梅雨寒の山梨で2015年07月02日 23時22分20秒

ご近所さんから梅を頂きました。江草では今が梅のシーズン
★携帯電話を向こうに置き忘れてきた!         アクセスランキング: 142位

 というわけで、雨の中、一泊二日で山梨県北杜市江草の里山に行ってきた。今日2日の夕方戻ってきた。向こうは寒いほどで、親たちはコタツに足入れて眠った。

 そしてようやくだが、先にも書いたマス坊のスマホ、向こうでもネットに繋がった。今回行って確認できた。アンテナが立った。本当にウレシイ。これで、ネットで古本の価格相場の検索もできるので、作業が格段にはかどる。陸の孤島からネットの海へと船出した気分である。

 が、あろうことか、バカだから慌てて向こうを出る間際に、玄関の靴箱の上に携帯電話を置き忘れてしまった。今、まだ、スマホには電話機能は入れていないので、友人知人の誰にも電話をかけることができない。
 まあ、今は連絡とるのは、ほとんどが携帯も含めて電話で話すやりとりより、メールが主だから特に困るほどではないが、問題は、こちらからの連絡より、携帯にかけてくれた人が、マス坊のメルアドも知らないならば全然電話がつながらないこととなり、きっとご迷惑かける以前に心配されるであろう。※携帯のほうにはメール機能はそもそも付けていない。
 なので、また近く行ってとってこないとならない。やれやれである。

 スマホには、宅のパソコンのメールもそのまま受送信できるよう同じメルアドを入れている。だからこれで、向こうでも布団の中でもメールを送ったり届いたメールがすぐに確認できる。これは有難い。どこにいてもメールが確認できるのは実に便利で助かる。

 つまるところ、電話で直に話すことより、忙しい我々は、メールでの短いやりとりのほうが、簡便かつスピーディということなのだ。メールなら24時間いつでも都合の良い時間に書いて送っておけば、向こうが確認さえしてくれさえすれば用件はことたりる。
 ただ、いちばんの問題は、そもそも本当に相手に届いたか、向こうは読んでくれたかわからないことだ。郵便の内容証明的に、相手がメール開封したか確認できるやり方もあるけれど、それだって普通は用いないし、それすらも受け手側が無視することはたやすい。
 となると、メールは送ったものの、返信がない場合は、あれこれ気をもんだり、不安や心配となる。
 ネットでのメールという通信手段はいつでもどこからでも気軽に送れるが、相手にきちんと届いたのか読んでもらえたかは定かではない。

 郵便しかなかった時代も、送ったものの返事のないラブレターなどは、うたのかっこうの題材になったし、ポケベル(今もあるのだろうか)の頃は、ポケベルが鳴らないことをモチーフにしたドラマやうたがあったと記憶するが、ネット上のメールについても同様に、昨今のうたなんかになっているのだろうか。
 いずれにせよ、メールというのは、やりとりする双方の意志がはっきりしているときは非常に早く簡便かつ的確だ。が、そうではない場合、一方的に連絡をとりたいときなどは、相手にこのメールは届いているのか、またそれを読んでくれたのか確認とる術はない。
 メルアド自体間違っていたり、何かシステムの不具合で届かないことだってままある。あるいは向こうのセキュリティで、スパムに振り分けられて読まれなかったり、そもそも多忙な人では、うっかり読まずに削除してしまうことだってままあろう。

 となると、携帯であろうが宅電であろうが電話で直に話す方が確実だと気づく。むろん常に留守電状態となっていて、電話にすぐ出ない人も女性には多い。が、伝言を残せばたいがいは向こうから返信があったりしてメールよりは確実に連絡がとれるように思える。
 そしてじっさいに声に出して話せば、文字のやりとりよりも微妙なニュアンスは伝わる。ゆえに、メールなどでは顔文字など多用してそのニュアンス部分を補足しているのだとわかる。
 となると、メールは要件など文字としても残るがゆえ、確実なこと、確定したことには有効かつ有用だが、微妙かつあいまいなことについては、やはり肉声、ましてじっさいに会い話すに如くはないということだろうか。

 私ごとだが、もう既にこの世にいない友人に、それが判明しないときは、何度もメールを書いてはどうしたのか、連絡をくれと送った。むろん、返信があるはずがない。亡き人に身内がいれば、遺された携帯やパソコンのメールシステムも適時チェックして、もう彼は死んだ旨など適切な連絡を返してくれたかもしれないが、その人は一人暮らしだったから何度メールしても当然のこと返信はない。

 いったい我が書いて送ったメールはどこへ行ってしまったのか不思議に思う。別にエラー表示などは一度も出なかった。むろん送信済みトレイのほうにバックアップは残っている。が、送信したメールそのものはどこに消えたのか。
 もしかしたらあの世には届いていたのかもと考える。ただ、向こうからは返信できなかっただけだと。あるいは、彼もまたメールを送り続けていたのかもしれないと。ただ、お互いに彼岸と此岸、システムに互換性がなくやりとりができなかっただけなんだと。

 いずれにせよ、また近日、この忘れ物をとりにまた山梨まで行かねばならない。再び亡き友と関わりを持つには、こちらもまた向こうの世界に行くしかないのであろう。