小さく弱く苦難の道にあるものこそ。後2019年11月09日 13時38分55秒

★有難きご支援頂きただただ感謝!!

 と、二回に分けて、不運や災難、苦難に遭う人について思うところを書いて来た。異論やご意見はあろうが、今はそう考えているのだからご容赦願いたい。

 それは誰かが引き受けなくてはならないのである。何故ならば良いことも悪いこともすべて天の計らいであり、ある意味、禍福は糾える縄のようなものだとしたら、『人間万事塞翁が馬』の老人のように、何事も一喜一憂しない心構えが求められるのではないか。
 が、じっさい「そのとき」は人は途方に暮れ、困惑し現実的には大いに哀しみ悲嘆し途方にくれるものだ。

 例えば、何より家庭内での介護や育児の現場では、一人の人で24時間不眠不休の対応が求められまさに自らの命を削って何とかそれを続けていることが多い。
 施設や病院のように三交代制でなくても、せめて二人で交互に休めればと我も母を在宅で一人で介護していたとき心から願った。
 それは常時でなくたってかまわない。ほんの一時でも誰かが来てくれて、「私が様子見ているから一時間でも横になって休んで」、と言ってくれればその時だけは気を緩めて休息がとれる。

 人は、他者のコトについては、常に「他人事」でしかないけれど、その他人事を「自分のコト」として考える想像力が求められると思う。
 イエスが説いた『善きサマリア人』の喩えの如く、悲惨な目に遭った人がいて、もしそこに出くわしたならば、つまり出会い知ったならば、人は誰であろうとできるだけのこと、精一杯できることをしてあげることだ。
 この我も、今抱えている者たちがいなかったら、明日でも千葉県へボランティア活動に一日でも行きたいと願う。義援金という手もあるけれど、こんな非力な我でも現地に行けば何かできることがあるのではないか。何事も「キモチ」より「行動」であるはずだ。

 と、何事においても苦難苦境に遭う人たちに自己責任論は間違っていると書いた。その思いは決して揺るがない。
 が、こと自らにおいては、今の困窮、苦境はまさに自分勝手に生きてきた自分のツケで、まさに自ら播いた種であり自業自得だと考えている。結婚も子も持てなかったのは、誰のせいでもない。この破綻した性格ゆえであろう。まさに不徳の致すところだ。
 もし仮に、我に子がいたらば、若いときだったら、その子の粗相やイタズラに激高して、躾と考えて虐待を繰り返していたかもしれない。
 我は気が短く真に自己本位で本来他者の痛みに気づかない自己中心的な男だから、神は我に子を与えなかったのだと今にして感謝すらしている。
 動物たちとのことはそんな自分の罪滅ぼしでもあったのだ。まあ、犬猫の嫌いな人たちには理解しがたいことであろう。たかが動物なのだ。
 しかし小さく弱く苦難の道にあるものに対して何をとれだけできるか。そのことが問われ薄情な我は試されているのである。

 そんな思いで、この数日退院して来た三本脚の子猫のことを拙ブログに書いて来た。
 こんな我にも寄り添って共に暮らしてくれているのが動物たちであり、「女房子供に手を焼きながら」というフレーズがあるように、犬猫、特に増えてしまった猫に手をやきながら何とかやっている。

 そしたら昨日のこと。突然大学時代の後輩K君から封書が届いた。
 もう何十年もあっていない。最後に会ったのはいったいいつかも思い出せない。ただ、共通の友人を通して近況は聞いていたし、その後輩も我のこの拙いブログを読んでいることは以前届いた彼からの「コメント」で知ってはいた。
 封書を開けてみて驚いた。中には一万円札が五枚も入っている。短い添え書きがあり、キジ子ちゃんの看護に役立ててください、と記されている。
 思わず手が震えた。大金である。

 まず思ったのは、これは貰えないな、である。気持ちだけ頂いて丁重に送り返そうかと考えた。彼が何の仕事しているか詳しくは知らないが、ホリエモンや孫正義みたいに景気がいいはずはないだろう。誰だってこの時代、我の知り合いたちは皆苦境にあえいでいるはずだ。
 が、まずは受け取って動物病院の治療費の返済に充てて、全て完済し終えたらまた直接会った時にお返しすればいいかと考えなおした。
 頂くのではなく、お借りすることにした。

 そう考えたら突然少しだけ気が楽になった。そして肩の荷が幾分軽くなっていることに気づいた。心に温かいものが流れてきた。彼の心遣いに心から有難いと思った。思わず十字を切って天を仰いだ。

 思えば、後輩と言ってもそれほど親しく面倒見たという関係ではない。そもそもサークルが違っていて、我は真の「先輩」ではない。
 K君は、映研、『映画研究会』の新入生であり、我はその部室に親しくしていた友人たちがいたからよく出入りしていて、宮崎から来た彼と出会ったのだ。映画イラストライターの三留まゆみもその部室で知ったのだ。彼らは同級生なのか。

 『映研』といっても映画を観て研究するのではない。自分たちで、8ミリフィルム回して自主映画を作るサークルであり、我も映研の学生たちと8ミリ映画を撮り合ったりして彼とも親しくなったのだと思う。
 もう今では8ミリ映画を撮る人は皆無だろうしそもそもフィルムもカメラも存在しないのではないか。撮ったフィルムは手元にあっても動く映写機がない。考えてみると大昔のはなしだ。まさに隔世の感がある。もう四十年も前になろうか。

 自分にとっては、彼の姿は、学生時代の記憶しかない。上京した頃の少年の面影を残す顔である。たぶん会えば彼だってもはや初老の域に入っていることであろう。
 学生時代、迷惑かけたとしても何の世話もしなかった悪しき先輩である我のことなどどうして覚えてくれて気遣ってくれたのか。
 その彼から突然届いた五万円。その金額に増して彼の善意、有り難き思いにただただ深く感謝する。

 「今日救いがこの家を訪れた」。罪深き徴税人の首領ザアカイに発したイエスの声が聞こえた。

 ※本来、直に御礼申すべきところだが、まずはこのブログで彼に感謝の気持ちを届けることに何卒ご容赦願いたい。

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