴木翁二に連れられて飲み歩いた阿佐ヶ谷や吉祥寺のことだったか。

 その黒い雨に濡れた道を見るたびに、突然そんな大昔の頃のことを思い出す。もはや40年近くも前のはなしだ。酔いが醒めるというのとはちょっと違う。ああ、またここか、この場所かという過去と向き合う感覚だ。

 あの頃からじっさい何一つ変わっていない。かなり酔っぱらってへべれけで店を出るのも毎度のことだ。そして昔は当てもなくまた夜の街をぶらついたが、今はともかく駅に向かい、時刻表を見て切符を求めいつしか家に帰りつく。
 ちょっと前までは、立川から終電車を逃しては一時間以上だらだら歩いて自分の町まで帰ってきた。途中でお巡りに捕まったり。ファミレスで時間つぶしたりもしたが帰る場所はあった。

 若いとき、関西をぶらついていた頃は、そもそも帰る場所なんてなかった。むろん東京へ帰る家はあった。が、全く無計画に、ある意味とことん自由であった。身一つで失うものなど何もなかった。金がなさすぎて知り合った女の子の親に金借りて何とか東京に帰りついたことだってあったと今思い出す。戻ってから借りた金は送ったと記憶するがいったいどういう関係であったのか。かなり小言をくった記憶はあるが、その子の名前も家も思い出せない。ただ、その頃の夜の街だけがぼんやり記憶に浮かぶ。大阪西成で会ったか。

 今もときどき、酔っぱらって夜の街に出たときなど、そうした昔のことが突然思い出される。普段は記憶の底に沈み、もう二度と思い返すこともないことがだ。

 昔が良かったなんて思わない。過去なんてどうでもいい。しかし、そうした大昔の、例えば震災前の神戸の夜の街並みなど不意に思い出すと何とも不思議な気分になる。もうどこにもない街にいたことだ。
 あの頃に戻りたいとか戻れるはずもない。懐かしいと言うほどの思い入れもない。ただ、そこからそのときから、ずいぶん遠くへ、時間が過ぎたという感慨だけがわいてくる。説明できない。

 夜、雨に濡れた道路にいったいどこで遭ったのか。どこにいてどの店から出てその道に出たのか。かんじんのことはもう何も思い出せない。
ただ、酔っぱらっていて、とこそかの見知らぬ街の夜の道で、雨上がりであったことだけが思い出される。そしてそこからの距離がサーチライトの光が照らすように長く一筋感じられる。

 たぶんそれは過去ではないのだろう。今に続き、今も記憶のどこかで抱えていることは過去ではない。やがてまた、いや、今もなお同様なことを実は繰り返している。規模は違えど実は何も変わっちゃいない。愕然とする。
 そう、RCのうたではないが、坂の途中で立ち止まるだ。
 いいことばかりはありゃしない、か。いや、オレならこう唄おう。悪いことばかりはありゃしないと。

 今も昔もずっとダメだった。が、だからこそ、まだやっていける。同じなら絶望はしない。昔はほんと身一つで何も何一つなかったが、今は幸い頼むところがある。信じ頼むところに従ってやっていく。これ以上墜ちることはないと信じ願って。

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