たかが電気ではないか。2012年07月17日 23時04分12秒

★「電気」を誰がどうやって作るのか、だ。

 今日も暑かった。このところ日々毎日最高温度を更新している。さすがに老犬、老人を抱える我が家では、今日今年初めてやむにやまれず冷房を入れた。
 気持ちとしては東電の電気はできるだけ使いたくないし、ほら見ろ、だから原発は必要なのだという論を声高に言い立てる輩はいるかと思う。;クーラー利用には忸怩たる気持ちもあるが、命には代えられない。こう暑いと冷やさないと死んでしまう。仕方なく午後から一部屋に犬も猫も老人も閉じ込めてできるだけ効率よく冷房を入れることにした。使いたくはないが、まさにやむをえずである。

 だが、考えてみれば、電気を使うこと、それも自腹切って、利用者、消費者として電気を消費することと原発の是非は本来何も関係ない。今単に、原発を稼働させないと電力不足になり大変だと騒ぎ立てることと、原発自体の要不要はまた別の話だ。じっさい、他の代替エネルギーで電力をまかなえられれば済む話であり、今現在、原発がなくては困るとしても中長期的な話とはまったく関係ない。

 ところがこれから先の未来の話においても原発は今よりさらに必要だとする論を言い立てる奴らがいる。そこにはまったく根拠がない。まさに自らの損得勘定からのタメにする論なのだ。
 ある意味、原発ゼロだとしてもやっていける国を模索しそうしていくべき方が健全な経済のあり方ではないのか。なぜなら原発は危険だという以前に、諸外国から資源を輸入しなくてはならないし、最終的に核のゴミの始末も未だ定まっていない。リスクも考えればある意味やたら問題ばかりの金食い虫であり、仮に今現在は頼らざるえないとしてもこれから先も絶対必要だ、なくしてはならないという論は根拠を持たない。

 昨日の集会で坂本龍一が言っていたが、まさに「たかが電気」なのである。その電気をどう作り出すかその手段が問題とされているだけの話だ。おそらく近い将来、個人が家庭で使う程度の電力は、各家庭や人々が携帯するソーラーパネル、蓄電池のようなもので全て賄えるようになるのではないか。つまり電力会社に常に依存し金出して買わなくとも自分のところで電気も自給自足で何とか作れるようになっていく。あるいは原発を使わない別会社から購入できる。さすればそもそも原発の必要性はなくなるし、そうした原発依存の経済も根底から覆される。

 ゆえに今後のエネルギー政策においては、基本原発ゼロとして設定して、そのために化石燃料にまた逆戻りするのではなく、国家を挙げて新たな代替自然エネルギーを開発していくしかない。この国の科学と英知をもってすれば、今日明日は無理だとしても数年のうちにはそのメドが立つはずだと確信する。そしてそのこと自体が新たな産業を生み経済を活性化させていくと信ずる。少なくとも原発にはこれだけ国民的アレルギーができてしまった今さらそれに固執しても未来はない。そのことは昨日の17万人の大集会が証明している。

 反原発、脱原発は世界の流れであり、被爆国日本こそ率先して原発に頼らず経済成長を成しえる優等生としてリーダーシップを発揮するチャンスでもある。
 そう、たかが電気の話なのだ。その電気を自ら作り出せれば、冷房を使おうが、こうこうと深夜でも明かりをつけようが何も問題ない。原発がなくなれば電力不足に陥り、日本経済に大きなダメージを与えるという論はそもそも原発依存、原発稼働を前提とした詐欺的マヤカシ論であり、原発ゼロという選択、なくしていくという選択からしかこの国の未来、将来はない。それは事故が起きる、起こらないという議論ともまた別な話である。国際社会、世界の流れなのだ。そして「地球にやさしい」。

 この国の政治家は無理だとしてもまず国民から発想の転換をしようではないか。原発はなくしていく、もはや必要ではない。原発のない、原発に頼らない社会を創造していくことだ。それはそう難しいことではない。「イマジン」なのである。

原発のない社会を想像してごらん。