近況及び8月の予定など2011年07月31日 12時23分26秒

★抗わずに全てのことを受け入れていく。

 今日31日の日曜は、外は涼しくしとしとと静かな雨が降っている。落ち着いた気分でこれを記す。

 この数日、全国各地、特に新潟と福島に大きな被害をもたらした豪雨はようやく峠を越したようだ。実は三日連続の雷で、カミナリ嫌い犬のブラ君がパニック生涯を起こして我が家はちょっと大変であった。

 外に出しておくと、小屋の周りのもの全て暴れて植木鉢から小屋までも倒して破壊しつくすし、家に入れて風呂場に閉じ込めておくと、泣き叫んだ挙句、風呂場のものを目茶目茶に倒した挙句、自ら手足の毛を噛み引き抜くという自傷行為に及ぶ。
 また雨がやんで明るくなれば早朝から隣近所を起こすほどの遠吠えをする。うるさくておちおち寝ていられない。人間なら心療内科か精神科の世話になるところだが、犬なので落ち着かせる薬もなく対応策がない。
 この犬のカミナリ嫌い嫌い症候群は以前にも少し書いたことがあるかと思うが、このところストレスなのか歳とったからか激しさをましてきて本当に困っている。
 結局のところ、昨晩は、雷が鳴る前早くから家に上げ、二階の増坊の部屋で共にベッドに寝て興奮している彼を抱きしめてなだめすかして一夜を過ごした。それでも落ち着かず狭いベッドの上をうろつきまわるし、ハアハア熱い息で顔寄せてきて、前足で人の顔でもどこでも叩くのでうるさくてとても寝ていられない。けっきょく、雷が通り過ぎて外が静かになり外が白み始めてから二人ともうとうとできた。そんなでこのところ睡眠不足気味である。
 昨夜は零時ごろからまた雷雲が近くに来たのか一時、ピカっと光ったと思うとドーンという音の間隔が短くなり、これはヤバイな、また庭のイチョウの木に落ちるかもと不安になり、その木の下に小屋がある他の犬も風呂場に自主避難させた。幸い大したことはなかったがこれからの季節は雷がゴロゴロ鳴り出すと犬達が気になっておちおち寝てられない。それはこの季節は例年仕方ないことだが。

 そんな私ごとはともかくも、新潟や福島の豪雨被害が気に掛かる。というのは、このところ新潟と福島に行く機会があり、向こうで新たに出会い知り合った人たちが出来たので、自分にとってそこはもう見知らぬ他所の地ではないからだ。いわば第二の故郷であり、これからも関わりを持ち機会あれば何度も訪れたいと考えている。

 音楽を通して出会いがあり人と結ばれていく。そうして全国各地に第二の故郷ができれば、もっともっとこの国が好きになるし大事にしたいと思うはずだ。じつは愛国心とは郷土愛であり、郷土への愛とはそこに住む人への愛や思いに他ならない気づく。決して教科書で頭ごなしに教える抽象論ではない。
 その人たちが困り大変な思いをしているとしたら、人は彼らを案じできることは何か考え、助力を惜しんではならない。他者の問題を自分のことに置き換えて考えていけば地方の問題は日本そのものの問題であることがわかるし、日本の問題とはアジア極東の問題であり、地球規模の問題に繋がっていく。

 核兵器を抱える米軍基地の問題も原発の問題も実はその根っこはまったく同じで繋がっていることに気がついた。ノーモア広島はノーモア福島であり、人類の生存を脅かす危険の種は一日も早く廃絶させていくしかない。特に多発する未曾有の自然災害が神からの警告だと理解するならばこそ。人は謙虚でありたいし謙虚であるべきだ。過信して己惚れてはならない。自らも含めてこのところそう強く思う。自戒せよ日本人。

※犬のことだけで「予定」まで書けなかったので後ほど別項で書き足します。また、このところ連夜のカミナリでパソコンの電源を切っていたためアップできなかったブログもあるのでそれも今日明日にアップさせますので感心ある方はチェックお願いします。

近況及び8月の予定など・続き2011年07月31日 22時26分44秒

★まずは来週は津の「ええかげん祭り」へ行く

 今、増坊の家、ブックカフェを予定している二階部分はすごいことになっている。
 工事期間中、近所に借りていた倉庫に預けていた本が戻ってきたので未整理の本の山が出来たことは先日お知らせしたはずだが、なかなかそれも片付かないうちに、一昨日は知り合いの仏人の荷物が雨の中トラックでドーンと届いてますますスペースはなくなってしまった。
 段ボール箱十個ほどと大きなテーブルやらカウンターキッチン台とか丸いテーブル、冷蔵庫などもある。それを配送業者に二階に上げてもらったら足の踏み場がなくなってしまった。

 そのフランス人とは、今春、昔から付き合いのある別の在日仏人宅で知り合った。流暢な日本語を話し、漢字も並の日本人以上に読めるし書ける。何でも日本の電子光学機器を他国に仲介斡旋する仕事をしているとかで、何故かブラジルのサンパウロに自宅を持ち、日本、ブラジル、そしてヨーロッパを始終行き来しているとのことだった。

 日本にも千葉の船橋に、アパートを借りていたのだが、件の原発事故も関係しているのか、留守がちなのにアパートを借りているのも無駄だとそこを引き払うことにして、とりあえず日本にある彼の荷物をウチが預かることとなった次第なのだ。
 引き受けたきっかけは仏人宅で食事中、ワインで酔っぱらっていてよく記憶にないが、まあ大した量ではないとの話だったので家も完成しスペースもあったときだったから、安請け合いしてしまったのである。そしたら一ヶ月前に一回、ソファーとかキーボードとか他細々としたものが届き、そして今回また残りが運ばれてきたのだ。正直、こりゃちょっと困ったなあーと思うし、たぶんこれで全部かと思いたいがどうしたものか。

 そんな最中、その前日には編集者の友人が家に来てくれて二階で少し話し込み、さらに昨日は、フォークシンガーのOさんが昼頃突然やってきた。配送業者も入れると三日連日の来客である。
 バカ犬のカミナリ騒動で、ほとんど寝ていないこともあったから電話があったときどうしようかと迷いもしたが、もう近所まで来てくれていたのでそんな有様の二階に上がってもらった。そして下の居間で昼飯を一緒に食べてから二階でギター弾いたり音楽を聴いたりして話もはずんだ。おかげで良い気分転換になった。

 彼を駅まで送り、帰り道思ったことは、突然であろうがなかろうがわざわざこんな田舎の我が家まで足を運んでくれるのは有り難いことだし、自分が都心に出てまた帰ることを思えば数段楽だということだった。
 出不精かつ人見知り気味の自分は、いったん家に篭ってしまうと、そっちに軸足が固定されてなかなか街に出て人と会うのが億劫になってしまう。やがて臆してゆく。

 しかしそうして一人で家に居て親達と顔を突き合わすだけの生活はどんどん自堕落になりすぐに倦んでイライラもしてくる。やはり時々友人と会い、あれこれ共に関心あることについて語り合うことは良い刺激になる。萎えていた心に新鮮な水を与えるような効果がある。
 だからいきなりであろうと人が訪れてくれることは嬉しいし、これが古来より漢詩にある、朋あり、遠方より来たる、という心境かと得心した。

 じっさいの話、人が来ないままだと掃除も整理も怠るし、モノは溜まる一方で荒れ果てていく。だらしのない自分は人が来るからこそ慌てて片付けたり取り繕ったりもする。まして今回のようにいつ突然人が来るかわからないという方が普段から緊張感があり、いやでもきちんとせざる得ない。
 以前の自分なら突然の客訪問の電話には今ちらかっているので困ると断わっていたと思うが、今はどんな有様でもかまわず受け入れようと思っている。どれほど散らかって足の踏み場がなくてもそれもまたありのままの自分、本当の姿なのだから。

 その仏人の荷物のことも部屋が狭くなって困ってしまうが、しかしそれでも人のお役に立つならばそれはそれでしかたないかと思う。
 このところの自分はこの身に起こることはどんなことでも抗わずに受け入れようと考えている。なぜならこの世は先のことは何が起こるかわからないし、願ったって思い通りになるわけでもない。自分が今生きていることだって、自分の意思ではなく、誰か見えないものに動かされ生かされているとするならば、どんなことが起きたって仕方ないではないか。すべてを受け入れていくしかない。

 その中で自分が出来ること、その役割をいっしょうけんめいやっていくだけだ。
 ですので、今はものすごい状態ですが、もしお近くにお越しの時は誰でも突然でもふらっと来てください。歓迎します。