全ては起こるべくして起きること2012年07月28日 09時53分22秒

★誠に勝手ながらこの暑さが過ぎるまでは家庭のこと優先でいく。

 週末土曜日、7月最後の土曜日である。今朝も早朝はやや涼しく、犬たちの散歩は問題なく行けたが、もう陽が昇って強い陽射しが照り付けると外は焼けつく暑さでとても出られない。東向きのパソコンのある自室で今窓をカーテンで締め切って扇風機を最強にしてパンツ一枚でこれを記している。室内はそれでも30度を越している。パソコンは壊れないか気にかかる。


 ロンドンオリンピックの開会式を先ほどテレビの中継で観た。親たちとの朝食を済ませてから最後のほうだけだったが、何の関心もなかったもののなかなか興味深く生で観れて良かった。ラストは、ポール・マッカートニーが登場し「ヘイ・ジュード」を唄い最後のコーラスは自ら立ち上がって観客に呼びかけ会場全体を大きく盛り上げてこのお祭りセレモニーは終わった。久々の生の彼は、だいぶ頬もたるみ当然ながら老いたなあという印象はあったが、まあ元気な姿が見れてこちらも胸が熱くなった。抱きかかえられるようではあったがモハメド・アリ氏の姿も垣間見れたし。子供の頃から憧れの人たち、今もまだ彼らが達者で生きていることは何より喜びしいことだ。

 さて、昨日の「報告」の続き。
 草春、我が家に来て、これまで何回か催したイベントの際は二階にも上がってきた、とても人懐こい黒猫、クロスケ君はウチに来た方はご存知であろう。拙ブログでも記したが、一度失踪して行方不明になり、もう諦めかけた頃、立川砂川の猫返し神社のご利益で、警察に保護されたと電話があり、奇跡的に帰ってきた。
 それが5月の頭の頃で、それ以降、彼は基本的に室内飼いの猫として、外に出るときは犬のように紐をつけられて散歩するように飼われていたのだ。前世が犬であったかと思われるほど、紐つけられていても彼はあまり抗わず、むろん自由に好き勝手に歩きたかったはずだが、このところ犬に加えてクロスケの散歩もウチの日課となっていたのだ。特に毎晩、増坊とゆっくりこの町内を回る夜の散歩は我々日課となっていた。
 が、まだ若いそれも去勢していないオス猫であり、昼間は食べては寝てばかりでも夜になると、散歩の後でももっと行きたいね外に出たいとニャーニャー騒いでいた。しかし、クロスケの世話だけで人生は動いていかないし、こちらも何かと忙しい。室内では紐を外して締め切って閉じ込めて騒ぐままにさせていた。
 しかし、水曜日の夜のこと、夜の散歩のあとも大きな声で鳴いて外へ出たいと玄関の前で大さわぎしていた。そのことはわかっていたけれど、まあそのうち諦めるだろうと下の騒ぎはそのまま自分は二回で何か作業していた。そして寝た。たいてい朝は起こし来たり、夜も何度か上鳴きながら上がってくるのにその晩クロスケは一度も来なかった。

 今、夏の間、ウチは玄関には簡易であるが網戸を入れて昼間も夜も風が抜けるように玄関は開け放していた。さすがにこの猛暑では冷房をいれるようにしてからは締め切っているが、その晩は木戸を半分ぐらいだけ閉めて網戸にしていた。その網戸、一応固定してあり、動かないようにしてあったのが、木曜の朝起きてみると、内側から押したような隙間が出来ている。ちょうど猫が通れるほど外側に開いている。
 すぐにもしかしたらクロスケが出たかもと思い、室内のどこかにいるはずのクロスケを呼んで探した。たいがいは、名前を呼べは少しして返事して降りてくるはずなのだが、結局どこにもいなかった。どうやらだぶん、前の晩、下で玄関の前でガタガタやっていたから自分で隙間を押し開けて出ていったのだと思い至った。もしかしたら日中はもとかく夜涼しく慣れは゛自部で戻ってくるかもと。そしてそれから今日で三日、いちおう近所はことあるごとに目で追ったがどこにも姿はなく、また父たちは警察にも届けたが、何の連絡もない。また忽然と消えてしまった。

 思えば、マンションならともかく猫をそんなふうに飼うべきではなかった。ウチでは昔から猫は出入り自由の放し飼いでトイレなども自由意志で外で済まさせていた。だから事故に会い死ぬ猫もいたし、帰って来なくなる猫もまた多くいた。そして「消えて」しまうのは大抵オス猫であり、以前も猫好きの女友達がコメントくれたように「オス猫は修行に出る」ものであった。
 そしてじっさい、クロスケももう一回いなくなって大騒ぎして、そのときは奇跡的に名札から保護されて連絡があり還ってこれた。しかし、いつまたいなくなるかとの不安から、せっかく帰ってきたのだからと親父が紐付けると言い出し、そんな風にして基本的犬のように飼われることになったのだ。
 紐つけられてものすごく嫌がって暴れる猫もいる。が、彼は大人しく犬的に従順で、犬達と共に紐つけて近所も散歩することができた。ただ、やはり心のどこかでもっと自由に旅立ちたいという思いがあったのだろう。若いオス猫だったのだから当然である。この家は居心地も良く可愛がってくれたが。

 そしてついに25日の夜、決行したのである。それもまた猫自身の自由意志なのだ。この日でなくてもやがては起きることであった。いつかは必ず来ることであった。