なさけない「勲章」を生涯大事に掲げていく2019年11月21日 07時36分33秒

★マス坊のデビュー戦、惨憺たる出来に終わった。

 お知らせしたように、昨日、東中野「じみへん」での、太田三造さんのライブの「前座」として出た、我の初ソロライブはともかく終わった。
 今、一夜明けてその報告をいたしたい。

 メインの太田さんのライブとしては、このところ何回も同所で回を重ねて来て、進行も選曲もこなれて来て、最良のものとなった。彼お目当ての観客も多数来られ盛況となった。
 特に昨夜は、通の、著名ミュージシャンが多数観客として駆けつけ、まさに「ミュージシャンズ、ミュージシャン」として、その噂通りの実力をはっきり示したと思える。固定ファンもついたようだ。
 その観客として来られた顔ぶれがすごい。よしだよしこさんから五十嵐正史、館野公一、みほこん他、その誰もがソロのトリで客を呼べる豪華な顔ぶれであった。
 我はその人たちを前にして唄ったのである。

 我は、今回のはなし、何ヵ月か前に太田さん当人から要請を受けた。曰く、
 11/20日に、じみへんで演る話が来てるのだけれど、当日は平日で、現場仕事に出てるから7時半の開演時間に間に合わない。マスダが、その前に30分ぐらい唄ってくれてないかと。

 実は個人的には、かねてより思うところあって、自分としてはシンガーとして今年「デビュー」したいと考えていた。そのことは以前ちょこっと拙ブログでも書いたと思う。
 その「還暦デビュー」ならぬ、還暦過ぎの者として、シンガーの方々の仲間入りライブは、このところのホームグランド「かけこみ亭」でやる予定だった。※西荻のみ亭が今もあったらもちろんそこでやるつもりでいたけど。
 そしてその記念すべきデビューライブのゲストというか、「共演」者としては旧知の太田三造さんを考えていた。誰よりも気も合うし、何より我のことをテーマにした唄まで作って頂いた中である。
 そのデビュー記念ライブ、企画はしたものの、毎度ながらいろいろ常に次から次へと慌ただしく、自分の諸事情で何月何日と決められないでいた。そう、他のミュージシャンの公演ならば彼らのご都合で調整して日時が確定できる。が、自分のこととなると、まずあれを終わらせて、これが済んでからだと、ちっとも決められない。そんなで企画だけは太田さんと話していてもそれがいつと具体的にはなかなか決められなかった。今年も終わってしまう。
 そんなさなか、彼から直に、じみへんで、出ないかとお誘いを受けたのだ。

 我としては、場所といい、彼のお誘いなのだから断る理由は何一つない。特に、まずは「前座」として、デビューするのは相応しいと思い快諾した。そして当日に向けてそれなりに練習も重ねてきた。
 ただ、あえてフェイスブックやチラシなどをつくって広く告知・宣伝することはしなかった。まだ自信がないということもある。また、太田さんの前座で持ち時間も少ない。
 誰も来ないと困るけれど、約30分程度なのだから、太田さんもさほど集客力ある方ではないので、我ら旧知の友人知人たちがぼちぼち来てくれたらそれでいいかなと思い、その人たちを前にのんびりやれたらと考えていた。そんなで内内に、我らを知るごく親しい人たちにだけライブに出るよと通知しておいた。それとこのブログにだけだ。
 が・・・
 じっさいに店が開いたらば来たのは、すごい顔ぶれのミュージシャンばかりなのである。プロ中のプロが勢ぞろいしている。何かオーディションを受けに来たような気分になった。敬愛するプロの方々を前にして、もうともかく緊張した。上がりまくった。
 落ち着いてどっしり構えて演奏にうたに集中することができず、ミスするはずのないミスを繰り返してしまった。一つのミスがまさらにミスに繋がりパニック状態となった。

 まさに惨憺たる出来であった。企画者・裏方としては一流だとは思わないけれど、それなりの自信も一家言もある自分だが、そうしてお世話した方々を前にすると、シンガー、歌い手としてはまったく何一つできない体たらくであった。ただ情けない。お恥ずかしい。込み上げて来る思い、その苦い味で喉がカラカラになった。

 けっきょく、予定していた曲も全部歌えず、あたふたして気がついたら約30分の持ち時間は終わった。何もかもまったく思い通りにならなかった。最初から最後まで頭が真っ白だった。自分の当初の思い、予定していたことは一割も表現、実現できなかった。点数としては、15点ぐらいであろうか。むろん赤点、落第である。

 もう、自分はやはり裏方に徹して、人前で歌うことはやめにすべきかとも考えたが、今一夜明けてこう思う。
 大失敗に終わったデビューライブであったが、そもそもこれが本来の「実力」なのだから仕方ない。もし、これがスムーズに何も失敗なくできていたら、何だこんなもんと自分は驕り音楽を見下し、結果として関心を失っていたかもしれない。
 苦い失敗の味を覚えて今は、逆に、自分にとって「さあ、もういっぺん」だという気分になっている。そう、勇造さんも過去の苦いライブの思いをうたにして唄ってるように、「日の暮れない前に、さあ、もういっぺん」だ。そして、ここから「終わり、始まる」のだと。

 あまりコーフンしてたのでよく覚えていないが、終わって誰かが言ってくれた。「こんなすごい顔ぶれの人たちを前にデビューできたのはスゴイことではないか」と。
 そう、まさにその通りだと今思う。太田さんの前座として、よしだよしこさんたち人気実力も高いシンガーを前にして、ともかく「デビュー」できたのだ。、しかも場所はフォークの聖地じみへんである。
 これは勲章ではないか。2019年11月20日、自分はこの日を生涯忘れない。そしてこの情けない「勲章」を誇りに、企画者、プロデューサーだけでなく、「歌い手」の一員としても生きていく。がんばるしかない。どんな観客を前にしても絶対に崩れない、動じないように練習するしかない。

 昨日最後に唄った曲の一節ではないが、すべては神の御心のままに、我もついに河を渡ったのだ。

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