山梨は海が近いことなど ― 2015年06月19日 21時00分09秒
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昨日まで山梨へ行っていた。山里である向こうも寒かったが、こちら東京に戻ってきても寒い。
山梨ではコタツは出しっぱなしで、夜はコタツつけて、親たちはそこに足を突っ込むように布団敷いて寝かせた。
そして気温が低いのは、向こうだけだと思ったが、東京に戻ってもさほど変わらず、今晩はウチでも薪ストーブを炊いている。
まさか6月も後半になってストーブつけるとは思ってもなかったが、朝晩の気温は20度もないのだから、寒すぎるから仕方ない。
今年の春が過ぎ、5月の連休の頃は異常な猛暑で、毎日夏日、真夏日だと全国的に騒いでいたのにどうしたことか。
まあ梅雨寒という言葉は昔からあり、今頃は気温が低いのも例年のことなのだろうが、それにしても北西の風が吹き冷たい雨は降り続き寒くてかなわない。山梨でも雨もよいで天気はすっきりしなかったが、それでも今回は、増冨のラジウム泉に浸かった以外、少し足を伸ばして北杜市長坂町へ行ってきた。もう八ヶ岳の麓である。
山梨の北端、北杜市須玉の古民家と縁をもって、今年で3年目となる。一昨年2013年の春5月の連休に、紹介され出向いてその地を知り、その年の秋口には、そこを自由に使えるようになった。
が、その年の冬は、記録的豪雪で、春まで全く行けず、去年もあまり夏になっても行くことはかなわず、ようやく今年になってスノータイヤも手に入れ、通年行くようになった。そして今年に入ってからは本格的に倉庫として古本古雑誌を運び込むのと母の癌治療のため湯治も目的に定期的に通うようになった。
これまでは、家族でも一人で行ってもその増冨他近辺の温泉に浸かって一泊で翌日夕方には東京に戻ってきていた。
しかしそれではその須玉町江草の古民家と東京の自宅との往復だけで何一つ目新しいとはない。それもあってこのところは帰りだけは、高速道は使わずに、昔ながらの甲州街道をだらだらとあちこち寄り道がてらゆっくり帰ったりもして新たな楽しみも見出していた。
しかし、山梨県北部の北杜市までほぼ二週に一度は通っているわけだから、その古民家との往復だけでは物足りない。農協や直売所で新生地野菜などを買い求める楽しみは覚えたけれど、その地の名所など観光スポットも訪れても良いではないか。
それでこのところは、行ったからには、温泉だけでなく、少しづつ近隣の見知らぬ町を訪れるようにして新たな楽しみを見出している。
これまでは、そのラジウム泉がある増冨ラインという、、山梨県最北部の北杜市の中でも奥秩父に隣接した、地図で言えばいちばん右側、つまり市の東側地域だけしか知らなかった。
まあ、その北杜市なる市も、実は平成の大合併でできた、八ヶ岳南山麓の小さな町や村がいくつも寄せ集まった巨大な市であり、その北杜市の中に、清里から大泉、長坂、小淵沢、白州、そして須玉や明野までそれぞれ特色ある町や村を擁しているのである。
今通っている古民家があるのがその市の東側須玉町の奥まった山郷だったので、どうしてもその地域ばかり、それも韮崎インターから上っていく道ばかり通ってある意味マンネリ化してしまっていたのだった。
そんなこともありこのところは、須玉町の近辺の街々を一つづつ訪れるようにしている。まずはトンネルを越えての隣町、清里に近い高根町、そして一山断崖の向こう側にある、農業の盛んな武川という町へも足伸ばした。
そして先日はようやく、長坂町まで親たちを連れて行き、JR長坂駅前の老舗の寿司屋で、昼飯とって帰宅した次第。魚も野菜もなかなかすべてが新鮮で美味しかった。
山梨へ通うようになり、いちばん驚いたというべきか、新たな発見だったことは、実は山梨は海が近いこと、海産物が豊富だという「事実」であった。
あんな山の中で何で???と県外の方は当然思われるだろう。じっさい北杜市などはもう長野県に隣接していて八ヶ岳山塊と南アルプス、奥秩父の山々に囲まれているのである。しかし、海産物は豊富なのだ。自分も不思議であった。
しかし、地図を見て氷解した。海から遠いと考えるのは、我々が東京から、東京都心の海、東京湾から見て都心から走ってくるから遠いと思うからで、地図で見れば下の駿河湾側、つまり焼津港など静岡側からみれば東京湾よりすぐ近くに海があるのであった。
須玉にせよ韮崎にせよ、東京都心まで100数十キロ離れている。しかし、地図直下の静岡の海からすればその半分ほどの50~60キロしか直線距離では離れていない。むろんまだそこには高速道路はダイレクトにつながっていないし、南アルプスに沿って一般道を海に向かって地図を下っていくから時間はかかるだろうが、それでも東京に行くよりはるかに近いところに海がある。
だからスーパーなどでは、焼津港直送と記してマグロなどが並んでいるし、ここは山の中だという認識なのに、意外に新鮮な海産物がたくさんあるので驚かされるわけだ。
つくづく、その地に来て、体験してみないことには、本当のことは何もわからないのだと思い知った。人はその経験や行動なしに何となくイメージして決めつけていることが多々あるのだと気づかされる。
人は何であれ何となくイメージして、わかった、知っているつもりになっていることが多いのである。
昨日まで山梨へ行っていた。山里である向こうも寒かったが、こちら東京に戻ってきても寒い。
山梨ではコタツは出しっぱなしで、夜はコタツつけて、親たちはそこに足を突っ込むように布団敷いて寝かせた。
そして気温が低いのは、向こうだけだと思ったが、東京に戻ってもさほど変わらず、今晩はウチでも薪ストーブを炊いている。
まさか6月も後半になってストーブつけるとは思ってもなかったが、朝晩の気温は20度もないのだから、寒すぎるから仕方ない。
今年の春が過ぎ、5月の連休の頃は異常な猛暑で、毎日夏日、真夏日だと全国的に騒いでいたのにどうしたことか。
まあ梅雨寒という言葉は昔からあり、今頃は気温が低いのも例年のことなのだろうが、それにしても北西の風が吹き冷たい雨は降り続き寒くてかなわない。山梨でも雨もよいで天気はすっきりしなかったが、それでも今回は、増冨のラジウム泉に浸かった以外、少し足を伸ばして北杜市長坂町へ行ってきた。もう八ヶ岳の麓である。
山梨の北端、北杜市須玉の古民家と縁をもって、今年で3年目となる。一昨年2013年の春5月の連休に、紹介され出向いてその地を知り、その年の秋口には、そこを自由に使えるようになった。
が、その年の冬は、記録的豪雪で、春まで全く行けず、去年もあまり夏になっても行くことはかなわず、ようやく今年になってスノータイヤも手に入れ、通年行くようになった。そして今年に入ってからは本格的に倉庫として古本古雑誌を運び込むのと母の癌治療のため湯治も目的に定期的に通うようになった。
これまでは、家族でも一人で行ってもその増冨他近辺の温泉に浸かって一泊で翌日夕方には東京に戻ってきていた。
しかしそれではその須玉町江草の古民家と東京の自宅との往復だけで何一つ目新しいとはない。それもあってこのところは帰りだけは、高速道は使わずに、昔ながらの甲州街道をだらだらとあちこち寄り道がてらゆっくり帰ったりもして新たな楽しみも見出していた。
しかし、山梨県北部の北杜市までほぼ二週に一度は通っているわけだから、その古民家との往復だけでは物足りない。農協や直売所で新生地野菜などを買い求める楽しみは覚えたけれど、その地の名所など観光スポットも訪れても良いではないか。
それでこのところは、行ったからには、温泉だけでなく、少しづつ近隣の見知らぬ町を訪れるようにして新たな楽しみを見出している。
これまでは、そのラジウム泉がある増冨ラインという、、山梨県最北部の北杜市の中でも奥秩父に隣接した、地図で言えばいちばん右側、つまり市の東側地域だけしか知らなかった。
まあ、その北杜市なる市も、実は平成の大合併でできた、八ヶ岳南山麓の小さな町や村がいくつも寄せ集まった巨大な市であり、その北杜市の中に、清里から大泉、長坂、小淵沢、白州、そして須玉や明野までそれぞれ特色ある町や村を擁しているのである。
今通っている古民家があるのがその市の東側須玉町の奥まった山郷だったので、どうしてもその地域ばかり、それも韮崎インターから上っていく道ばかり通ってある意味マンネリ化してしまっていたのだった。
そんなこともありこのところは、須玉町の近辺の街々を一つづつ訪れるようにしている。まずはトンネルを越えての隣町、清里に近い高根町、そして一山断崖の向こう側にある、農業の盛んな武川という町へも足伸ばした。
そして先日はようやく、長坂町まで親たちを連れて行き、JR長坂駅前の老舗の寿司屋で、昼飯とって帰宅した次第。魚も野菜もなかなかすべてが新鮮で美味しかった。
山梨へ通うようになり、いちばん驚いたというべきか、新たな発見だったことは、実は山梨は海が近いこと、海産物が豊富だという「事実」であった。
あんな山の中で何で???と県外の方は当然思われるだろう。じっさい北杜市などはもう長野県に隣接していて八ヶ岳山塊と南アルプス、奥秩父の山々に囲まれているのである。しかし、海産物は豊富なのだ。自分も不思議であった。
しかし、地図を見て氷解した。海から遠いと考えるのは、我々が東京から、東京都心の海、東京湾から見て都心から走ってくるから遠いと思うからで、地図で見れば下の駿河湾側、つまり焼津港など静岡側からみれば東京湾よりすぐ近くに海があるのであった。
須玉にせよ韮崎にせよ、東京都心まで100数十キロ離れている。しかし、地図直下の静岡の海からすればその半分ほどの50~60キロしか直線距離では離れていない。むろんまだそこには高速道路はダイレクトにつながっていないし、南アルプスに沿って一般道を海に向かって地図を下っていくから時間はかかるだろうが、それでも東京に行くよりはるかに近いところに海がある。
だからスーパーなどでは、焼津港直送と記してマグロなどが並んでいるし、ここは山の中だという認識なのに、意外に新鮮な海産物がたくさんあるので驚かされるわけだ。
つくづく、その地に来て、体験してみないことには、本当のことは何もわからないのだと思い知った。人はその経験や行動なしに何となくイメージして決めつけていることが多々あるのだと気づかされる。
人は何であれ何となくイメージして、わかった、知っているつもりになっていることが多いのである。
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