我に何が起きたのか・22015年07月10日 21時54分30秒

いったい誰が撮ったのか。カメラには当日のファイナルの様子も数枚だが残されていた。
★今、正気に戻って振り返ると

 第5回となった「隅田川フォークフェスティバル」、今年も盛況のうちに無事終わったのだと思う。さほど梅雨中でも蒸せずにお客もたくさん来られ和気あいあいの良いイベントとなったはずだ。

 考えてみれば、このイベントは、もともと国崎氏と第一回の企画段階から自分も深く関わってきたわけで、出演者も皆長年の付き合いから懇意かつ気心知れた親しくお付き合いある方々ばかりで、いわば故郷に戻ってきたようなものであった。
 だから嬉しくてつい浮かれて気も緩み、いつもより缶ビールなどアルコールを呑んだのは覚えている。が、記憶をなくすほど酔うとはどうしたことか。

 心配していた天候も、雨が降りだしたのは、お客がほぼいっぱいとなってからで、予定の1時よりやや早く開始となり、第一部は、非常に良い感じでスムーズに進んでいった。一部のトリは、これまで前回連続出場中の岡大介で、マイクなしのかんから三線1本で、余すところなく今現在の実力を満席のお客様にたっぷり見せつけた。
 そこまでは完全に記憶に残っている。そして、自分も会場整理や裏方としてイス運んだりあれこれ動いていた。

 岡さんが終わって、それから少し休憩があって、第二部が始まったはずだ。が、今回のラストは中川五郎御大であったはずなのだが、その第二部のライブの記憶がまったくない。

 その休憩の間なのか、それとも、第二部やっている最中なのか、我は頭をうったらしい。らしいとしか書けないのは、果たしてそれが事実なのか、その会場である神社で頭を打ったのか確認ができないからだ。
 ただ、誰か周りの人たちから、「大丈夫ですか?」「頭から落ちたけど」とあれこれ心配されたような漠然とした覚えはある。しかし、それすらもしかしたら夢かもしれない気がする。今のところ誰からも目撃情報など得ていない。
 今記したことも、翌日、6日の朝になって、頭に瘤ができていて、初めて気がつき、そういえばそんなことがあったような気がしただけだ。果たしてその神社で起きたことか今も自分ではわからない。

 そして、次に意識が戻ったというか、今振り返り残っている記憶をたどると、ある記憶は、もうコンサートは全て終わっていて、自分はたった一人で、神社の社殿の中にいた。
 残って後片付けをしていたのかそれもよくわからない。もしかしたら意識を失いどこかで寝かされていたのか、それとも酔っぱらってずっと眠っていたのか。

 自分の荷物を抱えて、道を挟んだ向かいのフォークロアセンターに行ったら、国崎さんも誰もいなく、彼の妹さんが一人おられて、お疲れ様でしたと挨拶した。そこから中川五郎氏に携帯で連絡したら、両国駅前の居酒屋に皆でいると知らされ、妹さんからもすぐ場所はわかる、と言われてくてく歩いて行った。

 その店はすぐわかり、皆と合流できた。そこで、出演された方々とあれこれ話した記憶もある。が、誰がいたのかやや記憶もあいまいだし、いったいいつ皆と別れたのか、何を話したのか、気がついたらたった一人で帰りの中央線に乗っていた。つい言葉が過ぎた記憶はある。
 ほんとうは、五郎氏のギター運ぶはずだったが、いったいどうなったのだろうか。もしかしたら彼は車で帰ったような気もしているが。ともかくたった一人になっていた。

 で、それから帰りの車内で、スマホをチェックしたり、立川かどこかで青梅線を待っている間も女友達に慣れないローマ字入力でメールしたりして、何とか家のある駅に着いた。雨はしとしと降っていたと思う。傘は神社に忘れてきたようで持っていない。

 いつも停めてある自転車置き場で、自分のそれをみつけて、カギを差し込んだが、ぜんぜん入らない。何度やっても合わない。数十分そんなことを繰り返し、ようやく今朝はいつもと違う場所に自転車を停めたことを思い出した。それは似ているが他人のだった。ようやくみつけてふらふらよたよたしながら乗って家に帰った。

 が、自転車に乗ってなのか、それともまた別の場所なのか、どてんと道に転んだ。持っていた手提げカバンの中身を全部雨のアスファルトにぶちまけた映像の記憶がある。しかし、拾い集め、何とか家に戻ってきた。

 そしてそれから、絶望的な気もちに襲われて問題のブログを書いたのだと思う。それ以降も、今日出演された友人であるシンガーにメールしたりもしている。それからうんうん泣きながら寝た記憶がある。
 ただただ自分が情けなく、絶望と悔恨の気持ちでいっぱいだった。

 そして、翌日6日の朝、ようやく正気に戻り、いったい何があったのかとグラグラ揺れる天井を見上げつつ昨日のことを思い出してみた。
 体の右側は打撲で、肩など痣と擦り傷のかさぶたが出来ている。それは腰まで打ったらしく右半身全体に強い痛みがあり、そちら側には痛くて寝返りも打てない。だが、昨晩はまったくそんなことに気がつかなかった。

 そして頭に手をやれば、左目の上、こみかみのやや上あたりに瘤が一つあり、ざらざらしている。さらに右側の耳の少し上の側面にもかなり大きな瘤があり、どうやらそこも血が出たらしく今もかさぶたとなっている。さわると当然ながらかなり痛い。
 その時点で初めて、昨日どこかで転んで頭を打ったのだと気がついた。そして記憶を辿ると、誰かに「大丈夫ですか」と心配され介抱されているような覚えが浮かんだ。しかし、それもまた夢で見た気もする。

 自分にいったい何が起きたのか、自分はいったい何をしでかしたのか。メールを送っていた友人たちからは「かなり酔っぱらっていたようで心配したけど無事帰られたようで良かった!」と返事はあったが、恥ずかしくて、オレは頭打ったのかとは未だ訊けやしない。
 確かなことは、頭を二回?打って、体右半身をかなり強く打つように転んでいることだけで、あちこちにケガしているという状況証拠しかない。

 その6日は、メマイとふらつきが激しくてベッドから一歩も起きられなかった。ようやく夜遅く、軽く食事もとれたが吐き気もあったので水も飲まず一日中ただベッドの中で、昨日のことを振り返り記憶をたどり何が起きたのかと自問し続けていた。いったいどうしてしまったのか。

 右側頭部の瘤は転んだとき、ついでに打ったのかもしれない。両国駅前の店で皆といたときも帰りの電車でもどこも痛みなど感じた記憶はないのだから、電車下りてから家までの帰り道に転んだため起きたのか。
両国では頭など打ってなくて、たんに呑みすぎて記憶がないのか。
 いや、家に帰ってもちっともケガしたことなど気づかなかったではないか。体のあちこち、頭の瘤も含めて体の異変に気づいたのは翌日になってからだったのだ。まさか転んだのは家の中のはずもない。

 ほんとうに我がことながら自分でも何が起きたのかわからない。ただ、自滅的ブログを書いてしまったのには、そこに至るストレスと、鬱屈した思いが大いに関係していることは間違いない。

 そして7日、すこしはメマイが収まったので、頭のことも心配だったので病院に行ってあれこれ検査をしてきたという次第だ。「発狂」の原因は脳ではなく心であったようだ。

※もう一回だけ続きます。