ギックリ腰で立つことも歩くこともかなわず2018年08月19日 08時59分52秒

★報告 60代初のギックリ腰になってしまったこと

 手身近に。
 昨日の朝、父をショートステイのお泊りに送り出してから、庭の木々、プランターや鉢物に水をやろうとして、庭先に出しっぱなしにしていた括ってあった本の包みを濡れないよう運び出そうとしたとき。
 手前にも何かあったので、その本の包みを持ち上げて取り出すために、中腰で身を乗り出し左手を伸ばして持ち上げようとした途端、ギクッと腰の後ろ側に激痛が電気のように走った。

 あっ、と思ったときは既に遅く、久しぶりのギックリ腰をやった即わかった。この数年、すっかり影をひそめて自分では「卒業」したと思っていたのだが、まだこの「魔女の一撃」は現役であったのだ。
 それからできるだけ安静にして冷やしたりいろいろ整体的なことも自分でもやってみたのだが、夕方どうしてもまた腰を使うことがあって、それでまた悪化してもう自力で立つことも歩くこともできなくなってしまった。
 それでも室内で寝ている老犬が夜中に何度も啼き騒ぐので、仕方なくうんうん唸りながらその犬を連れ出しては近所を短く散歩させて、数時間寝て今起きてこれを記している。
 一晩寝ればい腰は治るかと期待したが、今もちょっと体ひねっても激痛が走るし咳するのも痛い。

 実は今日は、国立でお世話になった友人の70歳の誕生日記念ライブイベントがあり、何をさておき行って少しでも何か手伝う予定で何ヵ月前から予定に入れていた。が、これでは車で行くにしても向うで動くこともかなわない。何しろ立ち上がることもできず、立って歩き出しても痛みが走ると不意にその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまうのだ。今も何とかあちこち本の山に掴まり、それを崩しながらパソコンの前にやっとこさたどり着いた。
 父の体調様子見のこともあって、彼には今日行くことはきちんと伝えてはいなかったが、力になれず何とも申し訳なく思う。そして本格的に60代が始まったとたんのギックリ腰になるとは、何とも言えず不安を覚える。精神的鬱も辛いが、身体的痛みに動けず寝たきりもまた別の辛さがあることに気づく。

 今もともかく無理してでも国立へ行くべきか迷っているが、ここで無理すれば本当に寝たきりとなるかもしれないし、これもまた何かのメッセージなのかもしれない。今日は出かけず家にいろという警告なのかも。

 椅子に座って何とかここまで一気に書いたが、もう背中はピンピンに固くなっていて立ち上がる事すらできない。寝ても痛みが去るわけでないし逆に動かさないとますます固まってしまう。が、何しろ上半身の重さを腰が支えられないのだから横になるしかない。
 ただただ情けない。まあ、今日は父が不在だけが幸いだが。またもう少ししたら犬が、猫が騒ぐのでまた階段うんうん唸りながら降りて餌やったり世話しないとならない。 

 また報告いたします。ご心配おかけして申し訳ない。

コメント

_ ふく助 ― 2018/08/19 18時40分16秒

絶対安静です

_ 館野公一 ― 2018/08/20 12時16分01秒

昨日会場でお見かけしなかったので、どうかされたのかと思っていました。ぎっくり腰では動けませんね。確かにそれは「お休みしなさい」という印だと思います。
ちなみに、芸小ホール地下スタジオは盛況でしたよ。

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