勇気ある誰か一人が声を上げない限り世界は変わらない、動かない。2020年03月21日 21時40分11秒

★この現状では、当然のこと東京オリンピック中止を願う

 まず断っておくが、我マス坊はそもそも今回の東京開催の五輪には断固反対、開催そのものに否定的であり、さらにあえて言えば五輪そのもに無関心であった。
 が、渋谷のハロウィン騒動よろしく、それでお祭り気分で騒ぎたい人たちが少なからずいるならば、それはそれで一概に否定や非難すべきではないと思うし、時の政権や都知事、それもともかく民意が反映され託された彼らが目論み企画したことは、大いに批判はしようともそれを楽しみに、心待ちにしている人たちの手前、あえて異を唱える気はなかった。
 それを日和見と呼び批判される方もいるとは思うが、正直、スポーツそのものが嫌いかつ関心外な我には、金メダルの数がどうのこうの、そこで君が代が流れることも含めて、全くどうでもいいことでそれで盛り上がりたい人たちは、どうぞ勝手に楽しめば、というスタンスであった。そう、ご自由にどうぞと。
 それは 今も変わらないし、勝手に決まってしまい、ここまで来てしまったのだから、今さら開催反対のアクションは起こす気はなかった。

 が、このコロナウィルス拡大感染の嵐が吹き荒れ、未だ世界的に収束の兆しが見えない現時点である。常識的に考えても、あと数か月のうちに、今夏までに感染が終息して、スポーツそのものをゆとり持って楽しめる市民生活が無事に元通りになるとは誰一人思えないだろう。
 ところがIOCとこの開催国日本のオリンピック関係者たちだけは、「予定通り」に今夏の開催を宣言し、「大会まで4カ月あり、現時点では抜本的な決定をすべきときではない」などとノンキかつ無責任なことを言っていた。※3/17日のIOC臨時理事会。

 が、スポーツというものは、そもそもその本番に向けて練習や調整を長期的かつ事前にしないとならないものであるはずだし、現時点で五輪に向けての選手選考すら各国間でもウイルスの影響でほとんどできていない現状なのに、どうして「予定通り」に開催できると言えるのか。不思議でならない。
 映画とか、既に出来上がったものをその日、その場で流すのとは違う。あくまでも選手たち、そしてその周囲の関係者たちは、その日、本番、本試合に備えて、そのときに向け万全の準備をしないとならない。
 それが半年も切っているのに、今はほとんど何もできていないしまだほとんど何も決まっていない。なのに、開催だけ「ありき」というのは、無責任すぎる。裏には何が何でも「中止」にはできない理由があるからだと誰もが思う。それはテレビ放映料も含め大金がからみ、中止や延期となれば、膨大な損失が出るからだと容易に想像がつく。

 が、それで困るのは誰であれ、今の段階でいちばん悩み困惑しているのは、このオリンピックに出場したいと考えているアスリートたちだろう。果たしてほんとうにこの現状で無事予定通りに開催できるか。しかし、ならばその準備はどうしたらよいのか、そしてこの現実の中でいったいどうすべきなのか。これから、この先果たしてどうなるのかと悩み迷い不安に駆られている。その心中は想像に余りある。
 だが、先日、ギリシアアテネで採火式が行われ、開催国日本にその聖火が届き、聖火リレーが誰も声援を送る観衆のいない中でも、粛々と行われるとなると、まさに開催は本気?マジか!!正気か?、と選手でなくとも心中穏やかざる不安に襲われる人たちも世界中に増えるのではないか。

 が、ようやくIOC委員の一人がこの流れに対する異議をツイッターに投稿して開催延期、中止論が世界のメディアに流れるようになった。
 カナダの元女子アイスホッケー代表のヘイリー・ウイッケンハウザー氏は「今回の危機はオリンピックより大きい。IOCが開催に向けて進もうとしていることは、人間性の観点から無神経で無責任だ」として「オリンピックを中止すべきかどうか、今の時点では誰もわからない。ただIOCが開催に向かって進むのは、練習している選手や世界中の多くの人たちにとって正しくないことは確かだ」と声明。
 さらにまた、ギリシャの陸上女子棒高跳び選手のエカテリニ・ステファニディ選手もツイッターで「IOCは、大会に向けて練習しなければならない私たちや家族、公衆の健康を脅かしたいのか、あなたたちはまさに今、私たちを危険にさらしている」と批判の声を上げ慎重な対応を求めている。

 そして、この流れを受けて日本でも日本オリンピック委員会(JOC)理事でソウル五輪女子柔道銅メダリストの山口香氏が19日、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」との考えを示し開催国のオリンピック委員会の理事からも、今夏の開催への異論が出始めた。
 山口氏は「世界中で正常な生活が送れない状況がある中で、7月に開催して誰が喜ぶのか」と指摘。その上で「コロナウイルスとの戦いは戦争に例えられているが、日本は負けると分かっていても反対できない空気がある。JOCもアスリートも『延期の方が良いのでは』と言えない空気があるのではないか」と話した。※朝日新聞より一部転載。

 だが、この発言に対して、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は、この日、アジアの各国の五輪委員会と国際オリンピック委員会(IOC)との電話会議で「世界中のアスリートたちが安心・安全な形で五輪に参加できるように全力を尽くす」と発言し、今夏の五輪開催への意欲を改めて示したうえで、「色々な意見があるのは当然だが、JOCの中の人が、そういう発言をするのは極めて残念」と述べたと報じられている。

 思うに、森元首相もだが、ただともかく開催まずありき、と言い張るのは、常に男であり、女性のほうがより柔軟に、現実を真正面からとらえ理性的かつ常識的にモノゴトを考えて勇気ある発言をしていると気づく。
 そしてそうした勇気ある発言と行動は常に女性の側から起きることを思い出す。何故ならこの現実世界、出来上がってしまっている体制は男性社会であり、彼らはその既得権益も含めてその維持だけしか頭になく、今起きている現状を直視できやしない。
 そう、山口氏がいみじくも語ったように、まさにあの戦争のように「負けるのもわかっていても反対できない空気」を山下会長のように圧力的に拵えてしまうのである。

 が、つくづく思う。中川五郎氏のうたではないが、大きな世界を変えるのは一人の小さな行動、つまり勇気ある発言からなのだと。 
 誰か一人が勇気ある発言、それも誰もが当然に思っていたけれど、言葉に出すこと、声に出すことはためらい憚れていたことを「発言」したことで、とたんにみんながそうだそうだと一気に流れが変わっていく。
 そう、王様は裸だと初めて叫んだ子どものように。誰かがそれを声に出して指摘しない限りこの世界は、=この体制、現実は何一つこれからも絶対に変わりはしない。
 世界を変えていくのは、やはり女なのではないか。