がんばれ!桑名正博! もう一度唄え2012年07月21日 09時00分20秒

★ロックという不良音楽のカリスマ、桑名の生還を祈る。

 このところずっと気にかかっている人がいる。いつ訃報がネット上に流れるかドキドキした思いで毎日パソコンを開く。
 桑名正博が先日、脳幹出血だとかで自宅で倒れて意識不明のままである。一時期はもはや治療法はないと絶望的な診断がされたが、今もまだ大阪の病院に入院中で今朝の報道では何とか持ち直していると妹の晴子さんが会見したそうだ。奇跡を信じたいと彼女も語ったそうが、全く同感である。

 桑名正博は、自分にとってソウル・トゥ・ソウルの頃の上田正樹と共に大坂の音楽シーンの憧れの人であり(今の上田には何も思うことはない)、ファニー・カンパニー、略してファニカンの桑名と言えば、あの頃、70年代のはじめ、泣く子も黙る、飛ぶ鳥を落とす勢いのカッコよさであった。
 後に歌謡曲の世界でそれなりにビッグヒットを飛ばし世に知られるようになるのだが、あの時代、まんま大阪弁で日本語のロックを始めたのはファニカンが嚆矢ではなかろうか。少なくとも「ぼちぼちいこか」の有山・上田のコンビより絶対に早い。

 桑名は今まだ58歳と報じられていたからその早熟さにも驚かされるが、何といっても特筆すべきは彼の唄の上手さであり、知る限りロック、ポップスを問わず自分は桑名正博ほどうたの上手い人は知らない。ロックボーカリストとして巧みに歌う人は多くいる。が、彼の場合は声も立ち姿も含めて総てがロックであり、しかも当然のこと不良であった。そしてさらに最高にうたも上手いのだから人気が出ないわけがない。
 あんな時代であったからロックミュージック自体市民権を得てなかったし、もう少し後にデビューしていれば、まさにロックのカリスマとして少女マンガ的大人気を得ていただろう。今日ではロック=不良の音楽というイメージはほとんどないし、あの内田裕也さえもテレビ局に飼い慣らされたタレントに成り下がってしまったのが今のロックなわけで、それもまた時代の流れだと思うが、桑名だけは今もその不良性をブンブンと漂わしていた。今も見るからにワルで派手ではないか。
 
 彼とは数年前、一度だけごく近くで素顔を見たことがある。故原田芳雄宅で毎年暮れに催される忘年会に友人ミュージシャンに誘われて行ってその家で会った。
 無精ひげにごま塩頭の長髪を後ろで束ねて、一人大声で「おい、芳雄~!」と原田御大をやたら怒鳴りつけているエラソーな男がいる。冬でもTシャツ姿ではなかったか。それがよく見れば桑名であり、年上である原田芳雄さえも名前で呼びつけてしまう横柄さこそ桑名だなあと大いに感心させられた。まさにイメージどおりであった。原田芳雄はというと彼もまた自宅なのに映画のイメージどおりのどっしり構えた鷹揚さで、そんなやんちゃな桑名を慈しむように相手にしていたことを思い出す。

 桑名正博、確認したわけではないが、人伝ての話だと大阪の大金持ちの家に生まれて、子供の頃から何不自由なく育って早くから洋楽、ロックミュージックに慣れ親しんだ。じっさいあの時代、ロックバンドが組めるのは金持ちの子弟が多かった。フォークは生ギター1本あれば公園でも川原でもどこでも練習できたけれど、バンドはそうはいかない。楽器も高いしその頃は練習スタジオなんてどこにも町にはなかったからそうしたドカスカでかい音を出せる広い家か倉庫でも持っていないとバンドはできない。

 彼はそうして若くして不良音楽にどっぷり浸かり、早くから人気者になりほとんど苦労もせずに好き勝手ことを自由にやってきたのではないか。それはある意味ロックスターとしては理想的な生き方である。ただ人間的にはかなり問題もあるような気もするし、もし友人として付き合うとかなりしんどい人かもしれないと思える。
 しかし、人間性はともかくも彼の素晴らしさとはまさにその卓越したボーカルの魅力一点であり、繰り返すが彼ほどロックスピリッツ溢れるうたを唄いこなせるシンガーはこの世にいない。ひいて挙げれば双璧は小坂忠さんぐらいか。楽曲に恵まれたかは別としてぜひこれからも生き延びてあの素晴らしい歌声を長く聴かせてほしいと心から願う。

 桑名正博は子供の時からの憧れの人であった。あんなふうに上手くカッコ良く唄えたらとずっと憧れていた。妹、晴子さんも魅力ある素晴らしいシンガーであるが、どうかもう一度奇跡の復活を祈っている。この桑名兄妹に神のご加護がありますように。まさに彼らのうたは神が与えた才であり奇跡のボーカルなのだから。