続・今年の隅田川フォークフェスともかく終わって今思うこと。2012年07月08日 00時10分45秒

くもりな の皆さん、 ボーカルのめいりん
★隅田川フェスはアマの祭典なのかプロのイベントなのか。

 こんなことを書くと語弊あるしあちこちから顰蹙を買うのを承知で書く。巧拙ではなくプロとアマチュアの差は確かにはっきりある。それは自分が下手くそなアマチュアだから言うのではない。厳然たる事実として、プロの人、音楽で飯食っている人と趣味道楽でやっている人は同列であってはならないはずだ。なによりプロに失礼であろう。

 振り返れば、自分はかねがねこうしたブログやあちこちで、音楽に老いも若きもプロもアマも関係ないと常々書いてきた。プロだってアマより下手くそな、実力のない人は多くいるし、アマチュアでも卓越したテクニックや素晴らしい魅力ある人はいっぱい知っている。何よりプロだからエライ、アマだからその下に置くという一般概念に与してはならぬと説いてきた。しかし少なくてもプロは、それでお金がとれお金が動く人なのであり、メシを食っている人、食えなくても食えるようになろうと志しを立てた人なのだ。それは職業として尊敬せねばならないはずだ。

 今回の隅田川フェス、いちばん不可解かつ失敗ではなかったかと自分が思うのは、第一部のレコードコンサートはともかく、ライブが始まって、タイムテーブル真ん中頃に今人気高いプロのグループ、「くもりな」を持ってきて、その後、後半はトリの岡大介に至るまでアマチュアの人たちが続いたことだ。くもりな終演後、観客はどっと帰って半分ほどになってしまったし、アマチュアの人たちがプロに比べて下手だとか魅力ないとかではなく、そうした進行表には首をかしげてしまう。

 アマチュアだってプロ並みプロ以上に巧くしっかり聞かせる人も今回も多く出たが、彼らに魅力実力があるなしではなく、興業として見れば、自分としてはプロは前座に置かない。あくまでもアマはプロに対しては敬意を払い順番から行けばその前に出るべきではないか。むろんそれは主催者の考え方ひとつで、そんな順列にとらわれるべきでないと反論もあるかもしれない。しかし、アマチュア仲間の祭典ならともかく、ある程度の入場料をとっての興業イベントでもあるのだから、プロとアマが同列もしくはその前であるのはおかしなことだ。

 センターオーナーの国崎氏は、今年の隅田川フェス、今回は初心に帰ってやりたい、と当方宛のメールに記されていた。それがカントリー、オールドタイム系のアマチュアの方々に今回は多く時間を割き、彼らを後半に持ってきた理由だとするならばそれが正解であったか問いたい。もし隅田川フェスはそうした人たちのアマチュアイズムに則ったコンサートでありたいのならば、果たして入場料はどれほどとれるのだろうか。一般の観客はどれぐらい集まるか。

 またこれは書くべきか迷ったが、司会進行役に出演するアマチュアミュージシャンを当てたこと自体がそもそも一番のマチガイだと自分は断言する。たとえそのシンガーがいくら達者な歌い手、ミュージシャンであろうと司会し自らも出番を持ち歌うなんてあってはならないことだ。プロのシンガー、たとえば「さだまさしとその仲間たち」とかいうコンサートがあってさだまさしが司会進行して唄うならわかる。これはコンサートの根幹に関わることで、それをやってはいったいこのコンサートは誰がメインなのかわからないではないか。
今回の司会進行担当の方が悪いとかダメだと言っているのではない。進行役として巧みで素晴らしかった。ただその人が出演者でもあるのが合点がいかない。アマチュアのコンサートならそれは許されてもプロを招いてのコンサートではおかしなことだと言っている。僭越だと思う。岡大介が最初から最後まで出てきて司会進行して仕切るならそれは許される。オレの言っていることはヘンケンだろうか。少なくても自分は司会進行役を任されたときは絶対に唄いも弾きもしない。そんな実力がないからだがそれだけでは絶対ない。司会とはあくまでも裏方なのだ。表に出るのは自分のショーのときだけであろう。それは若い頃より風太から学んだ鉄則だ。

 自分が関わっていないからお前は好き勝手なことを書いていると批判されよう。そのとおりであるがでは自分が関わっていればどうだったかと考える。やはり最後はいつもながらどんどん押して来てあたふたするような気もしないではないが、そもそもこうした大勢が出るコンサートはきちんと一人タイムキーパーを置いて厳しくチェックしていけば良いだけの話なのである。その認識が甘いから最後にシワ寄せが来てしまう。その意味でも司会役と出演者が同一では時間管理ができるはずがない。勝手な言い草だと呆れられ怒られるだろうか。

 隅田川フォークフェスはアマチュア中心の音楽の祭典なのだろうか。ならばプロシンガーはどの程度そこに入れるべきなのか。自分にはそこのところがよくわからなくなった。第二回目に参加されてこのフェスについて非常に好意的な記事を自らのブログに書いてくれた中川五郎さんには申し訳ないけれども。

 と勢いで思うところ書いたが、じっさいの様子はこの文章だけでは参加者でない限りまったくわからない。伝わらないと気づく。一両日中に、画像で全出演者登場順にアップさせる。さすれば雰囲気だけは伝わるであろう。もう少々お待ち下さい。【終】

7月の予定と年内これからのこと2012年07月08日 23時22分46秒

大正演歌師・楽四季一生さん
★懸案のことを今月中に片づけて秋へ向かっていく

 何はともあれ隅田川フェス無事に終わって良かったと一夜明けて思う。朝から夜までずっと立ちっぱなしだったが体調、腰の方はさほどダメージはなかった。まあ、もう治ったと言えると思う。ご心配おかけした。

 オリンピックではないが、こうしたコンサートは、まずやることに意義があるのだと気づく。興行的な結果やその他コンサート総体のことはその後についてくるものだ。つまり採算や音楽・芸術的価値や意味とはまた別なところでイベントというものは考えないと何一つできやしないのである。ただ、問題があるとしたら観客、関係者、出演者ら総ての関わった人たちの満足度がどこまで高まったかという一点のみであり、どのぐらいの人が「これでいいのだ」と思えたかなのである。

 さて、7月、今月は自分が関わるコンサートは29日の新宿のお寺である、なかよしうめず(中川五郎、よしだよしこ、梅津)の「教育の貧困」だけであり、あとは体がゆるせばまずは16日の10万人集会などへ参加するだけだ。
 
 今月はともかく溜まりに溜まった懸案のことを一つでも片づけてしまおうと考えている。それはブログで言えば、これまで関わったライブの報告記事、画像などのまだ整理していない分を全てアップさせるということである。中途半端なままずっと投げ出していたことをきちんと整理、処理しないことには次のことにとりかかれない。まずは今年前半の関わったことをすべて整理しまとめ決着つけていくことだ。

 無頼庵での次の活動もそろそろ決めてその準備していかないとすぐに秋が来て、冬となり今年も終わってしまう。隅田川フェスではないが、こうしたイベント企画は、拙速に開催だけ決めても人は集まらない。最短でも三か月は時間をかけてじっくり宣伝していかないと周知が徹底できない。たとえウチで2~30人の人を集めるのだって、そのぐらいの戦略を立ててこそ何とか満席にできるのだ。なので、そろそろ年内の活動予定をきちんと決めて宣伝活動を始めていかねばと思っている。

 今年後半の無頼庵の予定であるが、かねてよりお知らせしてきた「無頼庵フォークソングワークショップ、貴方も今日からフォークシンガー!」と「三留まゆみ無頼庵映画塾」を秋から月一で始める。
 その他、恒例ライブとして、「天才・さこ大介大全集」のプレイベント、それに「楽四季一生大正演歌師ショー」を予定している。この二つはクリスマス前には何としても実現させたい。
 その他「地球の上に生きるには~皆で手作りキムチづくり」という企画も12月頭に確定している。それらをうまくこなしていくためにも体調を整え、抱えているこれまでのことをすっきりさせなくてはならない。

 原発再稼働や公約破りの消費税増税など悪政に対して今国民の間では静かな怒りが自然発生的にうねりとなって大きく高まっている。時代は大きく変わり始めている。その変革の時代に少しでも関わっていくことができればと願う。それが安保闘争、学園紛争にも間に合わなかった遅れて来たゼネレーションの一人として最後の闘いなのである。