新しいうたと新しいうたの場をつくろう2016年02月10日 16時50分38秒

犬さえも参加できる、かけこみ亭の「ゆる~くライブ」、ぼけまるさんと。
★うたよ、我が裡に再び還れ            

 母連れて今日の午前、検査のためまた立川相互病院に行ってきた。この6日に退院してから体調の確認目的である。
 幸いにして、熱ももう上がることはなく採血の結果の数値も良好で、白血球も戻ってきていたので、ようやく今回の一件は落着、放免された。
 次回は19日に、また採血しエコーとったりして、一回だけではあるが抗癌剤投与後の癌の状態を確認することとなるようだ。そしてそれからどう対応するか医師から求められよう。
 なぜか、母がらみでは19日の病院通いが多く、そんなで1月19日の国会前行動も、抗癌剤投与の当日だったこともあって行きたくても行けなかった。今回もどうなることやらである。
 が、何はともかくまず母の容体が安定してもらわないことには、ボケ老人の我が親父のこともあって、家を空けることすらできない。これから癌との闘いはどう展開していくのかまだ方針も見えず考えも何もまとまらないが、よぼよぼ、ヨタヨタでも何とか現状維持のまま、普通の日常生活がやれるよう安定していてほしいと願う。

 でないと身勝手な言い草だが、我がことは何もできなくなってしまう。家にこもってほそぼそと商売、つまり本の注文が入ればそれを発送するぐらいは可能だろうが、ライブに行ったり、企画したり、手伝ったり、我がしたいこと、人間関係としてもなすべきことが何も進められなくなる。
 
 実は告白すると、12月23日の拙宅無頼庵でのクリスマス忘年ライブパーティ以後、一度もギターを手に取っていないし、唄ってもいない。ライブも中川五郎氏関連のに、二度行ったきりですっかり音楽から離れてしまった。
 理由は簡単で、山梨の倉庫として使っている古民家に空き巣が入ったりしてその対応策に頭悩まし頻繁に通ったり、母の抗癌剤投与、その後の体調異変~入退院に追われたりと、ともかく慌ただしくて「音楽」どころではなかったのだ。
 意外と思われるだろうが、我は基本的に、家では音楽はCDやレコードでまず聴かない。ラジオも山梨に行っているときはともかく、東京では聴くことはないし、車も搭載カセットデッキが壊れてしまいテープもかけられない。むろんパソコンでユーチューブも必要な時以外は観ない。
 音楽は、生のうた、演奏を観に行き、そこで聴き、その後ずっとそれを牛が草を反芻するかのように、頭の中でずっと繰り返し聴いている。それが近年のならいで、それが出来ないとき家でレコードに針降しオーディオに凝ったりするのだが、そんな時間が今は全くない。

 ところが、そうして脳内に保存していた音楽がついにこのところ枯渇してしまったようで、代わりに買い物先のスーパーで流れていた、しょうもないJ・ポップが流入してしまい、AKB や西野カナの楽曲が始終エンドレスで鳴り響き苦しくてしようがない。

 今晩は、かけこみ亭で誰でも自由参加のフリーライブがあるので、所用がてら行ってたくさんのうたを聴いて、もしかしたら唄って来ようと思う。戻ったら詳しいことは報告いれたい。

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