一年ぶりに京都の街を歩いて2011年05月02日 22時43分05秒

★街は変わる。人も変わる。

 今日は世間は月曜日、5月2日、春一番コンサートは会場は開いていて何かしらイベントをやっているのだと思うが、自分は京都に出た。

 昨年おせわになった詩人の有馬さんはちょうど岩手のほうに出かけていて不在なのは知っていたが、他にも会いたい友人がいたし、用事も約束もあったので気分転換をかねて、行きは淀屋橋から「おけいはん」の京阪に乗っていった。

 去年の春一のときは京都に寄らなかったかもしれないが、ともかく1年は経っての京都である。せっかく関西に行ったのだからと、母に向こうからお見舞いを頂いた人たちへ快気祝いとして何か送れと命じられてもいたので、錦市場で若狭の焼サバやら生八つ橋やらいろいろみつくろって郵便局で箱詰めして送ったりでほぼ日中は終わってしまった。またこの一年で京都の街もかなり変わっていて失望もした。


 新緑の美しい古都の春を堪能できれば良かったのだが、正直なところ、黄砂のせいなのか目に映る景色がなぜか白っちゃけて見えて、心から綺麗だと楽しめなかった。ふと気がつくと今年の春一のことや、無理を押して旅行に出たことが良かったのかとか残してきた親たちや犬のことをつい考えてしまっている。

 いつもは京都に行くと大阪とはまた別の心ときめくような思いが湧くのだが、今回はどうしたことか心から楽しめなかった。それは、時間的余裕もなかったし、明日からの残りの春一番のことをつい考えてしまうからでもあるのかもしれない。こんな気分は初めてだった。

 外の世界は内面の思いを照らす鏡だとも思うが、気持ちに迷いや曇りなどの悩みがあると風景にしっかり入り込むことはできない。老い弱った親たちを残して自分はいったい何をしているのかという問いかけが常に頭に鳴り響いている。やはり何事も余裕がないとダメなのと、当たり前のことだが全ては移り変わっていくものだとまたもつくづく思う。永遠に変わらず続いているものなんて何一つない。

 じっさいのところ、大阪や京都や春一番が変わったのではなく、自分自身が去年の今頃とはまったく変わってしまったのだと思う。母が危篤状態になり神や仏、神社にも行き連夜祈ったこともあったが、親友を亡くしたり昨秋の大きなライブの興業的失敗と関連して友人たちとの人間関係に支障を来したり、たくさんのトラブルも続いた。
 音楽の力を今だって信じているし、愛しているが春一というこうした素晴らしいコンサートの場に立ち会えて幸運、光栄だと思うのに、なぜか去年までとは違和感を感じて心から楽しめやしない。
 そのことは大阪や京都の町自体も同じ感じがするのだから自分のせいなんだと思うしかない。いったいどうしてしまったのか。

 京都の駅前にはどかんとヨドバシカメラの大きなビルができていてまずそのことに驚かされた。あのろうそく型のタワーのある建物のすぐ裏にである。確か前に行ったとき工事していたかと記憶もするが、まさかおしゃれでハイテクなメディア館が京都にできたとはびっくりした。確か町はずれにビックカメラのビルもあったと記憶するが、京都の人は喜び便利になるかと思うが、ついにブルータスお前もかという気分になった。

 そして高田渡が京都山科に住んでいたルート、東山から三条にでる通りにあった、爺さんと婆さんでやっていた小汚い食堂も消えていて、京都に行くたびに常にそこで食事してたのだが楽しみがまた一つなくなったと悲しく思った。裏通りはともかくも今京都は昔からの古い商店が次々と新しくファッションビルへと建て替えられている。

 まあ、それでも母の用事を済ませて、六曜社でコーヒーを飲んでマスターのオクノさんに挨拶し来月の東京ライブの話もできたことだし、夜は夜で今や旧友的なネット古書店仲間、壬生書房のおっちゃんと愚痴こぼして呑めたから気も晴れた。
 京都にはまだもっともっと会いたい会うべき大事な人がいるのだが、今回はともかく時間も余裕もなく北大路のほうにまで足を延ばせなかった。
 残念な思いを抱えつつ、9時ころ阪急大宮の駅近くで古本仲間と別れて、阪急の9時25分発の快速急行に乗って大阪に戻ってきた。思ったより早く、行きの京阪に比べて今泊まっている動物園前駅まで乗ったら一時間もかからなかった。でも出口が違うのか、地上に出るまで迷い慌てたが。※昔、パリの地下鉄内で、地上に出られず地下道をひたすらパニックになりつつ歩いたことがトラウマになっている。


 こちらに来てから書いたブログについて心ある読み手の方からご心配頂いたが、すべては起こるべくして起きることだと思うし、すべては変わるものだと今日改めて思い至ったので、どんな事態になろうとも受け入れていく覚悟はできている。

 また、ついでに書かせてもらうと、今、この時点で自分の思うところ、考えたことがすぐに外に発表できることが本当にありがたい。無線LANでネットにつながらないまま、内心の屈託する思いを抱えつつ外から帰って狭い三畳部屋以外に居場所がないとしたら悶々鬱々となって発狂してしまったかもしれない。
 
 携帯を駆使してちょこちょこ何やら画面を見てボタンを叩いている若い奴らを見て嫌悪したり、電車内や喫茶店でもノートパソコンに顔を引っ付けている奴らを前は軽蔑していたが、今だから言うがどこにいても世界とアクセスでき発信できることは素晴らしいとつくづく思う。それを気持ち悪いと言う人もいるし自分もそう思う側だったが、便利なことは決して悪ではないはずだ。インターネット万々歳だと自分は考えている。
 今アラブ、イスラム諸国で多発している革命を見ればわかることだが、ネット社会は世界を変える。それは人を変えるからに他ならない。

 この世におこる全てのことは必然なのだから、ツイているとかツイていないとか失敗したとかは考えない。ともかくまた大阪に来れたことだって奇跡的なのだからそのことにまず感謝して受けいれていくことが大事なんだと思い直した。

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