老いと死をみつめて2012年04月20日 08時55分50秒

★人生の黄昏時に

 曇り空、うすら寒い。気がつけば週末金曜日である。慌しい日々の合間にブログを書いている。

 前回書いたことと重なるが、若いときは歳とればある程度落ち着いて、生活も楽になり悠々自適の暮らしができるかと考えていた。それはそうした年寄りたちが周りにいて見てきたからそう考えたのだが、自分がそうした年代になってみると楽になるどころかますますもって食えなくなり若いときよりも慌しくなるばかりだ。そしてそれは、自分のみの話ではなく、仲間内よるとさわると不景気な話ばかりである。一体なんでだろう。政治が悪いのか。それとも時代なのか。

 このところ寒暖の差が大きく、汗ばむような初夏の陽気だったり3月初旬の寒い頃に戻ったりと気温は安定しない。着る物も難しいが体がそうした変動についていけず体調を崩しやすい。
 老親のうち今年の冬は奇跡的に風邪をひかなかった親父のほうが、昨日の朝からやや熱があり、まだ8度は超していないが、念のために病院に行かせた。“行かせた”、というのは、ウチの病院では、患者送迎のステムがあり、母が丸山ワクチンの注射に週三回通うのにも送り迎えしてもらっているのだ。今日はそのついでに父も母と共に乗せてもらい先ほどマイクロバスが来て病院へ向った。忙しい自分としては車出さずにすんだので助かった。行けば午前中はそれだけでつぶれてしまう。で、今プログを洗濯の合間に書いている。

 いくら歳とっても相変わらず食えない、貧乏なのは要するにマジメに働いていないからで資産家でもない自分は当然至極のことであるが、忙しいのがわからない。老親の世話もあるけれど、あれこれ様々なことをやっているのにちっとも金にならずただただ忙しい。おまけに愛犬たちも年老いて若手ブラ君の親犬姉弟犬はもう17歳。犬としては長寿だと飼主でも感心する。その二匹のうち、クロ犬ブラの母犬、ロビンがこのところ体調崩していることは前にも書いた。
 かかりつけの老獣医に診てもらい、ビタミン注射や薬を出してもらい一時は持ち直したのだが、このところほぼ一日寝てばかりになり、まだ一応餌は食べてはいるが、散歩もトボトボ、のろのろと足取りも重く、確実に死期が迫っているように思える。

 もっと大きい最新施設の動物病院にかかれば、多少は元気が戻り延命治療のしようもあるかと思うが、病気もあるのはわかっていても今さら高齢で手術はできないし、そこでもせいぜい栄養あるカンフル注射とか点滴、薬出すぐらいしか手の施しようはないはずだ。そこで診てもらうことも考えたが、診断にあたりまず血液検査とレントゲンなど必ず撮るだろうし、それだけで万単位、注射も1本安くても5000円というレベルだから、行けば3万円ぐらいは覚悟しなければならない。情けない話、今我家の家計ではそれが苦しい。

 かかりつけの老先生の病院は設備もないので、行けば昔ながら熱を測って聴診器で心音を聞いて、体触って1本だけ注射打って飲み薬を出してもらい1万円はしない。それでも付き合いが長いから良心的価格で、犬は健康保険がないので仕方ないと思っている。ロビンももう一度多少元気になればと願うが、その先生も感心したほどの高齢であり、犬種から考えればじゅうぶんに長生きした。
 今はただできるだけ美味しい栄養のあるものを食べさせて、無理させず様子を見ることしかできない。別れは悲しいがそれは生き物すべての必然であり、今はただその日そのときにそなえ覚悟を決めてこちらもしっかり生きていく。

 そんなこんなでニンゲンの方、親たちのこともあって、今日は都心まで出かけ人と会う用事があったのだが、どうにも無理そうだ。つまるところ忙しいとか金がないとはこうしたことの積み重ねなのである。歳をとってもそうした抱えているものが多くそれに時間がとられて出費ばかり嵩む。まあそれはそれで仕方ない。それが人生なのである。

 残された日々をしっかりと丁寧に生きていく。それは人も犬も自分もまた同じなのである。