原田芳雄死す2011年07月19日 23時50分11秒

★原田邸での大忘年会の記憶

 既に報じられていることかと思うが、テレビも新聞も読まなかったので、今さっきネットのニュースで知った。原田芳雄が死んだ。

 先に、やはりネットの芸能欄で、彼が出て間もなく公開される映画のプレミア試写会に病魔を押して車椅子で登場したときの写真を見て、やせ衰え面変わりした姿に、ああ、これはやばいな、長いことはないと判断し、覚悟もしていたからショックはないが、予期した以上に早い訃報にびっくりしている。
 うまく説明できないが、いきなり鉛の弾を下っ腹に打ち込まれたような気分だ。あのタフガイ原田芳雄が死んだのだ。j実感がまだわかない。

 享年71歳。彼の魅力は出演映画を語ることにつきるかと思うが、その意外に若い死に、やはり彼は本物のアウトローだったんだと今にして得心できた。正直言うと、ずっと大好きな役者さんなのだが、どうしてもその本質、実態、素顔がつかめない、心底気をゆるさせないようで臆した気がしていた。それはどこまでが演技なのかということだ。私人原田芳雄はいるのか。

 実は一度だけ彼の自宅にお邪魔したことがある。去年ではなく、一昨年2009年の暮れの忘年会のことだ。そこで言葉は交わすことなかったが彼とすれ違いごくごく間近で本物を見つめた。

 原田芳雄はもう何十年も毎年暮れになると、自宅を開放して半ば伝説となった大忘年会を催していた。自分は面識も全くなかったが、その年、彼とは旧知の中であるミュージシャンである友S大兄に誘われて、下北沢からほど近い閑静な住宅地の中にある彼の私邸に出向いた。
 特に招待状もないも必要なく、玄関から入るとかなり大きく古い洋館の中は室内から庭まですべて解放して、数えたわけではないが100人にも及ぶ俳優や映画関係者、ミュージシャンなどが立ったり座ったりまさに立錐の余地なく集合していて驚かされた。
 オタギリジョーら、映画などで見る有名どころも多数来ていて、御大原田を囲んで座ってかしこまって呑んでいる。並んだテーブルの開いた席に座ると次から次へ家内の人たちがおでんやら肴を出してくれ、ビールも酒もすべてが呑み放題食べ放題である。会費もとらない。
 どうやら彼は若いときからずっとこの忘年会を開催していて、原田組と呼ぶべき仲間たちは欠かさず参上しているようであった。来客はせいぜいが日本酒とかを持参するぐらいで、あちこちで好き勝手に座って食べて呑んで話している。人の数もその顔ぶれも含めすべてが圧巻でありコーフンした。
 
 そして終りのほうになると臼で餅つきが始まり、それまでも搗き立ての餅がいろいろな味わいで小皿に提供されていたのだが、本格的に原田門下の若いもんが威勢よく交互に餅を元気に搗いて、最後にはそれを腕組んで見ていた原田自身も杵をとってしっかり自ら搗いて場は満場の拍手のうちに終わりとなった。
 そのときは息子だと思うが、当人に代わって、おかげさまで病気も克服しこの通り元気になりましたと〆の挨拶をした。そう、後から知ったのだが、大腸癌だかにかかりそのすぐ後だったのである。

 一昨年の暮れ、そのときは病後ということを微塵も感じさせず、自ら餅を勢いよく搗けるほど元気であったから、風の噂で、あまり良くないらしいと小耳にはさんだ記憶はあるが、映画で見る限りは毎度の原田芳雄であったからまさかまた悪化したとかは考えたことすらなかった。

 そして去年の暮れにもその自邸での大忘年会はあり、友人たちはまた行ったようであったが、もはや自分は誘われなかったし行く気もなかった。理由は簡単で、若いときからずっと彼のファンである自分ではあるが、原田邸に行く資格も理由も一度行けば充分であったし、俳優とはやはりスクリーンの中だけで知り合えば満足だと思ったからだ。

 大好きな原田芳雄はやはり家にいてもにイメージ通りのカッコいい、ちょっとやさぐれた薄いサングラスの堂々たる原田芳雄であり、畏れ多くとても口きくことも挨拶すらできなかった。廊下で何度もすれ違ったり接近したがそもそも自分がそこにいることが場違いだと自責の念が強くただ落着けなかった。集いは面白かったが居心地が良いわけではなかった。何よりも部外者はうかつに立ち入れる雰囲気ではなかった。

 しかし芸能関係者には知られた伝説的な原田芳雄主催自邸での狂瀾怒濤の大忘年会に一度だけでも行けたのは光栄であった。もう彼がいないならば今年からは行われることはないはすだから。

 死因は、腸閉塞云々と報じられていたが、要するに大腸がんが再発し転移もしたのであろう。自分の母も同じ病気だから想像に難くない。癌は怖い。清志郎も一度は完治したと思え、復活ライブを行って一年後に死んでしまった。いったんは元気になっても簡単に解放してくれないのである。

 アウトロー、異端者役を得意としスクリーンで独特な色彩を放った原田芳雄、いったいどこまでが演技であり原田芳雄という個人は実際どんな人であったのか、自宅まで行ったのにけっきょく自分にはわからなかった。つまり彼もまた素顔を常に見せることのない本物の役者、スターであったということだと今にして気づく。

 毎年暮れになると自宅を開放して誰かれ来る者拒まず大宴会を繰り広げる。それもまた最後の映画スターとしての矜持であった。素顔がわからない分だけ、彼が死んだことがまだ全く信じらない。だから今もこれからも変わらぬ原田芳雄はずっと自分の中でカッコいいまま生き続けていく。
 原田芳雄に涙は似合わない。献杯するのみだ。合掌。

コメント

_ Yozakura ― 2011/07/20 06時55分59秒

増坊さま
 お早うございます。

 その、原田邸を訪問して、忘年会兼餅つきパーティーを増田さんが楽しんだ際の記事は、旧ブログにて熟読した記憶があります。
 群衆の中で、某・若手俳優が一人、孤独を楽しむかの如く、人々から離れて佇んで居た情景の描写が、何故かしら心に残っています。

 映画の中でも、そして実際の人生でも、劇的な暮らしを楽しんでいた人ですね、原田芳雄は。冥福を祈ります。

_ (未記入) ― 2013/04/24 23時44分36秒

芳雄さんが旅立たれてから1年9か月たつのに、悲しくて、TSUTAYAでレンタルしています。

_ Yozakura ― 2013/05/17 09時44分51秒

増坊さま

 没後2年を経てなお原田芳雄を追慕し、増田さんの追悼記事に深く感じ入る読者からの投稿も拝見。原田ファンの琴線に訴える「増田さんの真情」が、未知の読者すらも慟哭させる-----徒に飾ろうとしない真摯率直な増田さんの筆致が、こうして未知の第三者をも魅きつけて止まない訳ですね。納得しました。

 実は、約ひと月前に、その原田芳雄に就いて十年以上も前に執筆された記事に偶然にも再会しました。別便にて連絡します。
 お元気で。

_ (未記入) ― 2014/11/21 20時33分56秒

原田芳雄さんは本物の役者さんでした。素晴らしい演技力!顔も身体も声も素敵でした。若いときからかっこよく、晩年は味のある名優でした。

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