新潟でのフーテナニーに参加して思ったこと・22013年06月11日 07時38分37秒

出演者プログラムだが、もちろんこれ以外にも飛び入り的に登場した人もいた。
★フーテナニーとは一体何か

 さて、フートことフーテナニー(hootenanny)とは一体何か。今どきの人たちには耳慣れない言葉であろう。実はマス坊もそのイメージがすぐにピンとわいてこなかった。

 そもそもこれはアメリカでのモダンフォークのブームから生まれたコンサートの形式で、歌い手、出演者と観客=参加者が分け隔てなく一体となった催しを指すのだと辞書などには説明されている。日本でも60年代は良く企画されたと記憶するが、残念ながらマス坊は遅れて来た世代なので、その当時のフートには参加していない。

 結局のところ、日本のフォークソングの黎明期は、まだプロとアマとの差はほとんどなかったから、あったとしてもそれは当時唯一のレコード会社URCからレコードを出しているかの違いでしかなく、歌い手と観客が未分化、混然一体化していたからそうしたコンサートが成り立っていたのだと想像する。

 しかし、いつしかプロのシンガーに人気者が出てきて、コンサートも営業を目的としてチケット代をとるようになっていくとシンガーと聴き手は、観客と出演者とに分離されそうしたフートは消えていく。
 かつてそうしたフートに自らも参加し企画してきたたっつあんは、今回京都時代も含めてかつて関わりがあった音楽仲間たちに全国的に呼びかけ、ここ新潟阿賀野市五頭で、今回久々の「フーテナニーin新潟」開催の運びとなったのである。

 そのたっつあんは今回呼びかけとしてこうしたメールを先に仲間たちに送っている。それをもう一度掲載しておく。

たっつぁんです。

フーテナニー in にいがたを開きます。

呼びかけです。

暮らしの中で歌を作る仲間が全国にいます。
みんな一緒に集まって、歌い合おうと企画しました。
フーテナニーは歌い合う場です。
フーテナニー、伝えあう歌があります
全国からの歌い手たちが集まります。
もちろん、新潟の歌い手たちも歌うよ

歌い合い、聴いて、いっぱい話して、歌の力を感じ合えるフーテナニーを考えています。

時 2013年 6月8日(土) 9日(日)
  第一部 全国から歌い手たちがやってきたフーテナニー  
      13時開場 14時開演 17時終演予定
  第二部 山小屋に会場を移し、フーテナニー 19時開演 22時終了予定
      新潟のメンバーも歌います。
  第三部 話したい事いっぱい交流会 22時から、夜更けまで

参加費 泊まり、夕食、朝食付 5,000円

6月9日(日)は、新潟温泉巡りツアーを予定しています。
     午後12時すぎ、解散


 このメールが新潟出身で昨今親しくして頂いている藤しんいちろう氏から転送されてきた。むろん当然のこと彼もこのフートに参加出演する。で、マス坊はどうするか。彼から誘われていると思うのだがこのフートに参加すべきか。

 正直なところ今だから明かすが、あんまし乗り気ではなかった。それはプロの出ないアマチュアだけのコンサートだからではなく、自分がこれに関わらねばならない、参加せねばならない必然性というか関係性がよく見えなかったからだ。

 御大たっつあんをはじめ新潟のシンガーたちとはこのところ数を重ねてその地を訪れているのでずいぶん親しくなり行けば歓待してくれるのもわかっている。自分としても彼らと再会したい。が、他の参加者、唄い手とはまったく面識も知識もなくこのフートなるものに東京から時間かけて金かけて一泊二日で参加せねばならないモチベーションがなかなかわいてこなかった。むろんのこと、先の天才アコーディオン奏者・熊坂るつこさんのコンサートや有馬敲氏の詩朗読コンサートのように自分の役割がそこにあるなら喜んで行くし行かねばならないのは当然だ。が、今回はそこに自分が行く必然性が見えなかったのである。

 告白すると数年前の自分ならば、どんなイベントであろうとフォークと名付けば全国どこへでも気軽に出かけた。しかし春一の件とかいろいろあって今はその熱も冷めてきたこととウチには今「要介護」の人間や犬も抱えているのでなかなか気軽に家は空けられない。
 また、フートの形式上、唄わない純粋に一観客として参加は意味があるのかとの迷いもあった。人見知りする自分が彼らの輪に入れるのか。だからあまり乗り気ではなかったから拙ブログでもイベントの告知はしたが積極的に宣伝はしなかった。

 しかし幸いなことに旧知のシンガー、いつもあれこれお世話になってばかりいる太田三造さんが参加してくれると言ってくれたので、自分も行く理由ができた。けっきょく、その藤さんと太田さん、そしてマス坊の男三人で、いや、退屈していた黒犬ブラ彦も乗せて人3+犬1での参加となったのである。もっと誰か誘おうと考えたが、そもそもこうした催しに強い関心のない人には馬の耳に念仏でしかない。

 で、参加した感想はどうであったか?
 一言でいってしまえば、予想した通り部外者にとって初めてお会いし見聞きする方々ばかりだったので当初は戸惑いや違和感も強くあった。が、最後は大いに楽しめた。適切な喩えではないが、これは学校は同じだったがクラスや学年の違う「同窓会」に参加しているのだと思った。クラスが違うのだからなじめないのも仕方ない。が、全く違う学校ではない。共通する先生もいるではないか。
 そう気がついたら演奏聴くのにも身が入るようになり特に夕食休憩後は深く楽しめるようになった。今の気分としては行けて参加できたことに満足しているし良かったと思う。何よりも収穫は、うたとは何か、唄うこととはどういうことなのかあれこれ深く考えさせられ自分なりの答えが見えてきたからだ。

 と、ここまで記してまた腰が痛くなってきた。んで、まずここまで一回アップさせて後ほど最後のまとめを書く。
 もう少しお付き合い願いたい。

新潟でのフーテナニーに参加して思ったこと・32013年06月11日 12時05分33秒

翌日の朝、解散式での全員での記念写真。先に帰られた人もいるので実際はもっと数が多い。
★フーテナニーに参加して見えてきたこと

 さて、そのたっつあんが呼びかけて、これまで関わりがあった歌い手たちが全国からこの新潟でのフーテナニーに集まった。その数およそ60人近く。これはすごいことだと思う。そしてフートの性質上、参加者のほとんどが演奏者、歌い手であってまた観客でもあった。

 ペンションの大食堂をテーブルなどを取っ払い椅子を並べて会場にして午後2時から一部開始として唄が歌われ始め、途中夕刻、約1時間の食事や入浴休憩はあったが、また7時からアルコール解禁で二部が始まり零時近く一応終了となった。実に8時間を超すロングコンサートとなった。しかしその後もえんえん唄と演奏は続いていたそうで、マス坊は疲れ果てて風呂で汗流して午前一時には布団の中に入ったのでわからないのだが、皆さん還暦を越していると思われるのに呆れ果てるほどすごい体力、情熱である。

 この日、あまりに出演者が多いので、事前に持ち時間は細かく割り当てられていた。新潟の人も他の地域からの参加者もほぼ一律一人当たり15分の持ち時間しかなく、休憩時間もなく、次々と皆さんその枠の中で語りうたっていく。
 一部と二部に重複して出たシンガーもいたが、それは人気や知名度の有無ではなく、到着された時間の都合のようだ。盛り沢山の人たちが次々と登場したが皆実に几帳面に持ち時間を守ったことにも感心した。プロならこんなふうに予定枠内に収まらない。絶対だらだらと少しでも自分のステージを長引かそうとするし他者のことなどお構いなしだなのだ。その意味でもこのフートの参加者は実に紳士であり、暴れたり酔っても絡む人は1人もなく良い人脈を築いてきたのだなあと深く得心した。

 ただ、いくつか気になったこともなくはない。自分は1970年代初頭にフォークソングと出会い、以降、全国あちこちでライブを観、うたを聴いてきたきたわけなのだが、プロとアマチュアの差って何なのかとよく考える。一口に「プロ」と言ったって、なぎらや南こうせつクラスの世間的に誰でも知っているタレント的有名人もいれば、自分が敬愛する、お願いすれば拙宅にも来てもらえて唄ってくれるプロもまたいる。
 また、プロはうまい、アマは下手というわけではないことは例えば新潟のシンガーたちを見ればわかるように、凡百のプロミュージシャンより歌も演奏もはるかに巧い魅力的なアマチュアはおそらく全国にもたくさんいるはずだ。逆にプロだって下手くそな人も実に多いのである。
 自分はプロとアマとの間に、格差=プロのほうがエライ、上とのヒエラルキーを認める者ではないが、やはりそこに「差」というか違いは厳然と存在すると感じる。それは聴き手、つまり観客を前にしての意識の差である。

 何だかんだ言ってもプロとは客商売であって、ギャラの多寡、チケットの値段とはいっさい関係なく、例えフリーコンサートであろうと常に一定の水準のステージを築き提供しないとならない。そうした意識は誰だって持っている。それが商売柄、「プロ」ということであって、どんな職種でもそこに違いはない。
 それは聴き手を満足させるということだけではない。技術以前に聴かせる、聴いてもらうのだという意識がしっかりあるかだと思う。この新潟のフートではアマチュアであろうともそのことをきちんと理解徹底している歌い手とそうでない人たちとの差が如実に浮き彫りにされた。今回、うまい下手以前に、フォークサークルの発表会程度の意識しか持たずに活動を続けている人たちと新潟のシンガーのようにプロを凌駕するほどの高い意識で常に観客としっかり対峙して唄っている人との差は観ていて痛々しいほどであった。

 うたにはまず何を(どんな曲を)どう唄うのかという目的意識と技量的な問題がある。だがそんなことよりもまず自分は、うたとは、うたう姿勢、その心構えを問題としたい。これはプロ、アマ問わずお金がとれるとれないに関係なく他者=観客に聴いてもらうことを唄自身が求めているからに他ならない。
 アマチュアなのだから、集まって皆でわいわいがやがや唄う者たち自らがまず楽しく歌って何が悪いという反論もあろう。そこまで彼らに要求するのは酷だとも自分も思う。音楽とは読んで文字のごとくに、音の楽しみであって構わないはずだ。ましてフートなのだから歌う側が楽しんで何が悪いというのか。それはわかるが自分が感じた一部のシンガーらの唄うことに対する意識の低さ、心構えの甘さには苦言を記しておくのが筋だと信ずる。まあ、それはそれでちっとも悪くはないのだけれど。でもそんなだとせっかくの良い曲があるのにきちんと聴いてもらえずモッタイナイ。

 つまるところ、うたとは、音楽とは演者、歌い手の自己表現の手段にすぎない。そのことに異論はないだろう。
 しかし、「うた」とは単にそう言い切ってしまうのにどうしてももう一つ抵抗がある。うたがそこにある理由、存在価値とはまた別の理由、もっと大きな意義や意味があるような気がしてならないでいる。
 今はまだそのことをきちんと文字にして説明はできないのだが、抽象的に語るとしたらうたもまた天啓、見えない者によるはからい、恩寵であり唄い手のものではなく独自に存在していると感じている。うたは誰のものかということだが。

 そうした意味での「うた」を思うとき、歌い手はもっとうたに対して真摯に忠実に丁寧に向き合わねばならないのではないか。放言とは勝手な言葉を言い放って責任をとらないことだが、うたもまたうたいっ放しの放歌、放唄になっていないか。
 そんなことを今回のフートの帰り道、運転しつつつらつら考えた。今回の新潟フーテナニー、参加できたことで様々な示唆を得た。新たな出会いもあった。たっつあん、藤さん、そして太田さん他多くの参加者に深く感謝したい。

 画像のほうは遅くとも今月内に、ステージに登場された方は全て撮ってあるので全員の画像をアップさせておく。そちらはいっぺんに複数の画像が上げられる別ブログ http://masdart.exblog.jp/ の方をそのうちご参照願いたい。むろん当ブログでもアップ終えたら告知しますが。

 と、ここまで書いて下へ降りたら、ハガキが来ていて誰からかと思ったら京都の古川豪さんから今年の七夕コンサートのお誘いである。今年は久しぶりに中山ラビさんも合流しての5人全員集合となるようだ。これは見ものである。さて、マス坊、どーする!?どーする!?

降り続く雨に2013年06月13日 22時46分16秒

★雨は降りやまず

 雨
 
 作詩=朝比奈逸人 作曲=アメリカ民謡

※雨よ 雨よ 雨よ降らないで
  頭の上に 靴の中に
  雨よ 雨よ 雨にのっかって
  おいら流されそうだよ

  明日になったら さっぱりしてさ
  しかめっ面はもう やめさ
  みんなに会いに 会いに 出かけるんだ
  しかめっ面は もうやめさ

※くり返し

  落ちてくるのは あめじゃないって
  あったかい 街の灯だって
  耳の中まで雨が降る
  ああ何にも聞けやしねぇよ

※くり返し

雨が上がったら急に蒸し暑くなって2013年06月14日 22時09分01秒

★ようやく梅雨らしくなった。

 火曜日から降lり出した雨は、時に強く、時にしとしとやむ長く続いた。
 ようやく、今日金曜の昼前に上がり、晴れてもきた。が、晴れたらとたんに蒸し暑くなって少し動くとすぐに汗が噴出す。でもこれが本来のこの季節の陽気であって梅雨時とはこうしたものだった。今日は雨もやんだので庭先の梅の実を全部もいだ。

 前も書いたが、このところ世界の全ては極端から極端に動いていく。
関東は、梅雨入りしたとたん全く雨が降らずに、カラカラに乾ききっておまけに北風が吹き何か薄ら寒くもあった。
 それが、南から台風が来て、ようやく梅雨前線が刺激され活発になったら今度は雨が止まらなくなった。先日行った、新潟や北陸、そして京都や関西は真夏日、記録的猛暑と報じられていたが、雨の最中の関東はやはり肌寒く、人も犬も降り続く長雨に早くもうんざりであった。

 前日上げた「うた」は、ヤスこと、朝比奈逸人氏の名曲「雨」で、このところずっと降り続く雨を眺めながら頭の中にはこの曲が鳴り響いていたのでアップさせた。
 ヤスには、他にも「ライ・ウイスキー」「直ちゃん」他、今も多くの歌い手に歌い継がれている良いうたがいっぱいある。が、近年ずっと体調を崩されていると数年前、人づてに聞いた。彼のお兄さんのやっている演劇?集団の方からも聞いたし、他の人からもそう知らされたかと思う。個人的には大昔に春一で観たかもしれないが直接の面識はない。しかし、昔は役者としても活動し教育テレビにもよく出ていた方なので顔も声よく存じている。

 手元の資料では1951年生まれとあるから、五郎さんやシバと佐久間順平さんらの間の世代だ。まだまだ老け込む歳でもない。ぜひ早くお元気になられて音楽活動を再開してほしい。

 こうして雨を眺めたりするとふとした瞬間、口を突いて出てくるうたは、ヤスのうたが一番多いことに気がついた。

今日は山梨へ「商談」へ2013年06月15日 09時33分29秒

★戻ったら報告いたします。

ここだけの話2013年06月16日 23時29分39秒

★インターネットに「ここだけ話」なんてあるのか!?(笑)

 ここだけの話を書く。表立って公言するとまたあれこれとやかくご批判を受けるだろうし呆れ果てられるのがオチだからあくまでもここだけの話である。話半分に聞いて頂きたい。

 実はマス坊は、このところ古民家再生・再活用に関心が向いていて、どこかウチからさほど遠くないところに今では人の住んでいない空き家の古民家はないものかと折々探していた。
 ネットでも探したし、人を通して、例えば近くの田舎、五日市や奥多摩にそうした物件はないものか当ってもらったりしていた。何のためか?
 東京のはずれ、西多摩の田舎、それも「豪邸」に住んでいるくせに何故にそんな古民家を探しているのかと訝ることであろう。
 別荘ではない、自然が恋しいわけでもない。田舎暮らしに憧れて農業でも始めたいからでももちろんない。そもそも土いじりには基本的に関心は昔からない。
 ただ、商売柄、古いもの、古物が昔からともかく好きで、このところ新潟で築数百年の旧庄屋に泊まったりしたこともあってそうした古民家熱が高まっていたこととどこかに本の収納倉庫を新たに確保しなくてはならなくなってきていて、ならば東京近郊の空き家となった古民家が安く借りられないかと探していたのだ。

 それで、5月の連休の頃、一つ物件の話があったので、いちおう不動産屋をとおして下見に行ってきた。場所は韮崎の先、八ヶ岳のふもとであるが清里までは行かない。八王子のインターから高速で1時間少しのところである。ウチから現地まで片道約一時間半~2時間弱といったところか。

 昨日はまたそこへ出向き、その空き家の持ち主、正しくは権利継承者の方とお会いして話を煮詰めてきた。まだ話は確定したわけでもないし、最終的にどうなるかまだ予断は許さない点もあるので表立って発表できないが、ここだけの話、もういいかと思い書いてしまった。まあ、話が流れてもきっとまたこの案件は探し求めていくと思うので隠しても仕方ない。

 知っている人はご存知だろうが、今関東には、新潟も含めるとものすごい数の空き家が溢れている。その空家率の全国でも1位、2位が山梨と長野だっったはずで、長野が1位だったか失念したが、特に新潟近くの豪雪地帯にはほとんど住む人は老人だけの限界集落がいくつもあるのである。
 地方、特に大都市近郊件の過疎化と大都市への人口一極集中は今に始まったことではないし、今さらどう止めようもないことだろう。今はそうした政治の問題にはふれない。
 自分としては、そうした過疎地域の、古い民家が住む人無く荒れ果てたままになっているのならそこを巧く活用できないかと考えた。だってモッタイナイではないか。今自分のウチは西多摩のはずれとはいえ、東京の、しかも通勤圏、住宅密集地なので隣近所がうるさくもう辟易し始めていたこともある。どこか人里離れた地に別宅となるような静かな終の居場所を求められないか。そう夢想していた。

 じっさい、ネットで「田舎暮らし」「古民家」で検索すると、信じられないことに広い土地付きで200万円もしない値段のからいくつも売りに出されている。500万も出せば映画「犬神家の一族」の当主のような広い旧家が手に入る。ただ、そのどれもが長野の奥の方、新潟に隣接か、小谷のほうで、冬などウッカリ行って雪に閉ざされたら翌年の春が来るまで東京に戻れないような場所ばかりで、これではなぁ~と迷っていた。

 今回の物件は、東京からも意外と近く、高速道を使えば日帰りも十分可能なところで八ヶ岳の麓ではあるが清里の手前である。しかもインターを出て15分。遠く長野に比べれば、時間的にはウチから都心に出るのとさほど変わらない近さなのだ。
 そこを借りられれば、いくつもの懸案の問題がすっきり解決する、かどうかわからないが、様々な利便性は高まろう。が、いくつか細かい問題は当然存在している。まだ契約は結ばれていないので迂闊なことは書けないが、環境的にはとても素晴らしく建物の広さも申し分ない。この話が成就することを願っている。

 断っておくがこれは自分だけのウマイ話だと思っていない。もしそこを利用できるようになれば、自分と関わる人は誰でも利用してかまわないと考えているし、もし東京で何かの大災害などが起きたときの避難先としても活用できる。

 実はこれが以前書いた「とても良い話」なのであった。何~だ、と嗤ってください。ただまだ話は交渉の途中なので、どうかご内密に、「ここだけ話」として他言しないでください。話が確定したらまた発表いたしますので。

6月23日、手作り味噌の会と無頼庵映画塾!2013年06月17日 00時32分05秒

★都民の方は都議選投票日ですが、早めの投票後お越しください!

さて、告知が遅れておりますが、今年も昨年に引き続き「手作り味噌の会」開催します。参加される方は、下準備もあるので午前11時に来れる方はお集まりください。昼から作業を開始したいと思います。

 個人的には、何でこんな季節にやらねばならないのかという気持ちもなくはないのですが、諸般の事情で致し方ない。まあ品質には問題ないと思うのでぜひ多くの方に体験参加をしてもらいたい。※大豆を大釜でひたすら煮るので今の季節は暑くてたまらん。これは寒い季節にすべき作業だと思うのですが、担当者の都合もあるので致し方ない。

 スタッフは午前11時には集まって、事前に煮始めている大豆を順次潰す作業の下準備をしていると思います。なんで、来れる方は、昼には作業開始としたいのでヨロシク集合願います。
 何しろ後がつかえております。午後3時にはすべて終わらせ映画塾へ場を引き渡さねばなりません。ぜひ多くの方々のご参加をお待ちしております。★参加者には昨年度仕込んだ味噌の試食とおみやげがあります。

 と、先日もこの話をある人にしたら、何で市販の味噌が安く手に入るのにそんな面倒なことをするのかと、冷ややかな反応を返された。味噌作りなんて面倒なことに関心はないと。
 まあ、それが世間一般の反応なのかと思う。たかが味噌なのである。しかし、すべてのことはどんなことでも自ら体験してこそ初めて見えてくること、わかることはあると信ずるし、全てを市販のもの、金出して入手していく生き方にそもそも疑問を持つべきだと思う。

 むろんこの世には金と交換しないと得られないものも多々ある。いや、ほとんどすべてのものはそうであろう。だからこそ、数少ない「手作り」のもの、つまりハンドメイドということが大きな意味と価値を持つ。しかし、大豆も麹も塩も市販のものなのだからどこまで手作りかと問われると言葉を濁してしまうが、それでも手前味噌という言葉通り味が違う。
 何より添加物は市販のもののように入っていないので安心である。※実は町で安く売っている市販の味噌には大豆と塩、麹以外にも増量のための様々な添加物が入っている。ゆえに安くできるという仕組みなのだ。

 味噌づくりは面倒といえば面倒だ。だけれども「食」とはこうして成り立つという仕組みを知り体験していくことこそが、真に生きていくということを支え自信にもつながっていく。便利さと安直さ、値段の安さだけがこの世の価値ではない。食にもまた真の労働が隠されている。そのことを現代人こそ知るべきであろう。

 100円ショップで事足りる人の人生は100円の価値しかもたない。

熱射病にご注意を2013年06月18日 21時53分18秒

★ウチの年寄り、体調崩して

 今日は曇りがち、晴れ間もほとんどなかったのに、ともかく蒸し暑く東京では今夏初めての真夏日となった。

 ウチの老人は、午前中庭仕事などしていたのだが、昼過ぎ、昼飯を食べる段になったら、頭の半分が痛いと言いだしベッドに入ってしまった。今までも体調悪い、ふらふらメマイがすると言うのは日常的なことで驚かないが、頭の半分というのは初めてでちょっと焦った。
 もしかしたら脳梗塞かと、どう対処すべきか案じた。救急車を呼ぶべきか、それとも自分が運転して病院に連れて行くか。

 実は今日は午後、ケアマネージャーが来る、月一の訪問日にあたっていて、そちらはキャンセルしようかと考え携帯に連絡したらすぐ近くにいるからともかく伺いますとのこと。そう、ケアマネといっても彼女はもともと看護婦であり、様々な状態の老人を多く担当してきたベテランでもあった。

 で、彼女が父の脈を測ったり、目を見て手を握ったり話をさせたりして、診断してくれた。けっきょく、特に呂律が回っていないわけではないし、頭痛も本当に脳の血管が切れたのならもっと激しい痛みがあるとのことで、どうやら疲れて歯が痛くなっただけではないかということになった。認知症の父には、歯が痛いのか頭が痛いのか判別つかなかったようだ。

 ケアマネが帰ってから簡単に昼飯食べさせて、今年初めて寝室にクーラー入れて老人たちは夫婦ともども昼寝させた。先日、山梨に連れて行ったりと疲れもたまっていたのであろう。
 夕方起きたらば、もうその歯の?痛みも治まったとのことで、また早くも庭先を元気に徘徊していたから一安心である。まあ、そんなで今日は老父にふりまわされてしまった。やれやれ。

 まあ、老犬も老人も命はもはや尽きる寸前、風前の灯といった状況なので、天気や気候の変化ですぐに体調を崩す。寒いのも危険ではあるが、今は今日のように急に暑くなると体がそれに対応できない。しかも暑くても厚手のスエットなど着て起きてくる。当人は今暑いのか寒いのか自分ではよくわからないのである。この暑さに厚着していたらそれだけで熱射病となる。

 老人を生かすも殺すも、要するに周りがいかに管理していくか、常に目を光らせているか、それに尽きる。皆さんもご自愛ください。老人を抱えている方はご注意ください。
 一日一日を無事に乗り切っていきましょう。

あれからのこと、これからのこと2013年06月19日 21時56分18秒

★体調を整えて近づくイベントに備えていこう

 それにしても体力なしだとつくづく自分でも思う。
 このところ朝がバカ早いので、下手するとまだ暗いうち4時頃から目が避けてしまうので、もう晩飯食べ終わると眠くて起きてられない。
今は9時は夜更けだし10時、11時は深夜、真夜中である。晩飯を済ますと食器も洗わずベッドに入ってしまう。これでは何もできないし進まない。

 そんな朝早く起きてるなら朝食までのあいだ、一仕事できそうなものだが、結局パソコンに向かってメールチェックしたり、布団の中で本を読んだりで時間はつぶれてしまう。
 おまけに先だっての新潟以来、どうにもまだ体調が戻らず足腰が鈍く痛いままだるさが抜けない。。いや、新潟の件もあるけれど、その後に懲りずに高速で山梨県須玉に行ったのが疲れに輪をかけた。
 距離は往復で260キロ、片道130ぐらいで新潟のときに比べれば半分も走っていない。が、中央道はかなり登りが多いのと、今回は向こうの約束に時間を合わしたので焦ってスピードを出して走った。常時120キロは出していたか。

 ウチの車はそもそも運搬用の軽ワゴンだからそんな風に飛ばすようにはできていない。そのためにはかなりアクセルを強く踏み込まねばならぬ。ドライブに快適とは程遠い状態でともかくスピード出してひたすら走った。
 もうさすがに高速道路でもさほど緊張はしなくもなってきたが、それでもトンネル恐怖症でもある自分としては、二か所の長いトンネル、小仏と因縁ある笹子を擁する中央道は車線が少ないこともあって楽ではない。
 でも、先の案件が確定すればこれから嫌でも頻繁に「山の倉庫」へ通わねばならない。もっと走りに快適な良い車がほしいなあというのが本音だけれど、欲出せばきりがないのである。

 何にせよ、今週末にはまたあれこれ忙しいイベントがウチである。しかも味噌作りと映画塾という本来別個に、二日に分けてやるべきことを一日でやってしまうのだ。疲れたとか眠いネムイと言ってられない。※フォークソング講座は6/27日に確定。

 ともかくまず今月の案件を無事終わらせて今年も後半、残りの半年、今更だが気合い入れてしっかり取り組んでいく。ライブもしっかり企画したい。

維新の会のお家騒動に思う2013年06月20日 12時37分58秒

★あまりに早い仲違いと支持者に広がる失望感
 
 のっけからだが、つくづく慎太郎とは身勝手な老人だと思う。これでは橋下氏がかわいそうと思えてきた。

 まあ、元々利害だけで結びついた権力亡者のお二方だから早晩喧嘩別れするはずと誰もが案じていたが、まだ都議選の投票日前である。せめて結果が出てからケンカ別れとなるならわかるが、今から二人は罵りあいである。いや、慎太郎のほうが都議選苦戦の状況に頭に来て勝手放題ボロクソに橋下批判を始めたのだから橋下氏のほうが大人の対応であろう。

 そもそも当初は問題となった「橋下発言」を慎太郎は「基本的に間違ったことは言っていない。戦争と売春はつきものだ」と大いに擁護していたくせに、地元東京都議選の苦戦が伝えられると早くもキレて、「(橋下氏の発言で)みんな迷惑している。苦労している仲間に悪かったと声をかけるのが、リーダーの振る舞いだ」と記者団を前に批判。

 実は、彼は18日、橋下氏に電話で連絡し「仲間に一言、頭を下げたらいいんじゃないか」と要望。しかし橋下氏は「共同代表を辞めろと言われれば、辞めますよ。いつでも」と毎度のごとく開き直った。この態度に堪忍袋の緒が切れて慎太郎は「大迷惑。言わなくてもいいことを言ってタブーに触れた」と橋下批判を繰り広げたと報じられている。

 挙句、スポーツ報知の取材に「終わったね、この人」と橋下氏の政治生命が尽きたとの見方を示し、参院選の結果が橋下氏の進退問題に発展するとの認識まで示したという。これもまた予想通りの毎度のこと慎太郎的卑劣かつ非情な態度であるがそれにしても身勝手すぎないか。自らの過去の発言は棚に上げて今回の橋下批判は噴飯ものであろう。この男は常に我が身の保身だけしか頭にない。絶対に結果責任をとらない無責任男なのだ。しかし、こうなってくるとある意味、先の選挙で維新の会に投票した人たちを愚弄していないか。彼らへの期待はどうなってしまうのだろう。またもや騙されたのか。

 つまるところ次々と新しい政党が名を変え、新たな装いで常に出てくるが、全く長続きしない。早晩維新も民主党もまた消えて雲散霧消する。そしてまた新たな政党が名乗り上げる。その賞味期間はごくごく短い。
 つまりしょせんこの国には自民党と共産党しか政党らしい政党はないのである。他は綱領もなく、単に利害関係でその場そのときくっつき、負ければすぐに離れ解体していく。そうした政党に身を置くものは政治理念などそもそも持っていない。単に自らが当選したいがためだけで、そのための居場所がとりあえず今の政党なのである。

 けっきょくこうして自民党と公明党の盤石のタッグに正面から対抗できる政党はどこにも存在しない。大衆は彼らを積極的に支持しないが彼らの敵失勝ちはこれからも続く。国民はますます白けて選挙に関心をなくしていく。投票率は下がりまた自公が勝利する。週刊誌は相も変わらず「美人すぎる話題女性候補」とかそうしたどうでもいい企画にうつつをぬかす。

 カメは甲羅に似せて穴を掘る、ならば、この国には自公という最悪の政権がお似合いなのかと思えてきた。これでは原発もなくならないしTPPでこの国は破滅していく。アベノミクスは国民をさらに貧乏にしていく。それもこれもいったい誰が悪いのか。
 
♪誰のせいでもありゃしない~みんなおいらが悪いのか。