全ては起こるべくして起きること・続き2012年07月29日 05時14分27秒

★人も動物もその役割を持って生まれ関わりあっていく。

 長々と猫のことまで「近況」を書いた。老親のことは今は母が自分に代わってもらったかのように腰痛に苦しんでいる。それはたぶん冷房を入れているからだと思うが、室内の温度を下げないことには老犬たち、いや老人もこの暑さでは体が持たない。

 父の高血圧のほうは、相変わらずだが、無理せずにこの猛暑を乗り切れさえすればまた状況も変わるかと思う。犬も家の中に入れられてばかりで落ち着かず不本意であるが、この暑さから避難しないことにはすぐ熱中症になり命が持たない。

 そんなこんなで7月の月末は慌しかった。いろいろご心配おかけした。
 今思うのは、繰り返しとなるがウチではこの猛暑をまず凌ぐのが精一杯であり、今は正直彼らを残してどこにも出かけられない。少しでも涼しくなって過ごしやすくなればまた状況は変わるが、8月もこの酷暑が続くならば「避難生活」が続く。

 いなくなってしまったクロスケのことを思うと今も胸が張り裂けるような痛みがわいてくる。
 抱いたときのベルベットのような感触、真黒な詰まったつやつやの毛。ずっしりとした重さ、黄色い目、甘えたときのウルウルという鳴き声、そして抱え上げ顔を埋めたときの彼の匂い。生の小魚とヨーグルトが大好物でいくらでも欲しがった。全てが今もありありと覚えている。思い出せば涙が出てくる。うちの誰よりも自分に懐き慕い常に室内ではうるさいほどついてまわって来た。
 その猫がどうして家出するのだろう。

 しかし縁あればまた会えると思うしもしかしたら還ってくることもあろう。彼は彼の役割を持ってこの家に現れ、この春、老犬ロビンが病に倒れ大変だったとき十分我々を癒してくれた。そして今またこれ以上世話はかけられないとどこか別のとろへまた別の使命を担って旅立ったような気がしている。

 前にも書いたかもしれないが、全てのことには意味があるし、偶然などはなく必然なのだと信ずる。人と人が出会い関わることも動物と出会い生活を共にすることもそこに必然性がある。
 まあクロスケも戻ってきて約三ヶ月、十二分に美味しいものをたらふく食べて医者からやや太りすぎ、これ以上太らせないでといわれたぐらい体力もついた。十二分に可愛がった。自分は飼主としての役割を果たしたし、彼もウチに来た使命を終えたと考えたのだろう。

 紐つけて飼うということ、犬に加えて猫までの散歩やトイレの掃除も含めて正直なところウチではかなり負担になってきていた。彼もそれを察知しての行動であったかもしれない。

 別れは常に哀しみの感情を伴う。でも人の死であってもその哀別離苦を乗り越えて生きていかねばならない。それにしても誰にでも懐っこいクロスケは自分にとっても今まで一番慣れ親しんでくれ深く愛した猫であった。
 まあそれはそれとして残っている動物も人間ももっと深く愛してその残り少ない生を全うできるようしっかりと見届けなくてはならない。今改めて頑張らねばと誓いなおしたところだ。
 読者の皆さんもどうかこの猛暑、ご自愛下さい。ここを頑張って乗り切ってまた素晴らしく爽やかな季節を迎えましょう!

 あなたの人生に祝福のあらんことを。そう、犬も猫たちもこの世の全ての生き物に。

新宿でのフリーコンサートへご参加を2012年07月29日 09時32分19秒

★戻ったら報告しますが・・・

 また今日も暑い。が、今の自分にはこの暑さもまた好ましいと思えるしちっとも苦ではない。「家のこと=家族のこと」に囚われてはいるが、ある意味悠々自適の生活であり、好きな時に起き、好きな時に食べ、汗書いたら水風呂に浸かり、眠くなれば好きな時に寝られるのだから。

 しばらくの間はコンサート、イベントの企画や参加は控えると書いたが、今日のフリーコンサートは、以前より関わりある人たちとの「お手伝い」だから行かざるえない。いや、こちらに行かなければ国会を取り囲むデモに参加していたと思うし、つまるところどちらも同じ話であった。

 そう、全てのこと、根源は脱原発にせよ、イジメ不登校、差別と格差社会、非正規労働にせよ一つなのである。大昔マルクスが説いたように、この世は一部の資本家、支配層が大衆を搾取してその甘い汁をすすり独り占めしているのは今も昔もちっとも変わらない。彼らはその権益を絶対に手放さない。そうした走狗として野田民主党政権は存在している。
 要するにその根本の部分に目を向けて、社会そのものの歪みを正していかない限り世界は変わらないし、結果地球は破滅に向かい人類、全生物に未来はない。

 ひところ、愚かにも世の中は、勝ち組と負け組とに別れているという妄言が浸透し、若者は騙され「勝ち組」に憧れそうなることを夢見た。しかしこれだけ格差が広がり、低所得者層が増えてくれば、いったいその儲けはどこに蓄積されて行くのか、誰が手にしているのかそこに目を向けざる得なくなってきた。勝ち負けという競争社会の中で人を蹴落として勝ち組を目指すのではく、本来あるべき所得の分配と安心して誰でも暮らせる社会保障のあり方が今こそ問われている。
 このことは長い目で見れば国家、地球、人類の益になることだ。何故なら我々は今も昔もこの地球の上で生き、同じ地球号という宇宙船の乗組員なのだから。富の偏り、蓄積は結果、金が動かなくなりますます経済は疲弊していく。こんな段階で消費税を上げてしまえばさらに誰も金は使わなくるのは子供だってわかる理屈だ。

 そうした当たり前のことを今まで誰も声高に語らなかったし、そうしたことを叫ぶ人たちは「アカ」だと揶揄されていた。しかし今は違う、大衆市民の意識は大きく変わってきた。今のままでは大変なことになる。誰もがその思いを抱いている。その危機意識を共有する限り世界は変わる。変わっていく。

 このフリーコンサートはそのきっかけとなることは間近いない。ぜひ多くのご参加を願う。