ようやく少しは腰をすえて2013年11月11日 14時55分25秒

★季節に少しでも追いついていく。 アクセスランキング: 207位

 明け方にまた雨が降り今朝はかなり冷え込んだ。朝の外気温は10度そこらであった。今の季節は一雨ごとに寒さが増していく。
 今さっき、晴れたと思って溜まった洗濯ものを干したらにわかに曇り冷たい北からの強風が吹き、またザーと雨が降った。寒冷前線が来ているらしい。この強い吹き荒れる風は木枯らし一号か。

 ようやくウチでのイベント企画はほぼ終わり、あとは12月1日の「映画塾」と年末恒例のクリスマス忘年ライブで今年も幕を閉じるだけとなった。
 そんなわけで今月はもうお客が来る用事はなく、ようやく腰を据えて部屋の片づけから本の整理やら移動まで自分のことにじっくり専念できる。このところイベントが続いたのでそのスペース作りが優先され自ら未整理・未処理のタスクが溜まってしまっていた。今月はそうした「自分のこと」に時間と手間をかけていきたい。

 懸案の倉庫撤収と、山梨への在庫移動も本格化させていく。誰もが同じかと思うが冬支度も急がないといけない。このところ季節は暑さ寒さに二極化しているから夏の暑さに正比例して冬も厳しく長く冷え込みそうだ。まだ薪ストーブの手入れ、煙突掃除もしていない。年内にやることは山ほどある。
 季節は常に先回りし、自分は永遠に追いつけないが、必死に追いかけていくしかない。やがて取り残され途方に暮れるだろうがそのときまでまだ少しは時間がある。
 ともかくまだ生きて在ること、それだけで有難い。感謝せねばと思う。

 今おんぼろ車も車検に出して庭にないのだが、戻ったら親たち乗せてまた山梨へ行ってくる。今が黄葉の盛りだと、古民家の管理されている方から先日電話があった。山はかなり冷え込むだろうが、向こうのガラクタを片づけつつまた鉱泉に入ってくる。

 秋には秋の憂いもあるが、また喜びと味わいがある。満喫してこようと思う。今月は精力的に本の移動で山梨へ行くことが多いはずだ。日程が出たら告知しますので、同行されたい方はお気軽に連絡を。移動と宿泊にはお金は一切かかりませんので。

右腕療養のためブログ小休止を2013年11月12日 22時25分58秒

★明日から湯治に山梨へ      アクセスランキング: 188位

 寒くなったなあ。木枯らし一号が吹き荒れてから突然冬がやってきた。12月だか1月の気温だとテレビのニュースでは報じていた。本格的に冬支度しないと風邪が悪化する。

 以前も書いたがしこたま酔って転んで痛めた右腕がちっとも治らない。あれから二か月近くたつのにだ。

 先だって立川の病院でレントゲンも撮り診察受けたかぎりでは、特に骨などは折れてなく、肘の靭帯が伸びたかそこを痛めているのではと炎症を抑えるサロンパスのような鎮痛消炎の貼り薬を出してくれただけだった。
 が、そもそも転んで打ちつけたのは右腕の肘部分だったのに、今も上腕から二の腕まで鈍く痺れたような傷みが続きいつまでもとれない。肘だけでなく右腕全体に鈍い痛みが残っている。
 要するに筋肉痛のようなものでパンパンに腫れて熱もつときもある。シップで冷やせばいくぶん楽にはなるが、その鈍い痛みは変わらずに続いている。
 別に始終常にじんじん痛くて我慢できないほど強い痛みではないが、力は入らないしよく動かせない。箸を持つのもちょっとしんどい。つまり手首なら腱鞘炎のような、肘を中心とした右腕の筋肉が炎症を起こしているのだと判断できる。
 つまるところ古本屋稼業は思いものを始終持ったりもするし、このところ車の運転でかなり高速道路を走るに長時間力入れてハンドルも握ったりもした。またパソコン作業でもキーボードを叩く。これはそうした職業病とも思える。それがたまたま転んで肘を怪我してから誘発されたのではないだろうか。

 治療としては、要するに使わないで休ませれば良いのである。ただ、つい長々とブログを書いたり、寝床で寝ながら本などを掲げて持ち上げて読んだりするとてきめんに傷みが激しくなる。ようするにこって、筋肉が硬く凝り固まり熱持ってくるのがわかる。文字をペンで書くのだって痛みが悪化する。

 ましてノートタイプのパソコンは、手を中空に持ち上げてキーを打つからまた右腕に負担がかかる。これではいつまでたってもこれは治らない。
 で、明日からまた一泊二日で、山梨へ行き、ともかく鉱泉へ浸かって患部を温め休めてほぐして来ようと思う。また、デスクトップのパソコンが戻るまでは拙ブログも控えめにしようかとも考えた。

 書く価値があるか、読み手がいるかはともかく、書きたいことはいっぱいあるし書くことも溜まっている。が、今はできるだけ右腕は使わないようにしようと決めた。晩年の水上勉のように、今は口述でも執筆できるパソコンソフトもあるようだが、何もそこまで書かねばならぬブログでもないし読み手もいない。ただ日常生活上もこのままではとても困る。このダルク鈍い痛みは気持ち悪いしやはり不便でならない。針とか指圧とかで治るならばそれも試してみたい。

 そのようなわけでして、今週は金曜日ごろまでこのブログ更新はない。むろん、後から腕も良くなり書き足せれば書き足しておく。が、戻るまでいずれにせよパソコンとは間をおく。緊急の用件は携帯のほうにかけてください。山のなかなので電波すらよく届かないこともあるのであるが。

 戻ったら画像で黄葉風景などを報告したい。皆様も寒さにご用心、どうかご自愛ください。

お休み2013年11月13日 09時12分46秒

★晴れた。これから山梨へまた        アクセスランキング:215位

もう一つの日常の中の非日常なできごと2013年11月14日 22時18分31秒

★いったいそこに何がいるのか アクセスランキング: 172位

 一泊二日で家中みんなで出かけて夕刻早めに帰ってきた。天気は良く山々の黄葉も見ごろで満喫できた。
 が、毎度のことであるが、疲れに出かけていくようなものだと思える。よぼよぼの超老犬バドと認知症の親父たち、その他にやんちゃ盛りのベルコと準老犬ブラ彦乗せて犬三匹、人三人の外出は、渋滞に巻き込まれなくてもその世話だけで疲労困憊である。ともかく目が離せないし世話がやける。

 鉱泉も入れたが、親父は例によって先に出ると騒ぎ、実際に勝手に出てしまったので、自分としては物足りない気分で出ざるえなかたが、それでも一時間半は入れた。願わくばその倍は浸かっていたい。
 そして問題の右腕のほうは、連日の高速道での運転したわりには温泉効果のせいか行く前よりは楽である。しかし風邪が悪化したようで今は喉というか鼻の奥のほうが痛い。咳も出ている。本格的な風邪に進行しなければと願う。温泉に行ったのにどうしてそんな事態になったかというと、昨晩はほとんど一睡もできなかったからだ。
 寝たには寝たのだが、まったく熟睡できなかった。その理由について書くべきか迷ったが、書いておいたほうが良いかもしれないのであえて書く。

 今回、山梨県北杜市須玉の古民家へ行ったのは、紅葉観覧と鉱泉での湯治もあったが、向こうの室内の片づけと、前管理者の方と水道料金など支払いの手続き移転、それにプロパンガスの設置と契約もあって親たちも連れて一家全員で行ったのだ。
 今まではガスが切れたままでつかないからお湯わかすのも電熱器を使っていた。ようやくこれで自由に調理できることになった。あとは風呂がまだ使えないが、近くに鉱泉以外にも公営の温泉がいくつもあるのでそれは急がない。

 しかし前も書いたことだが、こうして頻繁にその古民家に出かけるようになり泊まってくると、もう当初の非日常感、目新しさやドキドキ、わくわくするような新鮮味は失せて、ただ場所が変わっただけの「日常」でしかなくなる。しかし、まだ完全に自由に使えるわけでもないし、前所有者方の荷物などがかなり残っていることもあり、やるべき課題も多々あるので緊張感はまだある。気持ちも何も完全に自分んち、自分の家というわけでは当然ない。ただ、行くとやはりここもまた「日常」化してきたなあと思う。

 そしてたぶん結婚もそうであるように、時と共に醒めた目で「相手」をしげしげと見直すと、やたらアラ、問題点も目に付くようになってくる。最初の頃は目新しく素晴らしさに夢中で気がつかなかったが、やはりここは古民家というからにはあちこちガタがきているし外から見てもペンキを塗ったり雨樋や瓦の補修など手を入れないとならないことばかりなのである。

 今自分の住んでいるこの家だって手をいれるべくやるべき課題は山積みの状態で、バカなこと=もう一つ別の場所という新たな日常を手に入れたことをやや悔やみ始めている。しかしそれは結婚がそうであるように、結婚したから気がつき、一緒に住み始めたから相手のアラも知り目に付くようになったわけで、独身のままでは絶対わからないことだったのである。
 ならばそうした「欠点」や「失望」もまた仕方ないのだと、結婚したことのない自分も考え、この古民家の「問題」も受け入れていくしかないのだと考えた。

 と書きつつも、まだ一年も経っていない。初めて訪れたのが五月の連休だったのだからようやく半年。季節は春から夏へ、そして今、秋から冬へと移り、初めての冬を体感し始めたところなのだ。そしてそこには新たな新鮮な驚きもあった。当然予期してはいたがやはりここ、山梨の山奥はかなり寒いのであった。

 今朝方は東京でもこの冬一番の寒さだったそうだが、朝はそとは霜が一面におりていたし、車は夜露が凍って冷凍庫のアイスクリームのようにフロントガラスからボディまで真っ白に硬く薄氷に覆われていた。外のバケツのたまり水も凍って簡単に割れる暑さではない氷が張っている。
 幸い水道が凍るほどの寒さではないが、昨晩は厚い布団をかけて寝たが体よりも顔が寒くてひりひりしてまず眠れなかった。何しろ広い大広間なので暖房器具は基本的に何も備わっていないのだ。起きているときは灯油ファンヒーターをつけて暖をとっていたが、寝るときは消す。当然布団しか体を温めるものがない。すると布団から出ている顔がやたら寒いのである。

 しかし、ほとんど眠れなかったのは実はその寒さではなく、「音」であった。ようやく少しうつらうつらすると、ごそっ、ごそっと二階を?屋根裏を、誰かが、いや何かが歩く音がする。寝ぼけていたから最初はウチのブラ彦が二階に上がって歩いているのかとまず考えた。しかし、犬たちは全員布団の中や足元に丸くなって寝ていた。ということは、何か、その犬ほどの大きさのものが二階か屋根裏を歩いているのである。その足音がうるさい。
 ネズミかと考えた。しかしネズミは昨年の冬、ウチでも繁殖し、退治するのに苦労したが、もっと素早く軽やかに走る。その何かはかなりゆっくりしっかりとした足取りでのしのしと歩いている。感じとしては小動物の大きさではなく、イヌ科の何か、タヌキとかハクビシンとかあるいはもっともっと大きい「何か」である。

 ひとしきりかなり大きな音でごそごそうろついてたかと思うと、静かになる。それでこちらも収まったかと思いうつらうつらするとまたそれが始まる。そううしているうちに親父もまたがさがさと小便に起きだし、シビンをあれこれしているようでまた起こされる。最初にその「騒動」に気がつき目覚めたのが午前一時頃で、それから何度も騒ぎは起こり、まだ暗い中、繰り返し「物音」に起こされて長い夜を過ごした。気がついたら朝で眠った気はほとんどしなかった。

 その古民家に泊まったのは、初めてではなく、親たちとも既に数回、ウチの社員とも何回か、自分一人でも一回ある。でもそんな物音はこれまで一度もしなかった。初めての経験だ。寒くなってきて何かが外から入って来たのか。ネズミなのか、いったい何なのか。今朝方、もう一度二階とかよく確認したがどこにも外から入れる隙間はみつけられなかった。

 親父はボケてるので何も気づかなかったが、母に確認したら犬は布団の周りをうろうろしてたようだが、物音は気づかなかったと言う。ならば自分の幻聴なのだろうか。しかし確かにあきらかにかなり大きい何かが、屋根裏をしっかり歩いていたと思えた。睡眠を妨げるほどの大きな音でだ。それは確かに体感した。
 このところ室内のガラクタを一部屋づつ、前持ち主の家族の方も来て片づけて室内をカラにしてきたから、追い出された何かが、動き出したのかもしれない。佐藤愛子先生が体験した霊障譚ではないと思うが、ともかくちょっと面倒なことでもある。ただでさえ睡眠が浅い自分としては死活問題ともなる。この古民家からそれはぜひ出て行ってほしい。第一、そいつがいると皆気軽に遊びに来てくれなくなる。

 暖房対策もしっかり考えなくてはならないと気づかされたが、それと並んでその真夜中にごそごそ歩く「何か」問題も何とかしないとならない。まあ、結婚もそうなのだろうが、住んでみないとわからないし、住んでみてもしばらくしてからわかることもあるのである。

抱える人と抱えない人2013年11月15日 21時10分29秒

★人はそれぞれ抱えているものが違うが    アクセスランキング: 243位

 当然のことながら人はそれぞれ抱えているものは異なる。
 今日、自分にかけられている生命保険を故あって解約した。今から20年ぐらい前に、親たちが勝手にかけて、母が受け取り人になっていたものだ。安い保険だったが、自分が死ねば400万ほど受け取り人である母が受け取る。かけたのは親父である。

 それが変動相場制だとかで、詳しいことはわからないが市場の金利に左右され、このところずっと不況だったから解約しても40万ぐらいしか戻らないので長年ほったらかしにしてあった。が、このところの好景気感で、今日は平均が1万5千円を久々に回復したので、すぐさま解約することにした。そしたら60万ぐらいにはなるらしい。アベノミクス様様である。
 そもそも最初いったいいくら支払ったのか知らないが、自分の値打ちなんてこんなものなのだとヘンに納得してしまった。いや、じっさいこんな保険まったく意味がないのである。自分が死ねばある程度まとまった金が親たちに入るとしても彼らもまたすぐに死ぬわけだし今もそうだが、このマス坊が死のうが生きようが彼らはそもそも何一つ経済的に困りはしていない。確かに世話する人間がいなくなれば不便になるが、その金額が入ったからといって楽できるわけでもない。
 こうした死亡保険は、妻子がいて、特に子供がまだ小さい場合など、もしものとき残された家族にとって大いに役立つものなのである。愛する妻子や住宅ローンを抱えている方には生命保険はそれなりに必要かつ重要なものなのだ。

 まあ、それでもその60万はいまのこの家にとっては大いに助かる。山梨に行くたびに一回のガソリン代と高速料金を合わせれば1万円はかかってしまうし、行けば行ったで何かしら向こうで買い物したり食事もするので結局また一万円の、都合2万円は使ってしまう。また現地のガス、水道、電気代だって別個新たに支払うことになった。使っていなくても基本料金はとられるのでそれもまたある程度の新たな出費なのである。
 その60万円が戻ってくれば、山梨の古民家に行くのにかかる経費30回分となろう。月に一度親たちを連れて鉱泉に入りに行くとして、約3年分。そのぐらい先はまだ彼らも生きているだろうからちょうど良い。自分の命、生命保険と引き換えに、得た金の使い途としては最適ではないかと思う。

 けっきょく、別宅というのか、廃屋に近い古民家でも新たに一件抱えてしまうとまたその維持費がかかる。収入がろくにない者が、どうしてそんな愚かにも「別荘」を持とうなどと考えたのか、堅実な方から見れば笑止千万ものであろう。家でも何であろうとも新たにまた何かを抱えることはそれなりに計画的な判断が必要なのだった。
 たとえば老人が犬猫を飼うとしたら、その動物を最後まで看取れるかも自らの年齢と照らし合わせて決めねばならないはずだ。下手すれば人が先に逝き、動物が残されかわいそうな事態となることもあろう。まあ、そのとき、必ず面倒を看てくれるアテがあるならばそれも良いが、迂闊に老人が新たに動物を飼いだすのはそれなりに思慮しないとならないのであった。
 このところさすがに自分も歳とって来たのでそうしたことを考えることがある。どんなことでも抱えること、つまり維持していくことは大変なのだと。

といっても今でも人の数倍、数十倍もの本やレコード、その他何でも昔の旧いモノを抱えて、一人でそれに囲まれ身動きとれないような自分がそんなことを言う、書く資格はまったくない。ただ、人はそれぞれ抱えているものは違うし、逆にそれがあるからこそ生きがいだったり生きている理由にもなることはまたあることにも気づく。
 妻子を抱えているから仕事を頑張れるし、今の自分にとって老親を抱えていることが大変でも自分が生きている存在理由にもなっている。じっさい妻も子孫などいないこの身は、一人ならばどうなっても全く構わないのである。まあ、そこに親や犬猫たちという世話する「家族」があるからハチャメチャにならずに何とか生きているわけで、1人ならすぐに自滅していくことは間違いない。
 また、様々な悩みや不安を抱えていることが逆に思索や対策対処の道へと続いていくわけで、何一つ心配のない満ち足りた状況は憧れはしてもきっと居心地が悪いかと想像する。

 今の時代、断舎利とかで、終活だか何だか気持ち悪い言葉がはやっていて、確かに老いてくればその先の死に向けて対策や準備もせねばならないのは確かであろう。抱えているモノを少しでも減らして少なくしてスッキリしろというのが世間の風潮だ。しかし、ありとあらゆるものを普通の人の何十倍も抱えているこの身としては、今さらそんなことに残りの人生を費やしたいとはまったく思わない。むろん整理整頓して散乱を片づけて綺麗にはしたいとは思うが。

 人は死ぬときは何一つあの世へ持っていけないのだから、嫌でも抱えているものをそのとき手放さなくてはならないのだ。そのときはそのときで、残された人たちに迷惑はかけるかもしれないが、逆に子孫もなければ知ったことではないという気さえしている。
 オレが死ねば同好の友人知人たちが欲しいモノは皆で本でもレコードでも何であろうと勝手に持って行ってくれれば良い。そのうえで残ったガラクタは行政がゴミとして全部処分してくれるだろう。じっさいそんな風にして死んだ人を知っている。

 友人には、学生の頃から40年近くも下宿の四畳半で暮らしていた人もいた。つまりそれだけ何も抱えないのである。また、若い時から転々と身一つで住居定まらずに生きている人も知っている。
 そうした人ならふとどこかへ旅に出たいと思えば即ヒッチハイク的にそれこそ世界中どこへでも出かけられる。それは憧れであり実に理想的だ。自分もうんと若いときは抱えているものが少なかったから、身一つでどこへでも行けた。だが、いつしか「抱えること」が存在理由のようになって今では移動は犬や親たちも連れての山梨の「別荘」ていどなのである。今の状態では一週間だって一人で自由にどこかへ出かけられない。

 しかしそれもまた仕方あるまい。抱える人と抱えない人がいる。自分は何でも抱えるほうを選んだのだからこれからも生涯それらを抱えて生きていく。やがて抱えられなくなる日がくるまで抱えていく。

小泉元首相の「回心」について思う・前2013年11月16日 10時46分48秒

★いったい彼に何が起きたのか、それこそが知りたい。 アクセスランキング: 253位

 イエズス帰天後、残された初期キリスト教信者たち(正しくはユダヤ教イエズス派の人たち)は、結束し共に皆で原始共産社会を営んでいた。が、イエズスに代わり教えを説き最初の殉教者となったステファノの虐殺を機に教団への迫害と弾圧が始まる。

 その殺害に加担したサウロという若者は、厳格なユダヤ教原理主義者として、さらなるキリストの信者たちを迫害するため勇んでダマスコへ向かいその帰り途のこと、
 「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というイエズスの声とともに天から光が輝き彼を包んだ。彼の目は開いても何も見えなくなりダマスコで三日間飲み食いもしなかった。
 ダマスコにいたイエズスの弟子にサウロのもとに行くように霊示があり、彼の頭に手を置き精霊に祈ると、サウロの目からうろこのようなものが落ち再び目が見えるようになった。そしてサウロはすぐにイエズスの宣教を始めることとなる。
 これが巷間伝わる「目からウロコが落ちる」という故事であり、このサウロこそ、後の大使徒パウロなのである。このことは新約聖書の中の「使徒行伝」に「サウロの回心」として詳しく記されているからご存知の方も多いだろう。

 このパウロこそがペテロと並び、キリスト教をユダヤ人の民族宗教から世界宗教に育て上げた論理的指導者なのである。つまり、キリスト教とはイエズスの説いた教えを元にパウロによって宗教として成立したと理解されている。
 しかし、聖書にある「教会を荒し、家々に押し入り、人々を引出し牢に投じ、なおも威嚇と殺害の気に満ちていた」サウロが、「回心」し、180度の転向を果たしキリスト者となるとはまさに奇跡でしかない。主は「彼は私が選んだ器である。私の名を異邦人や王やイスラエルの子らにもたらすのは彼だ。私の名のためにどれほど苦しまなければならぬか彼に教えよう」と言われたと記されているが、このサウロに起きた大事件こそが、キリストの復活と並ぶ絶対に常識ではかれない、ありえない「奇跡」だと思える。自分はそこに深い感動を覚える。

 ながながと聖書の故事をひいてきたのは、小泉元首相の最近の脱原発発言を知り、パウロのことを思い浮かべたからだ。自分にとってこの男は原発推進論者としてまさに「威嚇と殺害の気に満ちていた」かつてのサウロであり、回心後も当初、信者たちは彼を疑い何かの企みかと怖れていたとあるように、今も自分は彼を信じて良いものか大いに迷うところだ。
 しかし彼のインタビューや講演記録を読む限り、彼の言っていることは愚直なまでに正論であり、自分の考え、気持ちとまったく違わない。だとしたら彼の「回心」は本物なのであろう。しかし、いったい彼に何が起きたのか、なぜ回心したのかそのことが訝しく不思議でならない。これもまた信者狩りの急先鋒であったサウロを神の僕、信仰の徒に導いたように、神の意思、彼もまた選ばれた器なのであろうか。

 長くなるのでもう一回この件について書く。

小泉元首相の「回心」について思う・後2013年11月17日 23時29分07秒

★亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国   
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 小泉元首相の「原発即ゼロ」発言について書いている。

 もはや原発再稼働、そして新規建設はありえないことは国民的人気を今もほこる小泉氏が言うぐらいなのだから、良識ある国民誰にとっても「常識」なのである。
 彼の先だっての日本記者クラブでの「講演」記録を読んでその思いを強くした。が、この日の記者からの質問応答でも何故彼が推進派から脱原発へと舵を切ったのかその本当の真意は見えてこない。

 ある意味、ポビュリスムの権化のような、大衆の心理をつかむのに長けた彼特有の無意識的時代認識ではないかという気もする。
 というのは、原発以外についても普天間基地移設や、中国や米国との関係の問題についても語っているのだが、それは相変わらずの「与太話」のようなものであった。つまり彼自身の根幹、その基本の姿勢は何も変わっていない。もし本当に「回心」したのなら、野中元幹事長たちのように赤旗にも登場して今の自民党政権批判を繰り広げるだろうから、あくまでも「変化」したのは原発に関してだけの彼の認識であろう。

 だが、彼の言っていることはごく至極真っ当であり、誰も異を唱えられない。脱原発を言うならば対案、代替案を示さないのは無責任だと言う批判に対しても、小泉一個人で示せと言われてもできやしない。ただそれはもう国民意識の大きな流れなのだから政府が決断し国家を挙げて新技術を生み出して代替エネルギー確保に取り組んでいけば良いというのも正しい。
 そして原発即ゼロ、と決定しない限り、そうした国家的気運は高まらないし、動きは加速しない。この国の英知を結集すればそれは必ず成し得ると筆者もまた彼に強く共感する。

 じっさいのところ、原発は昔から「トイレのない家」だと言われてきた。小泉氏が言うように核のゴミ、つまり「高レベル放射性廃棄物」の処理場はどこにも受け入れ手がないのである。それは3.11以前もそうであったし、フクシマの原発事故後にそれを受け入れたいという自治体が現れるはずもない。ということは、まさに今も原発とはトイレのない家であり、その上でなおも原発は必要、再稼働するならば新規建設も有り得る、と口にする者こそ「無責任」である、とはまさに「異議なし!」である。このまま溜まり増え続ける核のゴミをどう処分するのか原発再稼働論者に自分も訊いてみたい。
 
 このことは、ひとたび事故が起きたら大ゴトとか、安全性は確保されたからもう事故はまず起きないとか、いう次元の論争ではない。もう二度と放射能が漏れだすような事故が起きないとしてもその核廃棄物の処理をどうする算段でいるのかということだ。小泉氏が言うように、うんと地下深く埋めたとしても何万年も先の人類に危害が及ぶ可能性だってあろう。
そもそもこの脆弱な地盤の地震大国に50を超す原発を作ってしまいその処分場も定まらないという事態が異常だったのである。小泉氏もようやくそのことに目が開いた、ウロコが落ちたのだと思える。

 ただ、氏は、首相が決断すれば即原発ゼロは可能だと言うが、政治家である限り、いや、政権を担当する側にいる限りそれは難しい、まず不可能だと自分は思う。小泉氏は今はほぼフリーの立場であるから好き勝手なことを何でも言える。まあ、元からそういう性格でもあった。が、財界の支援を受けて、その顔色を常に窺っている政権担当者たちが、「本音」を口にできるのは、野中氏、古賀氏のように政界を引退し後援してくれた彼らと縁が切れてからのことで、現役中は絶対にできない。それは野党時代の民主党がマニフェストで、コンクリートから人へとか、脱ダム宣言や公共事業抑制を掲げても政権をとったとたん、それらは腰砕けになったように、要するに財界と米国の顔色を窺いつつでないとこの国の政治は立ち行かない。

 じっさいのところ、原発再稼働は財界の意向、方針なのである。国民がどんなに脱原発を叫ぼうと、日立や東芝ら本業の家電がダメで、海外での原発製造受注で何とか企業存続を図ろうとしている大会社としてはまず日本国内で原発が稼働してくれないことにはセールスもできない。国内では原発ゼロを掲げて海外では原発建設という二枚舌では商売は成り立たない。ゆえに、原発再稼働と新規建設は国策としてこれからも続いていく。

 ただ、今回の小泉氏の発言には勇気づけられた点も多々ある。もはや政治や政治家に期待して、彼らに何かをやってもらおうというのは無力ではないかと自分も考えていた。手順から言えば新しい脱原発政党やそうした勢力を結集させて選挙で議席を増やしていくべきだと思う。しかしそんなことを言っていたらたぶん永久に原発はなくならない。即ゼロ!にしろという強い国民全体の声を国民一人一人が常に叫び続けることからモノゴトは動いていくのではないか。

 まず民主的勢力を結集してなんてゆうちょうなことを言っていたら原発は次々とまた再稼働されていきそうこうしているうちに巨大地震がまた起きる。そのときにまた「想定外」の事態が起きるかもしれない。ならば小泉氏が言うように、一個人がその思いをもって行動していくしかない。

彼は言う。

 私はいろいろな人から、「新党を考えたらどうか」とか「『原発ゼロ』を展開している人と連携したら」と言われるが、それぞれの立場でやった方がいいんじゃないかと。主張を展開するときには、誰が賛成しているか、誰が反対しているかというよりも、やっぱりやむにやまれぬ気持ちがないと公に自分の主張は展開できない。「一人でもやる」という気持ちでやらないとダメだ。
 連携を呼びかけている人には、そう言っているんです。「自分は本当にこう思うんだ」ということを展開していかないと、なかなか世の中は動かせない。
 国民が本当に「原発ゼロ」の社会を望むなら、国民の皆さんもそういう気持ちを持って運動していけば、必ず政権に届くはずですよ。
                                        
 この発言は重い。

日本人は今、ぬるま湯の中のカエル2013年11月18日 23時23分49秒

★こうして皆で少しづつ煮られていく      ランキング230位

 このところ秘密保護法のことが気にかかって仕方なく夜も眠れない。が、世間の皆さんはいささかのどかなもので、自分の側と思える人も大して気にかけていないようで不思議でならない。まあ、カエルの実験に見るがごとく、いきなり熱い湯にカエルを投げ込めば、カエルは驚いて飛出し逃げるが、ぬるい湯に入れてしだいに温度を上げていけばそのまま茹で上げることができる。そのようにして国民も気がついたときはもう遅く、カエルのように煮られて殺されてしまうのだろう。しかし、この法律はかなり熱い湯だと自分は考えるが世間の方々にはそうではないのかもしれない。

 温泉でも風呂でもどのぐらいの温度がその人にとって適度なものか、心地よく感じるかはそれぞれ違う。モノを書こうとか情報を発信しない人にとっては、この法律でスパイができなくなり国家機密が守れるならば良いことだなどと政府のおっしゃることを真に受けるのであろう。
 と、こんなことも何らかの秘密事項にあたるとして、何がいったい法律に違反したのか説明もないままに逮捕される。そうした時代が間もなくやってくる。好き勝手政府や政治家たちの批判や悪口をさんざん書いてきた自分のようなものは、今その覚悟を固めている。口をつぐめ、目をふさげ、耳を押さえろとお上に言われれりゃ私もそうする。しかし、このインターネットの世紀に、旧東側、あるいは今も残る歪んだ共産主義国家のような当局のし放題は誰が考えても歴史に逆行している。

 どれほどの罰則でもって政府が隠したいことを「秘密」として世に知られてはならないと厳しく管理し秘匿したとしてもそれは絶対に漏れるし世に知られることとなる。安倍政権としてはもういちど(旧い)日本を取り戻した つもりかもしれないが、歴史は繰り返さない。いや、繰り返したとしても世界情勢、社会状況も昔とはまったく異なる。
 たとえば自民党改憲案では国民は「家族」を一つの単位として規定しているが、その家族だってこれだけ独身者が増えてしまえば制度自体が成り立たない。それと同様に愛国心だって道徳だって、すべてが昔とは異なっている今、いかに過去を懐かしみ過去に倣おうとしてもそれは無理だ。

 やれTPPだ、市場開放、グローバルスタンダードだと、掛け声勇ましく世界に門戸を大きく開くならば、国内を、国民を厳しく取り締まることなんてできなくなる。消費税だって直輸入で入ってくる、取引される商品はどうするのだろうか。
 ジョン・レノンが夢見た世界ではないけれど、やがては国家なんて単なる地形的線引きに過ぎなくなるのではないか。民族はあろうともアメリカのような人種のるつぼへとこの国も変わっていく。これだけ外国人が入ってきて国際結婚も進めば、「日本人」とはヤマト民族だとは括れなくなるだろう。

 どれほど安倍首相が過去の日本にこだわり過去に戻そうと様々な都合の良い法律を拵えようとも歴史は戻せない。

修理に出されていたパソコンは戻ったけれど。2013年11月19日 20時07分06秒

★まだ元通り繋ぐこともままならずに
現在のアクセスランキング: 237位

 買って一年も経たないのにハードディスクがいかれて、ハードディスク交換だと、引き取り修理に出す羽目になった富士通のパソコンが戻ってきた。予想よりも早く先週半ば、山梨に出かける日の朝、配送された。が、今もまだ配線も何も繋げてもなく、相変わらずノートパソコンでこれを打っている。

 そのパソコンをネットに再び繋げて、メールなりブログなり再開するためには、いったんもう一度同梱されていたウインドウズのこのマシン用のプロダクトキーを打ち込真なくてはならない。が、それ自体、届いたときのセット一式が見つからないのである。

 もとより性格破綻し、きちんと管理できないだらしない性格のところに、このところ頻繁に来客があり、その都度未整理の書類などをあちこち場所づくりに箱詰めして移動させたりしたので、それがどこにあるのかわからくなくなってしまった。むろん、そうしたリカバリーセットは万が一のとき必要なものであるから捨てたりはしない。が、一度セットすればまず新たに使うことはないもので、パソコンが来た当初は机の周りで見かけたがその後どこかに追いやってしまったのである。

 その探索もあって今やウチはすごいことに今なってしまった。もとよりいくつかある作業机の周りは本や書類の山だったのだが、パソコンの附属キットを探すため、いったんその山を崩して大広間に移動させたりして「大掃除」の状態となった。果たして次回の映画塾、12月1日までに元通りのスペースが空くように戻せるか心配になるほど雑然としてしまったが仕方ない。

 こうした「お片付け」はいずれにせよやらねばならなかったことだ。ただ常に何やら人が来たりイベントがあったりで腰据えて始められなかった。今少しだけ時間ができたので、パソコンが壊れたことをきっかけについに重い腰を上げたという次第なのだ。
 ともかくあと二週間足らず。もう収まりきれない本やら何やらいっい合切は山梨へ持って行ってしまえ、という気持ちでがんばります。

壮大な国家規模のイカサマ間もなく完了2013年11月20日 19時23分13秒

★安倍政権の一年間、ここまでの流れを振り返る
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 この世はすべてイカサマと看破したのは、山本夏彦翁であったと思うが、このところの世相を見るつけまったくそうだったのだなあと嘆息している。
 これから書くことは推測憶測であり、たとえ事実であったとしても未来永劫今後その証拠は出てこないことだろうし、たぶん自分が当局から逮捕されれば必然的にこのブログも閉鎖されることだろうからあえて今書いている。どうせ誰にも読まれないことでもあろうし。

 プロレス少年だった自分は、かつて全盛期のアントニオ猪木と新日本プロレスという会社が仕掛けた一連の「騒動」を当時リアルタイムで体験してきた。それはタイガー・ジェット・シンの新宿路上での猪木夫妻襲撃から始まり、IWGPまでの長大な「猪木神話」なのであるが、今ではそれはすべて仕組まれた「やらせ」、「いかさま」であり、商売として集客のため猪木氏とそのとりまきが勝手に仕組んだシナリオある物語とあかされている。
 そのことは当事者はまだ認めてはいないが、多くの関係者の証言とそれをまとめた何冊もの労作本がその「事実」を明からさまにしている。その頃の自分はそんなことは全くつゆほども疑いはしなかったから、ハルク・ホーガンによって失神されられた猪木を心から心配したし、真に強いのはいったい誰なのか友人たちと口角泡をとばして語り合ったものだ。

 そもそもプロレスとはそうした八百長のうえに成り立っているショーなのである。だから騙されたことには今ちっとも後悔していない。逆に熱い青春を送るアイテムとなったのだからプロレスとの出会いは良いことであった。しかし、もしも政治がそうした仕組まれた八百長だとしたらどうであろうか。今の安倍政権までの一連の流れは民主党をも巻き込んでの出来レースだったのではないのか。

 安倍政権は、昨年暮れに誕生したのだから間もなく一年を迎える。そして高支持率に今も支えられ巨大与党はやりたいことを好き勝手にし放題である。しかしこの政権の立役者は誰かと考えると、民主党の前首相野田氏であろう。彼が昨年11月14日に、国会解散宣言をし12月16日に衆院選、そして与党の記録的大勝により今の政治路線が敷かれたのだから。三党合意だか何だか知らないが、彼個人の一存で、まだ任期を残しながらも民主党内に何もはかることなく突発的に解散を決めたことが今の自民党政治復活の第一歩であった。
 と、自民復調はそこから始まったわけであるが、その前の政治状況を思い起こしてもらいたい。

 いつの頃からか、マスコミでは日本も米国など欧米を倣って政権交代が起こりやすい二大政党制を、との議論が高まっていた。そして、自民党と対峙する政党として、かつての社会党が消えた今、民主党に脚光が当たり始めた。もともとは自民党内にいたリベラル派と旧社会党、民社党系の中小政党が寄せ集まった民主党は、剛腕小沢や宇宙人鳩山、市民運動出身の管ら、それなりに魅力ある話題の人材を網羅し、マスコミ総出で政権交代が成るかという「論点」も高まり前回の衆院選ではついに自民党を下して大勝し民主党政権が誕生した。

 じっさいその頃の自民党は長く政権を担当し過ぎて経年疲労を起こしていた。次から次へと首相が一年足らずで交代し、大臣に不祥事が続き、民意は離れ支持率は低下し、無党派層はさらに増え国民の政治離れは甚だしかった。だからマスコミの扇動によるところは大きかったとはいえ、政権交代は国民多くが待ち望んでいたことであった。

 しかしその初めて政権を獲った民主党がどんなであったかは、今さら説明は不要であろう。選挙の際に掲げた公約、マニフェストは何一つ果たせずに次々と迷走し始め、自民党と同じく首相もすぐに交代を繰り返す。そこに大震災が起きてさらにその対応が問われ、挙句に野田首相となってからは、公約にはなかった消費税増税を決めてしまう。これでは国民は民主党に期待した分だけ裏切られた、騙されたと呆れ果て見離し支持率も地に落ちた。
 ちょうどそうしたところで、野田首相がまったく突然、年内に総選挙という音耳に水の解散となったのである。そしてそこから株価もじょじょに上がり始め、景気指数も回復していく。

 そしてその衆院選で、自民、公明与党、そして維新の会など保守政党が大勝したことは記憶に新しい。国民を裏切り続けた民主党は大敗し政権をまた自民党へと返上した。まあ、確かに形だけ見れば、政権交代が起こりやすい二大政党制にはなっていた。しかし、その後、民主党は今年6月の参院選でもさらにもっと大敗し、今では支持率だけだと時に共産党にも抜かれるほどの弱小政党に転落してしまった。もうとうぶんの間国政選挙はないし政権交代もありえない。

 このところの政党支持率だけ見れば、自民の一強だけが断トツ40%台で、あとの政党は軒並み5%以下というような異常な事態が続いている。つまり国会の議席でも国民の支持率でも自民党の一党独裁状態なのである。いったい何でこんな事態が起きてしまったのか。
 そんなに自民党=安倍政権は国民に良いことをしてきたのか。本当に景気は回復した、生活が良くなったと実感している人がいるのか。恩恵を得た方はいるのか。

 思うに、これこそが壮大な国家規模の詐欺、イカサマではないのか。巨大な振り込み詐欺に騙されているのに、実はまだ騙され金を奪われたと気がついていない状態なのではないのか。奪われたのは金だけではない。金よりももっと大事な命と人権かもしれないのである。

 ここに至るまで、誰かが入念に仕組んだイカサマのシナリオが実はあったのではないかと自分は考えている。民主党というのは、自民党に盤石の権力を与えるがために拵えた噛ませ犬に過ぎなかったのではないのか。つまりもうどうにも支持が回復しなかった自民党を生き返らせるために、まず民主党を作り二大政党制を煽り、政権を移譲させる。そのうえでその政権は全くダメだと知らしめて、国民に自民党回帰の心情を与える。やはり頼りになるのは自民党だと期待と人気が再燃する。
 そこでのキーマンは、財界主導の松下政経塾出身の野田氏である。彼が役目を終えた民主党に幕引きをする。そして格好のタイミングで選挙で自民党に政権を返上する。そして自民党は記録的大勝し参院選でも圧勝、ねじれは解消し盤石の巨大与党が誕生。彼らが望むことはフリーハンドで何だってできるようになった。

 これらの巧妙なイカサマのシナリオを描いたのは誰だろうか。安倍首相にはそんなオツムはない。おそらく財界主導で作られた秘密裏のシンクタンクではないかと自分は踏んでいる。※もう一回書き足したいことがあるので続きを書けたら書く。