国民の声を聞く、とはどういうことか。2012年07月19日 23時56分38秒

★胡散くさい「公聴会」そのものに意味があるのか。

 将来の原発比率はどうあるべきか、広く国民の声を聴くとして政府主催の意見聴取会があちこちで開催されている。ご存知のように電力会社の社員が「個人の立場」で参加しては会社の考えを述べたり、0%案、15%案、20~25%案の三つしか選択肢がない、また一方的に発言するだけで質疑応答、意見交換などはなく議論は深まらない。そしてそもそもこの会の運営自体が博報堂だとかに丸投げで、運営方法自体が不明瞭である等いかにもこの国の政府の対応らしい後手後手の対応の遅れと不手際が相次いでいる。

 しかしそんなことよりももっと危惧するのは、いったいこの意見聴取会というのは、やったことが今後の国のエネルギー政策にどう反映されるのか全くわからないことだ。つまり国民の皆様の意見は広く聞きました、その上で、政府側としては、原発は今後は20~25%の案にそって安全性を確認した上でさらに稼動させていきます、ということにたぶんなると思えてしまうからだ。

 これまでもこうした個人、あるいは有識者から意見を聞くという公聴会は国会でもどこでもあちこちで行われている。しかし、それはあくまでも法案成立のために広く意見を聞いたという「建前」と「手順」のためのもので、結果として、常に政府側の考え、意見にそって決定されてしまう。つまりこれは不満意見に対する一つのガス抜きであり、発言する人は真面目に自らの意見を必死に政府に伝わるよう話しても実は当初から方向性、結果は確定していてそうした反対側意見は通るはずはないのである。

 そのことは野田政権が彼ら首脳陣の一存で、多勢の国民の声を無視して大飯原発再稼動を強行したことからもわかるように、権力者側はその権力を持っている限り自らの考えを無理やりにでも通していくものなのである。広く多様な意見なども聞いてそれを取り入れていたら政治は進んでいかない。それは良くも悪くも事実で、政権自体を変えない限りこうした国民の声を広く聴く会を何回やったとしても答えは先に決まっている。

 そこで思い出すのは、「平成おじさん」こと小渕元首相である。彼は新元号「平成」を発表したときの姿と任期中途で急死したこと以外に何をしたのか記憶にないが、もう一つはあのバカバカしい二千円札発案者でもあった。

 これは後年、瀬戸内寂聴さんが語っていたことだが、その二千円札の絵柄を決めるとき、源氏物語にも詳しい彼女にも小渕首相自ら電話がかかってきた。当時、小渕氏はきわめて誰にでも気さくに電話をすぐかけてくることで知られていて、それは「プッチホン」と呼ばれる程であった。
 寂聴さんは首相自らから「新札を発行するのでぜひご意見をお聞かせ下さい」と電話かかってきたので、感激してあれこれ絵柄について考えて伝えて、首相もそうですか有難うございます、参考にさせて頂きますと述べた。が、実は何のことはない、後で判明したことは、その時点で既にデザインも全て決定していて彼女の意見など全く反映はされなかったのである。、つまりあくまでも「広く有識者の意見を聴いた」という建前、いわばアリバイ工作として寂聴さんは利用されたのであった。
 政府側、権力者側というのは常にこうして、広く国民の声を聴いたとして、その上で、国民の声とは違うことを傲慢にも平然と強行していく。そしてそのことを追求され国民の怒りが高まると決まってこう言う。「ご理解いただけるようこれからも丁寧な説明をしていく」と。

 要するに、政権自体を変えない限り、いくらこうした公聴会で真面目にこちらの意見を述べても向こうには何一つ伝わらない。彼らは検討すらしない。それはそもそも原発ありき、再稼動ありきだからで、今の権力者=原発推進派側の政治家、自民党と民主党野田派、それに公明党が国会に居座る限り原発はなくならない。我々が望むこと、そしてできることは次の総選挙で真の政権交代である。
 真に国民の声にきちんと耳を傾ける政治家よ出でよ!