8月7日は三重県津の「ええかげん祭り」へ ― 2011年08月01日 10時22分14秒
@8月7日(日)
「ええかげん祭り2011」
☆出演
さかうえけんいち
いとうたかお
江口晶
中川五郎
村上律
山本シン
鎌倉研
斉藤哲夫&さがみ湘
石浦雄二
かわさきこうじ
ナノセコンド
佐中コーコー
他
チャージ
予約・当日とも2000円
タイムスケジュール
※だいたいの予定(だいたいやで~)
Open 10:00
Start 11頃からぼちぼち始めます。
1、ナノセコンド
12:00~12:30
2、かわさきこうじ
12:30~13:00
3、鎌倉研 13:00~
4、さかうえけんいち14:00~
5、江口晶 15:00~
6、山本シン 16:00~
7、斉藤哲夫 17:00~
8、(予備枠 水面下交渉中)18:00~
9、村上律 19:00~
10、中川五郎 20:00~
11、いとうたかお21:00~
フィナーレ 22:00~
司会進行
ガスリー、池田けい、ありあり、鎌倉研、ローディ池田、他
交代でやります。
☆お問合せ先
ガスリー坂田
090-6595-1861
すべてええかげん…
ええかげんちゃうで
ええ加減や、、、
………………………………………………
以上は、海辺のライブ小屋「ええかげん」のホームページから勝手に転載しました。
画像は一昨年のええかげん祭りのエンディングシーン。
東京圏の方はちょっと行くの難しいけれど、中京、関西圏の方は三重県津市河芸はさほど遠くないかと思います。
残念なことに今回今夏で、「ええかげん」も閉店となるとのことです。ぜひぜひ多くの方に知る限り最高に心地良いロケーションのライブスペースを目に心に耳に焼き付けてほしいと思います。増坊も会場をウロウロしています。声かけてください。
ではええかげんでお会いしましょう!
「ええかげん祭り2011」
☆出演
さかうえけんいち
いとうたかお
江口晶
中川五郎
村上律
山本シン
鎌倉研
斉藤哲夫&さがみ湘
石浦雄二
かわさきこうじ
ナノセコンド
佐中コーコー
他
チャージ
予約・当日とも2000円
タイムスケジュール
※だいたいの予定(だいたいやで~)
Open 10:00
Start 11頃からぼちぼち始めます。
1、ナノセコンド
12:00~12:30
2、かわさきこうじ
12:30~13:00
3、鎌倉研 13:00~
4、さかうえけんいち14:00~
5、江口晶 15:00~
6、山本シン 16:00~
7、斉藤哲夫 17:00~
8、(予備枠 水面下交渉中)18:00~
9、村上律 19:00~
10、中川五郎 20:00~
11、いとうたかお21:00~
フィナーレ 22:00~
司会進行
ガスリー、池田けい、ありあり、鎌倉研、ローディ池田、他
交代でやります。
☆お問合せ先
ガスリー坂田
090-6595-1861
すべてええかげん…
ええかげんちゃうで
ええ加減や、、、
………………………………………………
以上は、海辺のライブ小屋「ええかげん」のホームページから勝手に転載しました。
画像は一昨年のええかげん祭りのエンディングシーン。
東京圏の方はちょっと行くの難しいけれど、中京、関西圏の方は三重県津市河芸はさほど遠くないかと思います。
残念なことに今回今夏で、「ええかげん」も閉店となるとのことです。ぜひぜひ多くの方に知る限り最高に心地良いロケーションのライブスペースを目に心に耳に焼き付けてほしいと思います。増坊も会場をウロウロしています。声かけてください。
ではええかげんでお会いしましょう!
例年と違う不穏な夏 ― 2011年08月01日 21時41分07秒
★今週末の関西ミニ旅行に向けて
今日から8月。だのに今日も曇って妙に涼しい。昨晩もだが、夜になるとしとしと弱い雨が降っている。真夏というより梅雨時のような気分である。母は朝などは寒い寒いと騒いで昨日から風邪気味だ。
計画停電であれだけ大騒ぎして、国家規模の節電要請で迎えた夏としては涼しいのは好ましいけれど、盛夏にこの気温が続けば冷夏であり、ただでさえ放射能汚染で需給が心配される農作物にさらに影響が出る。
大震災後初めての夏となったわけだが、復興のメドもようやく緒に就いた程度で今も避難所暮らしを続ける人たちが多数いる被災地に思いをはせる。記録的豪雨もまだ続くようだし、一体これから先どうなるのか。
何かまた大地震や天変地異、あるいは原発の事故に新たなトラブルが発生するような漠然とした不安がわいてくる。去年までとはまるで違う不穏な夏となった。このまま何も起こらず一年が終わるのだろうか。
さて、先にお知らせしたが、増坊は、今週土曜日の晩の高速バスで発ち、三重県津市河芸(かわげ)という町の海辺にある「ええかげん」というライブ小屋で毎年催される「ええかげん祭り」に行くことにした。
それは春友ガスリー氏が企画し、毎年この季節に、多くのフォークミュージシャンがアマプロ問わず出演する、小型春一番といったイベントだ。
何よりまず建物自体が、元水産加工場というユニークな場所で、いわば砂浜に建つ海の家的ライブ小屋であり、中に入らなくとも野外で缶ビール片手に波の音を聴いてぼんやりしているだけでも気持ちよい。知る限り最高の音楽環境である。そこで大好きなミュージシャンがいっぱい登場するのだからこれは行くしかない。
しかし親達の世話もあるわけで、今回の行程としては、まず7日の午前中にえかげんに到着して、その日はたぶん夜遅くまでそこでライブを観て会場で仮眠して、翌日8日の月曜は、迷ったが京都に出ることにした。
新幹線を使えば、月曜のうちに東京に帰れるのだが、一番安いのはやはり夜行の高速バスなので、夜11時まで時間とれる。実はその日、京都のライブハウスで、詩人の有馬敲さんの朗読&音楽セッションがあるそうで、当人にも誘われたこともあり三重のついでに京都まで足を伸ばすことにしたのだ。その朗読会に顔出してから京都駅八条口から出る高速バスで、翌火曜日の朝に新宿に帰ってくる。車中二泊の中二日計三泊の小旅行となる。
かなりの強行軍だが、今自分が組める可能な日程はこれしかないし、本当は京都に出たらもう一泊して朝から一日ブラつきたいし会いたい人もいるのだが、それは時間的に今は不可能だ。これ以上家を空けられない。体力的にもかなりきついが、先の5月のときのような気分では今はないし、短時間でも京都にいけるのも楽しみだである。
8月の予定もいくつか決まっていることも既にあるが、今の気分はまずその7日の「ええかげん祭り」が終わらない限りその先のことは考えられない。まずこの小旅行を終えたら残りの今月のこと、無頼庵のプレオープンイベントに関する予定を出したい。今はそのミニ旅行出発前に、溜まりに溜まっている用件や連絡事項などを少しでも片づけておこうと必死である。書きかけでアップしていないブログもある。すこしでもスッキリさせて出発したい。
最後?のええかげん祭りはガスリー氏にとって一区切りとなろうが、自分にとっても先だっての春一番に続いて区切りとなるだろう。
今日から8月。だのに今日も曇って妙に涼しい。昨晩もだが、夜になるとしとしと弱い雨が降っている。真夏というより梅雨時のような気分である。母は朝などは寒い寒いと騒いで昨日から風邪気味だ。
計画停電であれだけ大騒ぎして、国家規模の節電要請で迎えた夏としては涼しいのは好ましいけれど、盛夏にこの気温が続けば冷夏であり、ただでさえ放射能汚染で需給が心配される農作物にさらに影響が出る。
大震災後初めての夏となったわけだが、復興のメドもようやく緒に就いた程度で今も避難所暮らしを続ける人たちが多数いる被災地に思いをはせる。記録的豪雨もまだ続くようだし、一体これから先どうなるのか。
何かまた大地震や天変地異、あるいは原発の事故に新たなトラブルが発生するような漠然とした不安がわいてくる。去年までとはまるで違う不穏な夏となった。このまま何も起こらず一年が終わるのだろうか。
さて、先にお知らせしたが、増坊は、今週土曜日の晩の高速バスで発ち、三重県津市河芸(かわげ)という町の海辺にある「ええかげん」というライブ小屋で毎年催される「ええかげん祭り」に行くことにした。
それは春友ガスリー氏が企画し、毎年この季節に、多くのフォークミュージシャンがアマプロ問わず出演する、小型春一番といったイベントだ。
何よりまず建物自体が、元水産加工場というユニークな場所で、いわば砂浜に建つ海の家的ライブ小屋であり、中に入らなくとも野外で缶ビール片手に波の音を聴いてぼんやりしているだけでも気持ちよい。知る限り最高の音楽環境である。そこで大好きなミュージシャンがいっぱい登場するのだからこれは行くしかない。
しかし親達の世話もあるわけで、今回の行程としては、まず7日の午前中にえかげんに到着して、その日はたぶん夜遅くまでそこでライブを観て会場で仮眠して、翌日8日の月曜は、迷ったが京都に出ることにした。
新幹線を使えば、月曜のうちに東京に帰れるのだが、一番安いのはやはり夜行の高速バスなので、夜11時まで時間とれる。実はその日、京都のライブハウスで、詩人の有馬敲さんの朗読&音楽セッションがあるそうで、当人にも誘われたこともあり三重のついでに京都まで足を伸ばすことにしたのだ。その朗読会に顔出してから京都駅八条口から出る高速バスで、翌火曜日の朝に新宿に帰ってくる。車中二泊の中二日計三泊の小旅行となる。
かなりの強行軍だが、今自分が組める可能な日程はこれしかないし、本当は京都に出たらもう一泊して朝から一日ブラつきたいし会いたい人もいるのだが、それは時間的に今は不可能だ。これ以上家を空けられない。体力的にもかなりきついが、先の5月のときのような気分では今はないし、短時間でも京都にいけるのも楽しみだである。
8月の予定もいくつか決まっていることも既にあるが、今の気分はまずその7日の「ええかげん祭り」が終わらない限りその先のことは考えられない。まずこの小旅行を終えたら残りの今月のこと、無頼庵のプレオープンイベントに関する予定を出したい。今はそのミニ旅行出発前に、溜まりに溜まっている用件や連絡事項などを少しでも片づけておこうと必死である。書きかけでアップしていないブログもある。すこしでもスッキリさせて出発したい。
最後?のええかげん祭りはガスリー氏にとって一区切りとなろうが、自分にとっても先だっての春一番に続いて区切りとなるだろう。
世界を変えたいと望むなら ― 2011年08月03日 22時33分07秒
★自らが変わらない限り世界は変わらない。
このところ古本商売のほう、少しづつだが、注文が戻ってきた。理由は簡単で、家にこもって精力的に出品しているからだ。
今、Amazonマーケットプレイスでしか古本は売っていない自分であるが、それでも常に売れた分以上に新たに本を補充していかないことには売り上げは落ちてくる。当たり前のことではあるが、たくさん新たに出品すればたくさん注文が来るし、何もしなければ出品中の本であってももはやそれは売れ残りの不良在庫でしかなく、値段を下げるかして再度出品しなおなさない限り絶対に売れることはない。
何だかんだ家のことやら雑事に追われて落ち着いてパソコンに向かう時間がなく、このところ新規出品を怠っていたら先月ぐらいから一冊も注文がない日が何日も続くようになり、売り上げは数千円という情けなくも悲惨な状況に陥りさすがに奮起した。
ともかく新しく出品さえすれば早いときは出した当日にすぐ注文が入る。まさに右から左に売れていく。だったら真剣に商売に取り組めばそれなりの儲けは間違いないのであるが、いかんせん、本の検索にも時間がかかるしパソコンに向かう時間も限られるので捗っても日に10冊出せるかどうかだ。それでも意を新たにしたし、すべて自らアクションを起こさない限り何も始まらないし動かないのだと思い直した。
歳とって良いことは昔はわからなかったことが見えてきたことだ。
このところの確信として天啓のように閃き、わかったことがある。それは、もし何かを変えたい、変わりたいと望むならば、まずは自らが変わることから始めないとならないということだ。つまり自分が変わらない限り世界は何も変わらない。
これは政治だって社会だって国の在り方だって同じで、人任せにして、変わってほしいなあ、そろそろ変わっても良いころだと思ったとしても絶対に何も変わらない。変わったとしてもそれは自民党から民主党に代わった程度の変化であり、本質も実態も何一つ変わることはない。
人は実は何だってできるし何だってなれるのだが、漠然と〇〇になればいいなあ、なりたいなあと思っているだけでは変わるはずがない。棚からボタモチという運の良い話はまずないし、あったとしても人生が狂わされてしまう。ますはそれなりの最低限の努力やアクションを起こさないとならない。俗に買わないと宝くじは当たらないの喩えがあるように、もしそれを真剣に望むならそのためには新たなことを始めないとならないのだ。
だから変えたい、変わりたいと思うならばまず自らが変わらないとならないし、逆に変わりたくないと願うならば今までの習慣を頑なに守ること、保守に徹するしかない。その中間は決してないし今の管首相のようにその場しのぎの日和見主義と化していく。
そして世界とは、実は自分の外の目に見える世界に過ぎないのだから終わらせることだってできる。つまり自分が死んでしまえばその時点で世界も終わる。しかしそれは個人の意思でしてはならないことだ。何故かって? それは命は自分だけのものではないからだ。
最近になってわかったことがある。家が人間の体を包み込む入れ物であるように、この肉体も魂を包み込む器、入れ物なんだと気が付いた。その話は長くなるのでそこまでにしておく。
自分はずっと変わりたい、自らを変えたいと望んできた。しかし、じっさいのところ安楽な場所で安閑として、漠然と変わっていくことを夢想していた。それでは人生は何一つ変わらない。そしてこの世界も変わっていかない。それが何故かようやくわかってきた。
そう、自分が変わらない限り世界は何一つ変わらないのだ。
このところ古本商売のほう、少しづつだが、注文が戻ってきた。理由は簡単で、家にこもって精力的に出品しているからだ。
今、Amazonマーケットプレイスでしか古本は売っていない自分であるが、それでも常に売れた分以上に新たに本を補充していかないことには売り上げは落ちてくる。当たり前のことではあるが、たくさん新たに出品すればたくさん注文が来るし、何もしなければ出品中の本であってももはやそれは売れ残りの不良在庫でしかなく、値段を下げるかして再度出品しなおなさない限り絶対に売れることはない。
何だかんだ家のことやら雑事に追われて落ち着いてパソコンに向かう時間がなく、このところ新規出品を怠っていたら先月ぐらいから一冊も注文がない日が何日も続くようになり、売り上げは数千円という情けなくも悲惨な状況に陥りさすがに奮起した。
ともかく新しく出品さえすれば早いときは出した当日にすぐ注文が入る。まさに右から左に売れていく。だったら真剣に商売に取り組めばそれなりの儲けは間違いないのであるが、いかんせん、本の検索にも時間がかかるしパソコンに向かう時間も限られるので捗っても日に10冊出せるかどうかだ。それでも意を新たにしたし、すべて自らアクションを起こさない限り何も始まらないし動かないのだと思い直した。
歳とって良いことは昔はわからなかったことが見えてきたことだ。
このところの確信として天啓のように閃き、わかったことがある。それは、もし何かを変えたい、変わりたいと望むならば、まずは自らが変わることから始めないとならないということだ。つまり自分が変わらない限り世界は何も変わらない。
これは政治だって社会だって国の在り方だって同じで、人任せにして、変わってほしいなあ、そろそろ変わっても良いころだと思ったとしても絶対に何も変わらない。変わったとしてもそれは自民党から民主党に代わった程度の変化であり、本質も実態も何一つ変わることはない。
人は実は何だってできるし何だってなれるのだが、漠然と〇〇になればいいなあ、なりたいなあと思っているだけでは変わるはずがない。棚からボタモチという運の良い話はまずないし、あったとしても人生が狂わされてしまう。ますはそれなりの最低限の努力やアクションを起こさないとならない。俗に買わないと宝くじは当たらないの喩えがあるように、もしそれを真剣に望むならそのためには新たなことを始めないとならないのだ。
だから変えたい、変わりたいと思うならばまず自らが変わらないとならないし、逆に変わりたくないと願うならば今までの習慣を頑なに守ること、保守に徹するしかない。その中間は決してないし今の管首相のようにその場しのぎの日和見主義と化していく。
そして世界とは、実は自分の外の目に見える世界に過ぎないのだから終わらせることだってできる。つまり自分が死んでしまえばその時点で世界も終わる。しかしそれは個人の意思でしてはならないことだ。何故かって? それは命は自分だけのものではないからだ。
最近になってわかったことがある。家が人間の体を包み込む入れ物であるように、この肉体も魂を包み込む器、入れ物なんだと気が付いた。その話は長くなるのでそこまでにしておく。
自分はずっと変わりたい、自らを変えたいと望んできた。しかし、じっさいのところ安楽な場所で安閑として、漠然と変わっていくことを夢想していた。それでは人生は何一つ変わらない。そしてこの世界も変わっていかない。それが何故かようやくわかってきた。
そう、自分が変わらない限り世界は何一つ変わらないのだ。
世界を自ら終わらしてはならない ― 2011年08月04日 16時59分22秒
★さまざまな自死に思う。
今日も朝からどんよりとした曇り空。時おり晴れ間も覗くが、小雨がぱらついたりとすっきりしない。気温はさほど高くはないが湿気が多く蒸し暑い。
8月に入ってから梅雨に逆戻りしたような鬱陶しい日が続いている。節電が叫ばれるこの夏だが、涼しくて助かるとか言う前に、やはり夏は夏として陽射しが照りつけるような暑さがほしい。何しろまだ8月に入ったばかりなのだ。このまま秋になっては暑さが苦手な自分でさえ困惑してしまう。
このところ自分にとって関心あるある意味重要な人たちの死の報が続いている。小松左京は歳相応に迎えた死だと思うしさほどファンでもなかったので思うところは少ないが、原田芳雄の早すぎる癌死もこたえたが、それよりも伊良部や中村とうようの自殺が気にかかる。
もとより野球など関心ないし、大リーグであろうと真剣に観ることのない自分だが、伊良部のことはずっと気にかかっていた。複雑な環境に育ち、類稀なる才能を持ちながら、人間的に問題を抱え、結局球界ではそこそこの成績は残したものの大成はせず、問題児としてトラブルで知られ、結局日本に戻ることなく米国の地で自ら首を括ってしまった。
まだまだ若く、やり直せる人生もたっぷり残っていたのにどうしてこんな選択をしてしまったのか。しかし、その悲報を知った時もさほど驚きはしなかった。強面で知られいっけん豪気に見える人こそ、実は誰より弱さを抱えて、さびしがり屋であり、根幹の部分が脆い。
人を威圧し虚勢を張るのは弱い人間だからで、本当に強い人は威張らないし怒りも暴れもしない。だから伊良部のことが気になるというのは、良いときはともかく悪いときは下手すれば自殺するだろうという予感があったからで、その報を知り、ああやっぱりかと思う反面それにしても早すぎるではないかという憤るような思いさえあった。
中村とうようのことはまず先に死の報を知り、まあ、歳も歳だから仕方ないかと思っていたら後から飛び降り自殺だと知り驚かされた。
個人的に面識もなく、若いときからどちらかと言えば好きな人ではなかったが、それでも彼からは多くのものを教わったし、ニューミュージックマガジンを創めとして彼の音楽文化に対する貢献は高く評価すべきだと思う。それに対して新聞記事の扱いが不当なほどに小さくて、この国のサブカルチャー、ロックやフォークに対する文化としての認知度は今も昔と変わらずに低いことを痛感した。そのことは先に今野雄二氏のときも感じたことだったが。
とうようさんの業績や自分が彼から教わったことなど後日書き記したいと思うが、それにしても何故に自ら命を絶ったのだろうか。身辺整理として、彼の膨大なレコードから楽器まで音楽コレクションは武蔵美に全て寄付したことも聞いていたし、やはり死後のこともきちんとさせての覚悟の死だと思うとなおさら理解に苦しむ。怒りのような感情さえ湧く。
それはあの加藤和彦のときに感じた驚きであり、今野雄二のときもまた近しいものがあるように思える。とうようさんの場合は決して若くはないが、皆それぞれ音楽を深く愛し、素晴らしい仕事をたくさん残した人がその世界を自らの手で早く終わらせてしまう。音楽は音楽人の自死を食い止める力はないのか。
むろん皆それぞれ深い悩みを抱えたり病苦に苛まれていたのだろうと想像するが、そのときは一人暮らしで孤独であり、淋しさもあって死の誘惑はいつしか心を深く侵食してしまったのかも。誰か止める人はいなかったのか。
告白すると自分もまた孤独に耐えきれなくなれば、自死を考えるタイプの人間であり、決して他人事として彼らのことを非難も擁護もできやしない。何度もことに及ばないだけでその誘惑に襲われた。
しかし、フクシマの地で、津波に襲われ破壊尽くされた廃墟の町に立ち「世界の終り」を一瞬でも垣間見てからは、だからこそ人は生きねばならないと気がついたし、どんなに破壊されてようとも世界は絶対に終わらせてはならないと誓った。
人は、生き物はいやでも間もなく必ず死んでいく。何も慌てて自らその世界を終わらせる必要はない。生きて生き抜いてその世界を少しでも長く続けていくこと、変えていかねばならない。世界は変わる。生き続けること。生き続ければ世界はきっと良くなると信じて。
今日も朝からどんよりとした曇り空。時おり晴れ間も覗くが、小雨がぱらついたりとすっきりしない。気温はさほど高くはないが湿気が多く蒸し暑い。
8月に入ってから梅雨に逆戻りしたような鬱陶しい日が続いている。節電が叫ばれるこの夏だが、涼しくて助かるとか言う前に、やはり夏は夏として陽射しが照りつけるような暑さがほしい。何しろまだ8月に入ったばかりなのだ。このまま秋になっては暑さが苦手な自分でさえ困惑してしまう。
このところ自分にとって関心あるある意味重要な人たちの死の報が続いている。小松左京は歳相応に迎えた死だと思うしさほどファンでもなかったので思うところは少ないが、原田芳雄の早すぎる癌死もこたえたが、それよりも伊良部や中村とうようの自殺が気にかかる。
もとより野球など関心ないし、大リーグであろうと真剣に観ることのない自分だが、伊良部のことはずっと気にかかっていた。複雑な環境に育ち、類稀なる才能を持ちながら、人間的に問題を抱え、結局球界ではそこそこの成績は残したものの大成はせず、問題児としてトラブルで知られ、結局日本に戻ることなく米国の地で自ら首を括ってしまった。
まだまだ若く、やり直せる人生もたっぷり残っていたのにどうしてこんな選択をしてしまったのか。しかし、その悲報を知った時もさほど驚きはしなかった。強面で知られいっけん豪気に見える人こそ、実は誰より弱さを抱えて、さびしがり屋であり、根幹の部分が脆い。
人を威圧し虚勢を張るのは弱い人間だからで、本当に強い人は威張らないし怒りも暴れもしない。だから伊良部のことが気になるというのは、良いときはともかく悪いときは下手すれば自殺するだろうという予感があったからで、その報を知り、ああやっぱりかと思う反面それにしても早すぎるではないかという憤るような思いさえあった。
中村とうようのことはまず先に死の報を知り、まあ、歳も歳だから仕方ないかと思っていたら後から飛び降り自殺だと知り驚かされた。
個人的に面識もなく、若いときからどちらかと言えば好きな人ではなかったが、それでも彼からは多くのものを教わったし、ニューミュージックマガジンを創めとして彼の音楽文化に対する貢献は高く評価すべきだと思う。それに対して新聞記事の扱いが不当なほどに小さくて、この国のサブカルチャー、ロックやフォークに対する文化としての認知度は今も昔と変わらずに低いことを痛感した。そのことは先に今野雄二氏のときも感じたことだったが。
とうようさんの業績や自分が彼から教わったことなど後日書き記したいと思うが、それにしても何故に自ら命を絶ったのだろうか。身辺整理として、彼の膨大なレコードから楽器まで音楽コレクションは武蔵美に全て寄付したことも聞いていたし、やはり死後のこともきちんとさせての覚悟の死だと思うとなおさら理解に苦しむ。怒りのような感情さえ湧く。
それはあの加藤和彦のときに感じた驚きであり、今野雄二のときもまた近しいものがあるように思える。とうようさんの場合は決して若くはないが、皆それぞれ音楽を深く愛し、素晴らしい仕事をたくさん残した人がその世界を自らの手で早く終わらせてしまう。音楽は音楽人の自死を食い止める力はないのか。
むろん皆それぞれ深い悩みを抱えたり病苦に苛まれていたのだろうと想像するが、そのときは一人暮らしで孤独であり、淋しさもあって死の誘惑はいつしか心を深く侵食してしまったのかも。誰か止める人はいなかったのか。
告白すると自分もまた孤独に耐えきれなくなれば、自死を考えるタイプの人間であり、決して他人事として彼らのことを非難も擁護もできやしない。何度もことに及ばないだけでその誘惑に襲われた。
しかし、フクシマの地で、津波に襲われ破壊尽くされた廃墟の町に立ち「世界の終り」を一瞬でも垣間見てからは、だからこそ人は生きねばならないと気がついたし、どんなに破壊されてようとも世界は絶対に終わらせてはならないと誓った。
人は、生き物はいやでも間もなく必ず死んでいく。何も慌てて自らその世界を終わらせる必要はない。生きて生き抜いてその世界を少しでも長く続けていくこと、変えていかねばならない。世界は変わる。生き続けること。生き続ければ世界はきっと良くなると信じて。
関西方面小旅行へ ― 2011年08月06日 20時50分19秒
先ほど東京に戻ってきた。 ― 2011年08月09日 09時06分28秒
★ともかく寝たい休みたいが・・・
土曜日の夜からだと三泊四日の関西ミニ旅行から帰ってきた。
夜行バスの車中で二晩、そして海べライブ小屋「ええかげん」の中でゴロ寝して一晩、それも蚊がものすごくて明け方になってようやくうとうとした程度だから、この三日での睡眠時間は一晩分にも満たない。
そのせいか僅か三日の旅行なのに、疲労感は一週間旅行したときのように思える。今回も良く動き回り、歩き、多くの人と会い沢山缶ビール呑んだ。そう、また新たな貴重な出会いがあった。
土曜日深夜新宿を発ち、三重県津から近鉄で「ええかげん」に昼前着いた。昼から始まり深夜まで続いたコンサートを観て翌日は昼にまた津に出て高速バスで京都に行き、夜、詩人有馬敲さんがゲストとして登場したディナーショーに評論家の田中茂二郎さんと参加した。その後、11時過ぎの京都発の夜行バスで東京に今朝方戻ったのだ。
そして出かけている間、東京では激しい雷雨があったと先ほど聞いたが、犬達も老親たちも無事で変わりなかった。ほっとしている。
いったん少しだけ横になってから、今日から画像入れて今回の「旅」について記しておきたい。ライブのあり方について、フォークソングとは何か、詩の朗読に関しても新たにいろいろ考えさせられる機会を得た。また自分を見つめなおす契機ともなった。
土曜日の夜からだと三泊四日の関西ミニ旅行から帰ってきた。
夜行バスの車中で二晩、そして海べライブ小屋「ええかげん」の中でゴロ寝して一晩、それも蚊がものすごくて明け方になってようやくうとうとした程度だから、この三日での睡眠時間は一晩分にも満たない。
そのせいか僅か三日の旅行なのに、疲労感は一週間旅行したときのように思える。今回も良く動き回り、歩き、多くの人と会い沢山缶ビール呑んだ。そう、また新たな貴重な出会いがあった。
土曜日深夜新宿を発ち、三重県津から近鉄で「ええかげん」に昼前着いた。昼から始まり深夜まで続いたコンサートを観て翌日は昼にまた津に出て高速バスで京都に行き、夜、詩人有馬敲さんがゲストとして登場したディナーショーに評論家の田中茂二郎さんと参加した。その後、11時過ぎの京都発の夜行バスで東京に今朝方戻ったのだ。
そして出かけている間、東京では激しい雷雨があったと先ほど聞いたが、犬達も老親たちも無事で変わりなかった。ほっとしている。
いったん少しだけ横になってから、今日から画像入れて今回の「旅」について記しておきたい。ライブのあり方について、フォークソングとは何か、詩の朗読に関しても新たにいろいろ考えさせられる機会を得た。また自分を見つめなおす契機ともなった。
2011年夏、津市河芸での「ええかげん祭り」報告・序 ― 2011年08月09日 21時03分08秒
★長い間お疲れさま、ガスリー坂田さんへ
今東京に戻ってきて、これを記しているわけだが、パンツ一枚で、扇風機をつけても汗びっしょりである。帰って来て思ったのは、節電の東京は今関西のどこよりも暑い。仕方なく親達の部屋には冷房を入れた。今パソコンを打っている裏の部屋はまさに蒸し風呂である。
先日は涼しくて暑さが恋しいとか書いていた我が身を恥じている。
さて、これから今回のミニ関西旅行のことを報告していくわけだが、実質二日間の旅でもいろいろ思い新たに考えさせられることが多々あった。それはフォークソングとは何であるかということと、ライブイベントのあり方として金がとれる芸とは何か、どうあるべきかということだ。
というのも、7日の日曜日には津市河芸の浜辺で、知名度の有る無しに関わらず、多くの新旧フォークミュージシャンが多数参加した「ええかげん祭り」を約12時間全て観て、翌8日は、京都にてお洒落な高額チャージのサパークラブ風ライブハウスで地元の人気パーソナリティが仕切る朗読ライブも観て、その真逆さに驚き深く考えさせられることがあったからだ。何でそんなのに行ったかといえば私淑する有馬敲さんがゲストとして出たからだ。
実は正直に告白すると、自分の中では「うた」及び「詩」に対する思いは、このところ急激に高まっていて、ほぼ寝ているとき以外は一日中考えている。しかし、その反面、外のこと、つまりフォークシンガーのフォークソングに関しては、なぜか醒めてきていて、素晴らしく熱意ある唄い手と出会う機会もなくはないのに、去年までのような何がなんでもというような熱い思いはなくなってしまった。
その理由としてまず考えられるのは、今年5月の大阪春一番での出来事が大きく、個々のミュージシャンのあり方や問題ではまったくないのに、単にイベントとして主催者の考えるそれと、自分が考えていたものがいつしか違ってしまっていて、結果トラブルとなり、長年親しみ大事にしてきた場から追放されてしまったことがやはりトラウマにもなってしまったからだ。当然のことフォークソングをうたうシンガーからも気持ちが離れていくのもいたしかたないかと思う。
その直後の、福島県いわき市で行われた復興支援ライブイベントでは、まだ春一のコーフン覚めやらぬものもあったし、春一系のフォークシンガーが少なかったこともあり、全てが目新しくライブコンサートという催しに熱いものを自分は持ちえていた。
そして新潟でも新たな出会いは新鮮さをもたらし、昂揚するものが大きかったし、いくつかの個々のシンガーのライブでは決して興醒めすることはなかった。
が、ある意味、春一番にもっとも近しい「ええかげん祭り」はどうか、期待しないわけでも乗り気でないわけでもなかったが、不安な気持ちも実はややあった。
結論から言うと、出演者もとても豪華で、素晴らしい演奏も多々あったコンサートであったが、今の自分が感じているフォーソングとの「距離」を改めて確認する機会となってしまった。
それはイベント自体の失敗成功とか演奏の出来不出来でもない。コンサート自体は最後ということもあり客の入りも良く、かなりの盛り上がりを見せたし、決して悪いものではなかった。お誘いした初参加の方々は皆満足され感動したかと信ずる。
しかし自分としては、もう一つ乗り切れず、かつてのような興奮も感動も残念なことに今回は味わうことが出来なく妙に醒めている自らにも違和感を持った。がんばったガスリーには申し訳ないが、これは自分の問題のように思える。
それは、うた、フォークソングというものが、外側にあるもの、他者から与えられるものではなくなってきて、我が身のこの内側にあり、表現を求めているものだとわかってきたからだと思うし、そうした希求する思いと外側にある音楽とが食い違ってきたからではないかと想像する。
しかし、やはり一番のきっかけは今年の春一であり、内在していた風太との問題が、3.11ではないが、そのときを境に一気に噴出して、「距離」として確認できるようになったからと考える。それは悪いことではないし、私的には良いことなのだが、地方でも自腹切って長年がんばって企画してきたガスリー氏には本当に申し訳ない気がしている。
そうした勝手なことをまず告白した上で、ええかげん祭りと、有馬敲さんがゲストとして出て詩を朗読されたライブイベントについて次回から報告していこう。さすがに今日はまだ体中の節々が痛く、足は重くだるくて起きていられない。体調をまず戻してからだ。
今東京に戻ってきて、これを記しているわけだが、パンツ一枚で、扇風機をつけても汗びっしょりである。帰って来て思ったのは、節電の東京は今関西のどこよりも暑い。仕方なく親達の部屋には冷房を入れた。今パソコンを打っている裏の部屋はまさに蒸し風呂である。
先日は涼しくて暑さが恋しいとか書いていた我が身を恥じている。
さて、これから今回のミニ関西旅行のことを報告していくわけだが、実質二日間の旅でもいろいろ思い新たに考えさせられることが多々あった。それはフォークソングとは何であるかということと、ライブイベントのあり方として金がとれる芸とは何か、どうあるべきかということだ。
というのも、7日の日曜日には津市河芸の浜辺で、知名度の有る無しに関わらず、多くの新旧フォークミュージシャンが多数参加した「ええかげん祭り」を約12時間全て観て、翌8日は、京都にてお洒落な高額チャージのサパークラブ風ライブハウスで地元の人気パーソナリティが仕切る朗読ライブも観て、その真逆さに驚き深く考えさせられることがあったからだ。何でそんなのに行ったかといえば私淑する有馬敲さんがゲストとして出たからだ。
実は正直に告白すると、自分の中では「うた」及び「詩」に対する思いは、このところ急激に高まっていて、ほぼ寝ているとき以外は一日中考えている。しかし、その反面、外のこと、つまりフォークシンガーのフォークソングに関しては、なぜか醒めてきていて、素晴らしく熱意ある唄い手と出会う機会もなくはないのに、去年までのような何がなんでもというような熱い思いはなくなってしまった。
その理由としてまず考えられるのは、今年5月の大阪春一番での出来事が大きく、個々のミュージシャンのあり方や問題ではまったくないのに、単にイベントとして主催者の考えるそれと、自分が考えていたものがいつしか違ってしまっていて、結果トラブルとなり、長年親しみ大事にしてきた場から追放されてしまったことがやはりトラウマにもなってしまったからだ。当然のことフォークソングをうたうシンガーからも気持ちが離れていくのもいたしかたないかと思う。
その直後の、福島県いわき市で行われた復興支援ライブイベントでは、まだ春一のコーフン覚めやらぬものもあったし、春一系のフォークシンガーが少なかったこともあり、全てが目新しくライブコンサートという催しに熱いものを自分は持ちえていた。
そして新潟でも新たな出会いは新鮮さをもたらし、昂揚するものが大きかったし、いくつかの個々のシンガーのライブでは決して興醒めすることはなかった。
が、ある意味、春一番にもっとも近しい「ええかげん祭り」はどうか、期待しないわけでも乗り気でないわけでもなかったが、不安な気持ちも実はややあった。
結論から言うと、出演者もとても豪華で、素晴らしい演奏も多々あったコンサートであったが、今の自分が感じているフォーソングとの「距離」を改めて確認する機会となってしまった。
それはイベント自体の失敗成功とか演奏の出来不出来でもない。コンサート自体は最後ということもあり客の入りも良く、かなりの盛り上がりを見せたし、決して悪いものではなかった。お誘いした初参加の方々は皆満足され感動したかと信ずる。
しかし自分としては、もう一つ乗り切れず、かつてのような興奮も感動も残念なことに今回は味わうことが出来なく妙に醒めている自らにも違和感を持った。がんばったガスリーには申し訳ないが、これは自分の問題のように思える。
それは、うた、フォークソングというものが、外側にあるもの、他者から与えられるものではなくなってきて、我が身のこの内側にあり、表現を求めているものだとわかってきたからだと思うし、そうした希求する思いと外側にある音楽とが食い違ってきたからではないかと想像する。
しかし、やはり一番のきっかけは今年の春一であり、内在していた風太との問題が、3.11ではないが、そのときを境に一気に噴出して、「距離」として確認できるようになったからと考える。それは悪いことではないし、私的には良いことなのだが、地方でも自腹切って長年がんばって企画してきたガスリー氏には本当に申し訳ない気がしている。
そうした勝手なことをまず告白した上で、ええかげん祭りと、有馬敲さんがゲストとして出て詩を朗読されたライブイベントについて次回から報告していこう。さすがに今日はまだ体中の節々が痛く、足は重くだるくて起きていられない。体調をまず戻してからだ。
今夏最高の暑さの日に ― 2011年08月10日 21時48分45秒
★暑すぎてパソコンの調子悪いので
東京に戻って一夜過ぎたが、それにしても猛烈に暑い。
自分が出かけている間に猛暑が戻ったようで、昨日の朝京都から帰って、所用事を済ませて、昼食後、裏の自室、冷房のない旧い方のマイベッドで仮眠をとった。睡眠不足も限界であった。
むろん扇風機はつけていたのだが、風もなくあまりの暑さに良く眠れず夕方起きたら頭が痛くふらふらする。慌てて風呂場で冷水を頭から被り、体温を冷やした。熱中症一歩手前であった。
結局、昨晩は新館のほうの三畳のほどのクーラーのある小部屋で寝た。ようやくぐっすり深く眠れた。といっても朝から暑いので犬たちの散歩のこともあり寝坊などはできないのだが。
日中は留守の間にたまった洗濯や掃除など家事に追われ、午後はクーラーのある部屋で親たちを昼寝させて、夕方の犬散歩は買い物がてら車で出かけた。
今は夕食後、新館の方でノートパソコンで、これを打っている。裏の部屋にあるいつも使っているデスクトップのほうは、暑さのせいなのかデジカメの画像がうまく取り込めない。
この暑さが続くようならばとうぶんの間、冷房のない部屋では眠るも何も何一つそこでは作業できないかと思う。
今日も熱中症で何人も死に、何百人も救急車で運ばれたとのことだ。自分もまだ本調子ではない。ともかく涼しい部屋でたっぷり寝て疲れをとりたいと願う。
そんなこんなでうまく暑さをしのぎつつ、徐々にブログ書き進めていきます。
東京に戻って一夜過ぎたが、それにしても猛烈に暑い。
自分が出かけている間に猛暑が戻ったようで、昨日の朝京都から帰って、所用事を済ませて、昼食後、裏の自室、冷房のない旧い方のマイベッドで仮眠をとった。睡眠不足も限界であった。
むろん扇風機はつけていたのだが、風もなくあまりの暑さに良く眠れず夕方起きたら頭が痛くふらふらする。慌てて風呂場で冷水を頭から被り、体温を冷やした。熱中症一歩手前であった。
結局、昨晩は新館のほうの三畳のほどのクーラーのある小部屋で寝た。ようやくぐっすり深く眠れた。といっても朝から暑いので犬たちの散歩のこともあり寝坊などはできないのだが。
日中は留守の間にたまった洗濯や掃除など家事に追われ、午後はクーラーのある部屋で親たちを昼寝させて、夕方の犬散歩は買い物がてら車で出かけた。
今は夕食後、新館の方でノートパソコンで、これを打っている。裏の部屋にあるいつも使っているデスクトップのほうは、暑さのせいなのかデジカメの画像がうまく取り込めない。
この暑さが続くようならばとうぶんの間、冷房のない部屋では眠るも何も何一つそこでは作業できないかと思う。
今日も熱中症で何人も死に、何百人も救急車で運ばれたとのことだ。自分もまだ本調子ではない。ともかく涼しい部屋でたっぷり寝て疲れをとりたいと願う。
そんなこんなでうまく暑さをしのぎつつ、徐々にブログ書き進めていきます。
今年のええかげん祭の報告・① ― 2011年08月11日 08時24分48秒
★浮かれすぎて撮影失敗しました(泣)・・・
京都から戻って二日目、今日11日も出かけたり、食事、家事の合間を縫ってはひたすら昼寝した。ようやく体調は戻ってきたかと思うし、今回のミニ関西旅行のまとめと決算を早くしないとならない。
で、持っていったデジカメから撮影データをパソコンに取り込もうとしたのだが、暑さのせいなのか立ち上がりも悪くカメラから出したSDカードをノートパソコンに差し込んでも反応がない。旧いパソコンのときは、カメラとPCをケーブルで繋いでデータを転送していたのだが、ようやく最近になって、カードからも直截繋げられることがわかったのだ。
しかし今回は何故かうまくゆかず、ようやく今日になって、撮影データの取り込みに成功した。で、確認してみて愕然とした。というは、7日のええかげん祭りの画像として撮れていたのは、最後のほうの中川五郎さんのステージからで、以降ラストシーンまではあったものの、その前の昼からのステージから村上律氏までの分、全てが何も撮れていない、いや残っていないのである。
昼から始まったこのイベント、自分としては、出たミュージシャンは各自それぞれ一人最低でも4~5枚は撮っていたはずだし、いちいち確認はしなかったが、撮れているはずだった。それが全部消えてしまっている。
デジカメの構造上、その時点まで撮れていなかったとは思えないし、また意識して消さない限り一括して消えてしまう理由がわからない。カメラから出したカードをあれこれいじっているうちにキズでもついて再生できなくなってしまったのか。手元の2×3センチにも満たない薄いプラスチックの板をまじまじと見つめて溜息をつくばかりであった。まあ元からこんなものに全幅の信頼はおいてなかったのであるが。
昔の35mmフィルムなら現像ミスやフィルム自体の紛失はあったけれどこれほど大量な撮影失敗はありえなかったはずで、本当にデジタルの世界は怖いし油断ならぬとつくづく思った。
考えてみれば、昨年の第二回隅田川フォークフェスだって、頼んでいたビデオ撮影は、ライブ自体が長時間になりすぎて収録できる時間を超えたため、自動的?にまた頭から消しての撮影となってしまったようで、今手元にあるのは、盛り上がったエンディングの場面だけ数分だけだ。
アナログの時代ならたとえ何か失敗したとしてもその局所に留まったはずのものが、デジタルはデータはすべて一気に失われてしまう。そして修復はまず不可能だ。一つのミスや不具合がシステムを通して一気に広がってしまう。本当に常に心して覚悟の上で注意しないとならなかったのだ。
まあ、音楽とは目に耳に焼きつけ、心で楽しめという風太の論理でいけば、自分のやっていることは邪道であり、これもまた彼らの呪いなんかなあとも思う。一度ケチのついたカメラはお祓いでもしないとダメなんやろかとも。
まあ、これからも懲りずにオレはこうした記録をやっていくし誰かが書き記していくことでしかサブカルチャーは存在したことにはならない。画像がなくとも文章で何とか補足して報告していきたい。
そう、考えてみれば今回もええかげん祭りに行けて、大好きな素晴らしいミュージシャン達のうたをたっぷり聴けて、多くの人たちと出会うことが成った。人と会い、人と人を結び繋げる役割を少しでも担うことができたかと思う。それだけでも行ったかいがあったし、無駄ではなかったと信ずる。※今回出合えた人たちのことはまた稿を改めて書きたい。
失敗とトラブルは我が影法師。だからといって臆してどこにも出かけず誰とも会わなければ閉ざされた人生はますます窮していく。後悔はしても反省はしないバカな自分だが、これからはできるだけ注意してやっていこうと思った。
京都から戻って二日目、今日11日も出かけたり、食事、家事の合間を縫ってはひたすら昼寝した。ようやく体調は戻ってきたかと思うし、今回のミニ関西旅行のまとめと決算を早くしないとならない。
で、持っていったデジカメから撮影データをパソコンに取り込もうとしたのだが、暑さのせいなのか立ち上がりも悪くカメラから出したSDカードをノートパソコンに差し込んでも反応がない。旧いパソコンのときは、カメラとPCをケーブルで繋いでデータを転送していたのだが、ようやく最近になって、カードからも直截繋げられることがわかったのだ。
しかし今回は何故かうまくゆかず、ようやく今日になって、撮影データの取り込みに成功した。で、確認してみて愕然とした。というは、7日のええかげん祭りの画像として撮れていたのは、最後のほうの中川五郎さんのステージからで、以降ラストシーンまではあったものの、その前の昼からのステージから村上律氏までの分、全てが何も撮れていない、いや残っていないのである。
昼から始まったこのイベント、自分としては、出たミュージシャンは各自それぞれ一人最低でも4~5枚は撮っていたはずだし、いちいち確認はしなかったが、撮れているはずだった。それが全部消えてしまっている。
デジカメの構造上、その時点まで撮れていなかったとは思えないし、また意識して消さない限り一括して消えてしまう理由がわからない。カメラから出したカードをあれこれいじっているうちにキズでもついて再生できなくなってしまったのか。手元の2×3センチにも満たない薄いプラスチックの板をまじまじと見つめて溜息をつくばかりであった。まあ元からこんなものに全幅の信頼はおいてなかったのであるが。
昔の35mmフィルムなら現像ミスやフィルム自体の紛失はあったけれどこれほど大量な撮影失敗はありえなかったはずで、本当にデジタルの世界は怖いし油断ならぬとつくづく思った。
考えてみれば、昨年の第二回隅田川フォークフェスだって、頼んでいたビデオ撮影は、ライブ自体が長時間になりすぎて収録できる時間を超えたため、自動的?にまた頭から消しての撮影となってしまったようで、今手元にあるのは、盛り上がったエンディングの場面だけ数分だけだ。
アナログの時代ならたとえ何か失敗したとしてもその局所に留まったはずのものが、デジタルはデータはすべて一気に失われてしまう。そして修復はまず不可能だ。一つのミスや不具合がシステムを通して一気に広がってしまう。本当に常に心して覚悟の上で注意しないとならなかったのだ。
まあ、音楽とは目に耳に焼きつけ、心で楽しめという風太の論理でいけば、自分のやっていることは邪道であり、これもまた彼らの呪いなんかなあとも思う。一度ケチのついたカメラはお祓いでもしないとダメなんやろかとも。
まあ、これからも懲りずにオレはこうした記録をやっていくし誰かが書き記していくことでしかサブカルチャーは存在したことにはならない。画像がなくとも文章で何とか補足して報告していきたい。
そう、考えてみれば今回もええかげん祭りに行けて、大好きな素晴らしいミュージシャン達のうたをたっぷり聴けて、多くの人たちと出会うことが成った。人と会い、人と人を結び繋げる役割を少しでも担うことができたかと思う。それだけでも行ったかいがあったし、無駄ではなかったと信ずる。※今回出合えた人たちのことはまた稿を改めて書きたい。
失敗とトラブルは我が影法師。だからといって臆してどこにも出かけず誰とも会わなければ閉ざされた人生はますます窮していく。後悔はしても反省はしないバカな自分だが、これからはできるだけ注意してやっていこうと思った。
大震災から五ヶ月が過ぎた日に ― 2011年08月11日 08時25分33秒
★人それぞれの生活の柄
今日も朝から猛烈に暑い。7時過ぎると焼けつくような陽射しが照りつける。
昨晩は冷房を入れて早めに寝て久しぶりにぐっすり熟睡できた。
こうして狭いベッドであろうと、誰にも気兼ねせず手足を思う存分伸ばして眠れるのは実に有難いことだとつくづく思った。今も避難先で個室など持てない暮らしをされている被災された方々には本当に申し訳なく思う。
短くとも家を空けて移動のバスの中や現地の小屋の中で仮眠としての浅い眠りをとることになって、改めて睡眠の重要さを痛感した。食べることの大切さと同様かそれ以上に休養と回復のためにも眠ることの質と量の確保に人はもっと気を配るべきではないか。
ご存知、高田渡のうたった和製ホーボーズソング『生活の柄』の原詩は沖縄の詩人山之口獏のものだが、浮浪者は夏はどこでも草叢の中でも眠れたが、秋になり寒くなっていくと野外では眠れないとうたっている。また、「長距離トラックの響きがオイラにゃ子守唄」というフレーズを記憶する『ホーボーズララバイ』など旅での眠りはよく唄に歌われている。が、我が身に置き換えるとこれはじっさいのところはかなり辛いと言わざるえない。
増坊は近年、全国どこでも出かけなくてはならないときは、まずは深夜の高速バスの便があるかネットで値段とルートを調べ一番安い便を利用している。都心を夜11時頃に出て、目的地に早朝着くというのは一泊分の宿泊費と交通費が一緒になったようなものだから肉体的に辛くても安さ至上主義でトイレ無し四列シートに乗って大阪でも徳島でもどこでも行っていた。
しかしこのところ件の詩に倣えば、「この頃は眠れない。高速バスでは眠れない。寝たかと思うと寝たかと思うと、トイレ休憩で起こされ眠れないのです」なのである。四列シートは当然のこと狭いわけで、まったくの他人と肩を寄せ合って眠らねばならない。隣がデブだと窮屈で押し潰されそうだ。窓際の席ならともかく通路側なら停車の都度揺り起こされる。
登山も趣味であった自分は山小屋にも多く泊まったことはあるが、あそこも狭いことは狭いがとりあえず眠ってしまえば車の振動などはないから熟睡してしまうし出発まで自らの意思以外起こされることはない。
それでも昔は高速バスでも眠れたように思えるし、大して辛いと思ったことはなかった。あくまでも格安の移動手段であり、たとえ次の日がしんどくとも安さと朝着くという利便性は魅力的だったからだ。
しかしこのところはそうした「生活の柄」が回を重ねるごとに辛くなってきたようで、今回の三泊旅行は、現地できちんとしたホテルで眠らなかったこともあって睡眠に関してはある意味地獄だと思ってしまった。要するにそれだけ老いてきたということなのか。
※長くなったのでもう一回続きを書きます。
今日も朝から猛烈に暑い。7時過ぎると焼けつくような陽射しが照りつける。
昨晩は冷房を入れて早めに寝て久しぶりにぐっすり熟睡できた。
こうして狭いベッドであろうと、誰にも気兼ねせず手足を思う存分伸ばして眠れるのは実に有難いことだとつくづく思った。今も避難先で個室など持てない暮らしをされている被災された方々には本当に申し訳なく思う。
短くとも家を空けて移動のバスの中や現地の小屋の中で仮眠としての浅い眠りをとることになって、改めて睡眠の重要さを痛感した。食べることの大切さと同様かそれ以上に休養と回復のためにも眠ることの質と量の確保に人はもっと気を配るべきではないか。
ご存知、高田渡のうたった和製ホーボーズソング『生活の柄』の原詩は沖縄の詩人山之口獏のものだが、浮浪者は夏はどこでも草叢の中でも眠れたが、秋になり寒くなっていくと野外では眠れないとうたっている。また、「長距離トラックの響きがオイラにゃ子守唄」というフレーズを記憶する『ホーボーズララバイ』など旅での眠りはよく唄に歌われている。が、我が身に置き換えるとこれはじっさいのところはかなり辛いと言わざるえない。
増坊は近年、全国どこでも出かけなくてはならないときは、まずは深夜の高速バスの便があるかネットで値段とルートを調べ一番安い便を利用している。都心を夜11時頃に出て、目的地に早朝着くというのは一泊分の宿泊費と交通費が一緒になったようなものだから肉体的に辛くても安さ至上主義でトイレ無し四列シートに乗って大阪でも徳島でもどこでも行っていた。
しかしこのところ件の詩に倣えば、「この頃は眠れない。高速バスでは眠れない。寝たかと思うと寝たかと思うと、トイレ休憩で起こされ眠れないのです」なのである。四列シートは当然のこと狭いわけで、まったくの他人と肩を寄せ合って眠らねばならない。隣がデブだと窮屈で押し潰されそうだ。窓際の席ならともかく通路側なら停車の都度揺り起こされる。
登山も趣味であった自分は山小屋にも多く泊まったことはあるが、あそこも狭いことは狭いがとりあえず眠ってしまえば車の振動などはないから熟睡してしまうし出発まで自らの意思以外起こされることはない。
それでも昔は高速バスでも眠れたように思えるし、大して辛いと思ったことはなかった。あくまでも格安の移動手段であり、たとえ次の日がしんどくとも安さと朝着くという利便性は魅力的だったからだ。
しかしこのところはそうした「生活の柄」が回を重ねるごとに辛くなってきたようで、今回の三泊旅行は、現地できちんとしたホテルで眠らなかったこともあって睡眠に関してはある意味地獄だと思ってしまった。要するにそれだけ老いてきたということなのか。
※長くなったのでもう一回続きを書きます。
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