これまでのこと これからのこと ― 2011年05月10日 21時54分50秒
★これまでを振り返る。過ぎた日記から
♪何も知らないうちにすべてはね
変わっていったさ
地球はまわりまわって元の位置
気がつけば今年も5月半ば、季節は春から夏へと向かっている。台風が来ているせいか今日は蒸してじっとしていても汗ばむほどだった。
いろいろ報告したいことも溜まっていて、早く画像入れてアップさせたいと願うものの、旅の疲労はもはや極限で、今が一番だるく膝も腰も痛くまさに足腰立たない。が、今日の日中は女友達に誘われて約束していた漫才大会を観に半蔵門の国立演芸場へ出かけてきた。Wコロンとか内海桂子師匠が出た。
行きはともかく帰りの足が重く痛く、今JRはほとんどエスカレーターは動いていないので駅の階段の上り下りはまさに青息吐息であった。そんで夕方帰宅したらベッドに約1時間倒れこむように気絶的に寝て、それから晩飯作って親たちに食べさせてから今これを記している。
大型連休も終わり、今ようやく一区切りがついた。まだ半年も経っていないのに今年は実にいろんなことがあり、やたらあれこれ目まぐるしかった。年明けてあっという間に今日までが過ぎ、悪夢だか愉快なのか定かでない入り混じったシュールな夢を見ている気がする。もしかしたら自分は何かの事故で頭でも打って意識不明のまま寝込んでこんな夢を見ているのかもしれないとさえ思う。
母の体調悪化、入院そして手術、家の工事終了、老犬の死、そして友人の急死、母の退院。そして大阪春一番でのトラブル。そして即福島いわきでの復興支援コンサートと被災地訪問。まだきちんと報告できていないこともあるが、その全てが鮮烈な印象、衝撃を残した。
そして今その全てが終わり、ようやくほっとした落ち着いた気分でいる。悩み事がないというわけではないが、ともかく今現在は、予定として先々に立ち塞がっている大きな懸案のことは特にない。去年は大きなコンサートが続いていてほんと気が休まる暇がなかった。どうしたら宣伝できるか客が呼べるか寝ても覚めても頭を痛めていた。そうした企画が晩秋に終わったと思ったら母の具合が悪化して以降、今春までほぼ連日病院通いに時間をとられていた。
母が幸いにして手術が成功し奇跡的に退院でき、今は一応ほぼ元通りに回復でき、自分は毎年恒例行事となった大阪春一番コンサートに出かけた。しかしそれは、阿部ちゃんの死の後、会場の雰囲気がすっかり変わってしまったことを確認しに行ったような残念な結果となった。しかしそれも行ったからこそわかったことで行けて良かったと思うし、もう何も思い残すことはない。
自分は常にバカだから場の雰囲気をさっと読んでうまく立ち回ることはできないし、それが出来たら今こんなことはしていない。その都度常に失敗と過ちを繰り返し今まで生きてきた。だから仕出かしたことに悔いはないし、幼子がストーブの上のヤカンに触って泣き叫び火傷してから火は怖いものだとわかるように、常に痛い目に遭わないとモノゴトが理解できない。
今は去年来の様々なそうした悩み患いごとが一段落し、ようやくすべてこの世は事もなし、という気分になっている。こんな落ち着いた気分は実に久しぶりだ。
親たちがいつまで元気でいられるか先のことは全くわからないし、そもそもこの自分の明日の身さえ定かではない。それはいわきの海岸の津波で押し流された被災地に立って、住む人が誰も居なくなった崩壊家屋に向き合い思い感じた啓示だ。人の営みなど大自然の猛威の前には芥子粒のようなものでしかない。蟻は必死に働き彼らの生活を真面目に営むが、人は彼らの存在すら気がつかず彼らを足で潰して通り過ぎていく。
しかしだからといって、どうせすぐ死ぬのだからと自堕落に、せつな的に生きてはならない。儚い無意味なすぐに失われてしまう幸福だからこそ大事に大切に一つ一つ一日一日生きていかなくてはならないとようやくわかった。
自分は以前は日々きちんと日記をつけて、その日毎、したことあったことと考えたことなどを書き記していたのだが、近年あまりに忙しくてブログは書いても日記まで手が回らず何も書かず寝てしまうことが多い。
それでも正月明けに老犬が死んだときは以下のように記していた。気恥ずかしいが自ら自戒のためにも以下日記に書いたことをここに載せておく。
それにしてもまさに覚悟の年とじっさい早くもなった。人は予知能力があるとは思わないが、魂の深いところで、常にメッセージを与えられていたのだと今にして思い知る。
2011.1/10-11
今年は覚悟の年となる。
年明け早々、ルチャ子が死んだ。
こうして一人づつ、自分は失っていく。
それは抗えないことで、受け入れていくしかない。
やがてたった一人で残される。
その覚悟をしていくこと。
すべてが終わりに向かい残り時間も少ないならば
一日一日、そのとき時を慈しみ大切にして向き合うことだ。
この数日、母の体調もあり、父のボケについても日々苛立ち
キレまくっていた。元日早々、激高してしまった。でもルチャが教えてくれた。
すべて死を前にしてしまえばどうでも良いことだ。
ならばもう怒りもしないし、焦りも苛立ちもしない。
一日一日を大切にしてきちんと生きていくしかない。
それは人との関係も同じ。
自分と関わるすべてが有り難い。大切にしていこう。
♪何も知らないうちにすべてはね
変わっていったさ
地球はまわりまわって元の位置
気がつけば今年も5月半ば、季節は春から夏へと向かっている。台風が来ているせいか今日は蒸してじっとしていても汗ばむほどだった。
いろいろ報告したいことも溜まっていて、早く画像入れてアップさせたいと願うものの、旅の疲労はもはや極限で、今が一番だるく膝も腰も痛くまさに足腰立たない。が、今日の日中は女友達に誘われて約束していた漫才大会を観に半蔵門の国立演芸場へ出かけてきた。Wコロンとか内海桂子師匠が出た。
行きはともかく帰りの足が重く痛く、今JRはほとんどエスカレーターは動いていないので駅の階段の上り下りはまさに青息吐息であった。そんで夕方帰宅したらベッドに約1時間倒れこむように気絶的に寝て、それから晩飯作って親たちに食べさせてから今これを記している。
大型連休も終わり、今ようやく一区切りがついた。まだ半年も経っていないのに今年は実にいろんなことがあり、やたらあれこれ目まぐるしかった。年明けてあっという間に今日までが過ぎ、悪夢だか愉快なのか定かでない入り混じったシュールな夢を見ている気がする。もしかしたら自分は何かの事故で頭でも打って意識不明のまま寝込んでこんな夢を見ているのかもしれないとさえ思う。
母の体調悪化、入院そして手術、家の工事終了、老犬の死、そして友人の急死、母の退院。そして大阪春一番でのトラブル。そして即福島いわきでの復興支援コンサートと被災地訪問。まだきちんと報告できていないこともあるが、その全てが鮮烈な印象、衝撃を残した。
そして今その全てが終わり、ようやくほっとした落ち着いた気分でいる。悩み事がないというわけではないが、ともかく今現在は、予定として先々に立ち塞がっている大きな懸案のことは特にない。去年は大きなコンサートが続いていてほんと気が休まる暇がなかった。どうしたら宣伝できるか客が呼べるか寝ても覚めても頭を痛めていた。そうした企画が晩秋に終わったと思ったら母の具合が悪化して以降、今春までほぼ連日病院通いに時間をとられていた。
母が幸いにして手術が成功し奇跡的に退院でき、今は一応ほぼ元通りに回復でき、自分は毎年恒例行事となった大阪春一番コンサートに出かけた。しかしそれは、阿部ちゃんの死の後、会場の雰囲気がすっかり変わってしまったことを確認しに行ったような残念な結果となった。しかしそれも行ったからこそわかったことで行けて良かったと思うし、もう何も思い残すことはない。
自分は常にバカだから場の雰囲気をさっと読んでうまく立ち回ることはできないし、それが出来たら今こんなことはしていない。その都度常に失敗と過ちを繰り返し今まで生きてきた。だから仕出かしたことに悔いはないし、幼子がストーブの上のヤカンに触って泣き叫び火傷してから火は怖いものだとわかるように、常に痛い目に遭わないとモノゴトが理解できない。
今は去年来の様々なそうした悩み患いごとが一段落し、ようやくすべてこの世は事もなし、という気分になっている。こんな落ち着いた気分は実に久しぶりだ。
親たちがいつまで元気でいられるか先のことは全くわからないし、そもそもこの自分の明日の身さえ定かではない。それはいわきの海岸の津波で押し流された被災地に立って、住む人が誰も居なくなった崩壊家屋に向き合い思い感じた啓示だ。人の営みなど大自然の猛威の前には芥子粒のようなものでしかない。蟻は必死に働き彼らの生活を真面目に営むが、人は彼らの存在すら気がつかず彼らを足で潰して通り過ぎていく。
しかしだからといって、どうせすぐ死ぬのだからと自堕落に、せつな的に生きてはならない。儚い無意味なすぐに失われてしまう幸福だからこそ大事に大切に一つ一つ一日一日生きていかなくてはならないとようやくわかった。
自分は以前は日々きちんと日記をつけて、その日毎、したことあったことと考えたことなどを書き記していたのだが、近年あまりに忙しくてブログは書いても日記まで手が回らず何も書かず寝てしまうことが多い。
それでも正月明けに老犬が死んだときは以下のように記していた。気恥ずかしいが自ら自戒のためにも以下日記に書いたことをここに載せておく。
それにしてもまさに覚悟の年とじっさい早くもなった。人は予知能力があるとは思わないが、魂の深いところで、常にメッセージを与えられていたのだと今にして思い知る。
2011.1/10-11
今年は覚悟の年となる。
年明け早々、ルチャ子が死んだ。
こうして一人づつ、自分は失っていく。
それは抗えないことで、受け入れていくしかない。
やがてたった一人で残される。
その覚悟をしていくこと。
すべてが終わりに向かい残り時間も少ないならば
一日一日、そのとき時を慈しみ大切にして向き合うことだ。
この数日、母の体調もあり、父のボケについても日々苛立ち
キレまくっていた。元日早々、激高してしまった。でもルチャが教えてくれた。
すべて死を前にしてしまえばどうでも良いことだ。
ならばもう怒りもしないし、焦りも苛立ちもしない。
一日一日を大切にしてきちんと生きていくしかない。
それは人との関係も同じ。
自分と関わるすべてが有り難い。大切にしていこう。
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