オスプレイが飛び交う雨の午後に考えたこと2018年01月17日 23時48分15秒

★自己責任論ですむこととすまないこと

 風邪は相変わらずというか、咳だけでなく頭痛もしてきて本格化してきた。今日も父をショートで預けて不在なので、とことん静養につとめられるはずなのだが、早朝から本の用事があり、雨降る前に終わったから良かったが、市内走り回ってけっこう疲れた。
 午後から食事もろくにとらずにともかく横になりうつらうつらしていると、このところまた横田基地に飛来してきている米軍機オスプレイが、八王子方面からひっきりなしに飛んできて、浅い眠りは妨げられてしまった。

 オスプレイの「騒音」について、体感した人は想像もできないと思うが、通常のヘリコプターとは異なり、二つのプロペラが複合化して重低音で鳴り響き、ものすごい振動で我家の窓はビリビリ鳴り震えるほど衝撃がある。
 通常は、たいてい一機が来ると、後を追うようにして少し間をおいてもう一機、というように二機続いてやってくる。
 それが今日は、降りそぼる曇天の雨の中、一定の間隔をおいては次から次へとバラバラバラと八王子側滝山丘陵を越えて飛んでくる。その数、きちんと数えていないが、10機近かったのではないか。
 オスプレイはこれまでも何回も横田基地に飛来してはいるが、これほどいっぺんにまとまって飛んできて「集結」したのは我の記憶にない。

 正直、ほんとうに心身疲弊した。風邪で体調がすぐれないということもあるが、オスプレイの騒音だけは、何十年間も通常の飛行機の爆音に慣れた我でも耐えきれない。音が大きくてうるさいだけでなく、その重低音での「振動」がヒトの体感に悪影響を与える。
 オスプレイが飛んでくるときは、まず空が何となく騒がしく「平穏」「平静」でなくなるからすぐわかる。まだ遠くから姿がみえないうちに、何か空が騒がしくなってきたかと思っていると、遠く向うからバラバラと特有のプロペラ音が聞こえ出し。そのうちあの不気味な特有の姿がはっきり見えてきたかと思うと、不快な振動と共に、我家の、我の頭上を通り過ぎていく。その通り過ぎた後こそすごく大きな通過音が残る。

 横田基地への飛行ルート直下のこの町のこの場所に暮らし始めて半世紀過ぎたかと思うが、かつては北爆の頃は、B52など戦闘機の爆音がかなり激しく昼夜なく飛来し大いに悩まされたが、それは音が単に大きいだけで、ある意味慣れることもできたと思える。
 しかし、このオスプレイだけは、音の大きさよりも非常に不快な重低音で、その特有の振動こそがヒトの心身に不快な悪影響を与えるように思える。そこに当然ながら墜落等事故率ナンバーワンという欠陥機としての不安も重なる。
 それがここ横田基地に何機も近く常駐配備されることが決まっている。ということは、この不快な耐えられないような状況が常態化することになる。

 今日、ひっきりなしに次から次へと八王子側から飛来してくるオスプレイに思ったのは、もしこれが日常的な事態になるのならば、もうここには住めないな、ということだった。とても心身が、特に精神的に我はもう耐えられないと思った。
 これが勤め人で、日中は家にいないのならば、夜間は特別の事態でない限り飛ぶことはないはずだから、この町で暮らしていけるだろう。が、我のように基本在宅で、居職の暮らしをしている者は、今日のようにひっきりなしに一定の間隔で、次々とオスプレイが頭上を飛び交うようになったら精神衛生上的疲弊してやがては頭がおかしくなってしまう。おそらくこれだけは慣れることはないと断言する。

 正直、まいったなあというのが今の気持ちで、安倍自民政権が今後も続く限り、ますます日米関係は強化され、ここ首都東京にある米軍横田基地がなくなるどころか、基地機能は強化されオスプレイは常駐しこの状態が常態となつていくのだろう。政権が代わり、きちんとアメリカに申し入れし、米軍基地縮小と配備撤回が成されない限りこの状況は21世紀中葉となっても続いていくのだろう。いや、戦争など有事の事態が発生すればここ横田は最前線の指令基地となるのだから、さらに騒音被害は増していく。
 何とかならないかという思いと、残念だが、ならば我のほうが移転、引っ越しという方策をとるしかないのかという迷いで今日は心が揺れた。

 俗に昨今は、「自己責任論」が流行りである。沖縄の普天間基地周辺の住民に対してもだが、そんな危険なところに住むのがワルイなどと、本来被害者である側が、世間から批判されたり非難されてしまう。つまりそれもまた「自己責任」なのだから抗議とか文句等言うな、嫌なら自分でそこから立ち去れ、ば良いのだと。
 ある意味、それも一理なくはないとは思う。ここ横田基地の飛行ルート直下の我が家も、そんなウルサイところに越して来たのがそもそも悪いのである。

 経緯を語れば、今から約50年以上も前、当時高円寺に住んでいた我家は、とある理由から急な引っ越しを余儀なくされ、大急ぎで我が父がここ青梅線昭島近辺に土地を求めた。理由はカンタンで、父は米軍立川基地に勤めていた関係上、通勤に便利で日当たりの良い分譲地を求めたのだった。
 が、我の父である故当然バカだった父は、その場所が、横田基地の飛行ルート直下にあたることは気づかなかったのである。下見に来たときはちょうど休日かなんかで飛行機も飛んでいなかったと述懐していたが、自分が基地関係の仕事に就き、さんざん全国の米軍基地のことも熟知していたのにも関わらず、愚かにもその「場所」の欠点に思い至らなかったのだ。
 
 まさに父のその愚かさ、迂闊な選択によって図らずともそんな米軍機の騒音公害に悩む場所に暮らすはめとなった。しかし、近所の人たちの中にも父同様、ここに居を構えたのは、そうした「事実」「状況」を理解し覚悟して住み始めたという人は少なく、当時は、ベトナム戦争も本格化する前の話であり、米軍機の爆音被害はさほどでもなく、多くの人はともかく安くて上下水道も完備した駅にも近く利便なここにあまり何も考えずに移り住んできたのだった。
 そして今、オスプレイが横田基地に常駐配備されることになり、それに抗議もし、何とか撤回を願う運動をしている者として思うのは、「自己責任論」というのは、本質的にモノゴトの本質を、きちんと捉えていないのではないかということだ。

 むろん最初はそこに自己責任はあろうし問われる場合もある。しかし、モノゴトはそれだけで未来永劫済むものではなく、時間的経緯もあるし、普天間のように、戦後米軍基地が出来たことにより住民が周辺に追われてそこに住むことにならざる得なかったという「事実経緯」がある。
 同様に、人は先のことはわからないのである。そのときの判断が正しいとか、深く考えずにそうしたとか、そう選んだとしてもそれを未来に渡って「自己責任」で済ませてはならないのではないのか。

 我は結婚していない身で、言うのも無理あるかもしれないが、結婚した時はやさしくて良いダンナ、妻だったとしても長い結婚生活で変質し、問題ある人格に変貌してしまうことだってあろう。そのときに、そんな人と結婚したのだからと、自己責任だと批判したり切り捨ててしまうのは、その根源のところ、問題の本質をないがしろにしていることのはずだ。
 同様に、どんなことであれ、その「結果」だけを見て、そこに当時者の当初からの「自己責任」を問うのは間違っていると我は思う。
 人は変わるし状況も変化していく。確かに根源のところに常に「自己責任」というものは念頭に置かねばとも思うが、それだけで一括りにして、その当事者だけに責任を負わせるのは大きな間違いである。

 誰だってそんな場所に好きで選んで住みたいと願う者はいない。大変な場所だと気がついたとしても人は、そこでの生活もある故、簡単に引っ越しなどできないものなのだ。そうした細部や経緯も深く考え知った上で、野次馬的人たちは、当事者をとやかく言うべきであろう。
 まあ、今の時代、水に落ちた犬を打つが如く、他人様をとやかく批判し貶すのは流行りであり、まあ古今東西、昔から人の世の常なのかもしれないが。

 とにもかくにも我がまだ生き、ここに在るかぎり、オスプレイも含めた生きていくための面倒ごとは続いていく。悩みは尽きない。

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