ただ生きているだけの有難さよ2015年07月12日 17時27分31秒

★そして父をも倒れて その「はからい」 を知る。

 これは書くべきか迷っていたが、事実であり、今回の顛末におそらく大いに関係したことなので、継いで書く。

 我が立川の脳神経外科を受診したのは、頭がおかしくなって二日後、7月7日のことだった。
 そしてその翌日、今度は我が老いた父が倒れた。今、手術を終えて入院中である。

 父は以前から、息子とは別に、朝からメマイ、ふらつきを訴えていた。が、それはパーキンソンから痴呆症も伴った症状の一環だと医者や家族も思っていた。そしてそのメマイ?は、たいてい朝だけで、収まり日常的には特に問題ではなかった。歳とれば誰だってヨボヨボになり、足元ふらつくものであろう。しかも彼は九十歳となるのだから。

 が、この数日、彼はそのメマイをはじめ体調の不調を訴えていた。午後になってもメマイは収まらないと。
 そして8日、昼に父は母を伴い出掛ける用事があり、それはかなり難儀して戻ってこれたのだが、夕方、二人で近所を軽く散歩したら母は父の異変に気づいた。歩いていても左足が麻痺してろくに足が上がらず歩けないと。

 で、息子である我に、どうもいつもよりオカシイ、急に歩けなくなった、もしかしたら彼は軽い脳梗塞でもなったのではないかと、訴えてきた。で、もう午後6時頃だったから、かかりつけの立川の総合病院へ急患扱いで母も付き添い、父を車に乗せてすぐに連れて行った。
 そのときの我の感想は、毎度のシンドイ疲れたと訴える「いやいやえん」的彼のワガママからのもので、大したことなどないとタカを括っていた。検査すれば何でもないとすぐわかるはずだ、と。

 問診では特に問題は見られなかった。が、念のために頭のCTを撮ったら、行きは車椅子で向かったのに、帰りはベッドに寝かされて戻り、すぐに母が呼ばれ当直医師から話を聞かされた。頭の中に血が溜まり大変危険な状態であり、明日午前即手術をしないと命に関わると言う。

 その時点では病名は知らなかったが、「慢性硬膜下血腫」といい、頭を打ったことで、じょじょに少しづつ頭蓋骨内で出血が起きて脳が圧迫されていたとのことだった。
 自分はコンビニに行っていてそのときいなかったので、医師が診断を母に告げたとき見せられた、輪切り状態に撮影された脳の画像では、左半分がほぼ真黒に潰れていて、シワなどはまったく見えなかったとのこと。あと2~3日すれば意識もなくなるだろうと医師は言う。

 すぐ入院手続きをして、明日朝から頭蓋骨に穴を開け、その溜まった血を抜き取る手術をすることとなった。

 父の検査を待つ間、待合室のソファーで持って行った新聞を開いたら、三面の下の訃報欄に、大好きな石やんこと、関西のギタリスト、石田長生の訃報が載っていて驚かされた。彼が癌で闘病中だと知っていたが、きっと克服すると信じてた。まさかこんなに早く逝くとは・・・。

 つい先日まで彼が更新していたツイッターでは、亡き清志郎のことを偲び、他のミュージシャンのツアーを応援し、字面だけ見れば元気そうだったのに。彼の屈託のない笑顔を思いだしもう心が張り裂けそうだった。
 直接の面識はないが、ソーバッドの頃からずっと親しみ、大阪春一番でも応援してきた大事なミュージシャンだった。清志郎といい、大事な本当に長生きしてしてほしい人たちが、ファンや当人の思いかなわず、思い残して病に倒れ若くして去っていく。

 石やんは死に、頭は打ったが自分は生きている。そして父は倒れ、まだどうなるか予断は許さない。これが人生なのだと、皮肉にもこうしたものが人生なのだ、生きていることなのだと新聞を握りしめ手が震えた。
 これもまた何かのはからいならば、ここからメッセージを受けるべきではなかろうか。
 ※もう一回報告します。