若いって素晴らしいって思ったこと2012年04月16日 13時54分37秒

★4/14.若き友人の企画したワークショップに参加して@両国フォークロアセンター。

 その若き友、Y君の企画した催しは、彼の友人知人たちが多くかけつけて、センター一階のギャラリーはほぼ満席となる大盛況となった。ただ率直な感想を記すと、全体としてやや緩すぎて決してルーズではないけれどユルユルのんびりとした進行で、意図したものか行き当たりばったりであった。自分としては来られた方々は満足されたか危ぶむところもあった。まあ、それはそれでのんびりできたしその時間の中でいろい考え得る所も大であったので参加して良かった。

 良い悪いではなく、自分が企画するライブイベントは常に過剰なぐらい細かく事前に細部を詰めている。いや、あれこれ考えている。そんなことはないだろうと反論もあるかと思うが、小心かつ不安神経症的要素も多分にある者は、何も決めていない時間、空間は怖くて不安でたまらない。だからついついできるだけあれもこれもと詰め込んでおく。結果、時間的にいっぱいになってしまい、あたふた最後は追われてしまう。なんでいつもそうなるのか。

 もっとのんびりY君のようにゆるゆるやっていきたいと思う。が、何故か自分の企画、やっていることはいつも慌しくパニック気味である。一つに先に書いた小心者ゆえ事前に計画立てて想定しておかないと失敗しそうでつい焦る。それは愚図で無能だからこそ行き当たりばったりで臨めば間違いなく失敗するのは必定だからだ。その上大人恐怖症でもある。人前で何かをやるのは常にパニック心理なのである。そうした性格的なことも大きいが、やはり自分が彼の親ほどの世代、歳をとっているからだろう。

 老人はせっかちだと、最近老親にせよ八十代の人たちとふれあうとつくづく思う。あれはどうなんってんや、と愚図でノロマな自分は常に急かされ尻を叩かれている。そのときのこちらはのんびり側であり、矛盾しているように自分でも思うがその心理は如実にわかる。つまり残された時間が短いからなのだ。
 それもまた個々の性格もあろう。が、もう自分には時間がないという焦り不安感はこんな自分でも強く持つようになった。友人知人はどんどん死んでいく。のんびりダラダラしているのは時間の浪費であり、時間がもったいない。

 つまるところ二十代の人と五十代の自分と時間に対する感覚は全く違う。若くても昔の肺結核に病む芸術家は死を意識してとてものんびなんかできなかっただろうが、今の若者、若いときはまだたっぷり時間がある。何でもできるしどこへでもふらっと気軽に出かけられる。

 そのY君は近くアジアへ、ほとんど無計画に、現地でどうするか決めるというようなスタイルで期間も定めず放浪の旅に出る。また、やはりもう一人の若き友Ⅰ君も今は中国へ旅立ってしまった。実に羨ましい。
 自分も旅に憧れ、三十代の頃は西欧を何回かぶらぶらしていたこともあったが、もう今では一週間の海外旅行だって不可能である。それは老いた家族、人も犬も猫もたくさん抱えているからで、そんなふうに気軽身軽に計画もろくにたてず国内だって出かけることはもはや難しい。
 誰か、留守を託す人がいればできなくもないが、やはりもう今は体力気力共に失せてしまい、夢は曠野を駆け巡るという心境である。

 若いってすばらしい。金はなくても時間と体力そして気力も充実している。今思えばもっと若いとき、親達が元気で手も掛らなかったころ、世界のあちこちを自分の足で歩いてみたかった。今からでも遅くはないのかもしれないが、ともかく今はその時間がとれやしないのである。

 若者よ、書を捨て、旅に出よ。

両手が使える。あたりまえのことが有り難い。2012年04月16日 13時56分18秒

★三週間ぶりに左手の包帯がとれた。

 当たり前のことが何かの原因で当たり前でなくなると当たり前だと思っていたことが実はとても有り難いことだと気がつく。

 ようやく左手の包帯が今日とれた。3月24日の朝、ウチでやるオープニングパーティーの準備の最中、慌てふためいてたぶん本の束を抱えてよろめいて左手の小指、二つ目の関節をしたたかどこかにぶつけたかしたのだろう。むろんすごく痛かったが、すぐにどす黒くパンパンに腫れた。まあ、イベントはともかく無事に終わり、翌日は日曜だったので月曜日の朝、友人達の忠告を受けてやっと立川の総合病院の整形科に行った。
 レントゲン撮ったらやはり関節の部分が欠けたように折れていて、台木を当てられて曲がらぬよう固定されて、小指だけだとすぐに包帯は抜けてしまうので手の平まで他の指だけ出して包帯を巻かれたのだ。そして一週間ごと月曜に整形に通ってはレントゲンを撮り、また包帯を巻きなおして三週間。ようやっと今日で包帯はとれた。

 医師からは骨はほぼくっついたがまだ力入れたり無理して曲げようとせず少しづつ曲げて行け、来週また見せに来いとのことで、再度ぶつけないよう気をつけねばならない。まだ正直すこし痛いし拳骨をつくるようなコブシを握ることは痛くてできないが、久々に素手とになった自分の両の手をまじまじと見て動かしているだけですごく嬉しい。
 包帯を巻いていると洗濯や洗いもの、風呂など水仕事はとても気を使うし、何より頭髪もだが顔さえ落ち着いてしっかり洗えない。先ほど洗面所で掌に水を受けてゴシゴシと思う存分顔を洗いすっきりした。本当に嬉しい。有り難い。今気分は昂揚している。

 自分はこれまでうんと子供の頃足の骨を折った記憶はあるが、大人になってからは捻挫程度は数多くてもきちんと固定するほどの骨折はほとんどなく、バカだからよく転んだり躓いたり痛い思いは始終していても医者などにはまずかからず、今回のようにきちんと医師にかかってその言いつけを守ったことは久々であった。たった三週間でとことんうんざりした。
 よく交通事故などで全治三ヶ月なんてよく聞くけれど、じっさいそんな長期間ギプスを巻かれて包帯だらけにされて松葉杖などを使わねばならない不便な生活をした人ならたかが小指1本とお笑いになるだろう。本当に大変なこととはそうした大怪我だと思うけれど、自分としては今回得がたい経験をしたと思える。

 たいがいいつもなら医者にかかることなく、痛いのをガマンしつつ生活を続けやがて自然に何とか治っていくかと思える。が、やはりきちんと専門家の診断を仰がないと、けっきょく後々本当に治ったことにはならない。というのは、もう一昨年、2010年の6月頃、雨の日に自転車で転んだ右の膝は今もときどき季節の変わり目や歩きすぎたり無理するとすぐに痛くなる。膝をついたりヘンな格好をすると今でさえかなり痛いので、きっと小さな軟骨が折れていたのだと今にして思える。
 そのときはともかく忙しくて大きなライブイベントを抱えていて医者などに通う時間が全くなくガマンしてしまったのだ。今とても後悔している。たぶん、この膝は死ぬまで痛いままでもっと歳とると致命傷になり歩けなくなるかもしれない。

 今回の左手の小指もいつもの自分ならきっと医者にはかからなかった。ただ、ギターが弾けなくなると困ると思ったことと友人たちから早く医者に行かないと大変だとアドバイス受けて慌てて行ったのだ。医師からもきちんと折れたところがくっつかないと後で手術することになって大変だぞと脅かされた。

 たかが小指、されど小指である。これから少しづつ動かしていき、ギターも弾いていく。実はギプスのときから動かせる他の指だけでギターは少しは弾いていた。ただ、押さえられるコードはAm、Dm、Eのスリーコードぐらいで、セブンスはむろんできないし、FところかGだって押さえられない。ということはできる曲は三上寛ぐらいしかなく、それでは夢は夜だって開かない。

 人生これからだと言うには大袈裟だが、でもマジにそんな気持ちで今はいる。そう、これからギター人生が再起動である。

民主党に政治を任せ原発再稼動なら日本は集団自殺2012年04月16日 21時11分39秒

★バカも極まり民主党仙谷氏。

 仙谷氏講演で曰く
「原発を直ちに止めた場合、日本の経済と生活がどうなるのか考えておかないとこれは日本がある意味集団自殺するようなものになってしまうのではないか」。

 原発がなくたってこの国はちっとも困ってなんかいない。再稼動を望むのはそこに利権がらみの原発マネーに群がる怪しい輩だけであり、そのウマミが永遠に続くことを願って何がなんでも原発を動かし続けていかねばと電力会社等から多額の政治献金を受けた政治家たちは妄動している。そこには国民の暮らしと安全を守る政治家としての責務と責任感は露ほどもない。あるのは、大企業と官僚の思惑だけ。彼らの利権と自らの保身だけで今の民主党は動いている。それは原発をずっと推進してきた政党自民党も全く同じ。

 このまま彼らにこの国の政治を任せておけば、本当に大変なことになる。国民のどれだけの人が原発再稼動を求めているのか。本当にこの国に原発はこれからも必要なのか。その議論も民意の集約もないまま原発稼動へ政治は邁進している。
 現実の話、原発一つしか動かなくても国民生活が出来ているならば、なぜ安全性が確保されない原発を稼動させないとならないのか。誰かきちんと納得のいく説明を政治家はすべきであろう。ただこのままだと大変だ、夏場は電力が不足すると煽り立てるだけではなく、本当にそうなるのか、まず原発再稼動からではなく、対案、対策の議論を深め国家を挙げエネルギーのこれからを考えていくことからすべきではないのか。なぜ今すぐできるだけ早く再稼動!?  そして原発が一つ停まっただけでこの国は集団自殺!?  この国はそこまで瀕死の瀬戸際か。

 もしそうなると本気で考えるならまずきちんと一度選挙でそのことを訴えて民意を問え。今の段階で安全性と必要性が確保されたと信ずる者は民主党に一票を投ぜよ。少なくとも原発が全て停まっても自殺する国民は一人もいるものか。それを嘆くのは原発マネーで甘い汁を吸っている輩だけだろうが。

 地震多発国日本、この国がこのまま従来の規制と対策だけで新たに規制監視する官庁も組織もできてないまま老朽化した原発を次々稼動させていくことこそ集団自殺行為だと考えるのは俺だけか。