レコードプレイヤー再起動2012年04月02日 17時50分01秒

★無頼庵ではレコード芸術を追い求めていく。

 4月に入って第一週、初めの月曜日である。
 社会人や会社勤め、学校関係の方は、年度も変わり慌しくそれぞれ新たな思いや気分に追われていることと想像するが、万年自営業の世間様が見ればセミリタイアしているような自分には新年度になろうが一切関係ないし感慨もわかない。ただ、春四月になったとたん急に慌しくなって今月は土日ごとに出かけるライブやらの用事が入って落ち着かない。たぶんそれは社会人の人たちも同様のはずでこんな自分でも忙しくなっているのだから今思うとやはり3月のうちにイベントがやれて良かったかと思う。

 おかげさまでこのところ老親たちの体調は風邪もひかず良かったので、病院通いの間が空いていた。今日月曜日は、自分の左小指の骨折の経過診断に、一週間ぶりに立川の病院へ行ってきた。ちょうど母も抗がん剤投与のため入院する直前の血液検査の日であった。だもんで午前から親子で病院へ行き昼過ぎに帰ってきた。
 
 自分の方は治療も何もただレントゲンをまた撮って、折れた箇所がずれていないか確認して当て木をした指の包帯を巻きなおすだけ。塗り薬も何もない。一週間ずっと巻きっぱなしの薄黒く汚れてクタクタになった包帯を外してもらい、一度手を石鹸で洗ってからまた新たに包帯を巻かれて一週間後また来いと言われた。それで治療は終わり。

 何だかバカバカしい気もするし、特に痛むわけでもなく包帯を巻かれてギブスされていると左の掌が曲げられず不便なだけだからともかくこれはメンドーだなあという憂鬱気分である。しかし、じっさい伸ばしっぱなしの小指を久々にちょっと折り曲げてみると、もう固まって曲げられないし曲げてもかなり痛む。折れたのは関節の部分の骨だから、確かに折れたまま痛みを堪えて普通の生活しているとそこはヘンなふうに固まってずっと痛いままだろうからギターも弾けなくなると思えてきた。
 リハビリのこともだが、またギターが前のように弾けるのかいちばん不安だが、元に戻るまでかなり時間がかかることだけは間違いなくこりゃ大変だなあと改めて思った。まずは包帯がとれればどれほど気分は楽になるかである。

 さて、このところオープニングイベントも終わってやや時間も出来たので、昨日ずっと懸案だったレコードプレイヤーを屋根裏倉庫から降ろしてアンプとつないで起動させてみた。先日のそのイベントライブのときにレコードをかけられるようにしておくつもりだったが、プレイヤーを据える場所もなくそれどころではないと断念したのだ。ただ、無頼庵が「完成」したときから一日も早くレコードの音楽が流せるようにしたいと考えていた。まずはお客が座れるスペースを作るのが優先され後回しになっていたのである。

 恥ずかしい話、レコードをかけるのはもう10年ぶりぐらいになるかもしれない。家の工事が始まる前、むろんオーディオラックには、カセットデッキ、MD、そしてCDプレイヤーなどと一緒に一番上の棚にDENONのレコードプレイヤーが乗っかっていた。
 が、今思うとその頃はレコードを聴く気分ではないほど家庭内、家中がガタガタゴチャゴチャしていて、音楽なんてほとんど聞かなかったし、聴いてもCDだったりCDラジカセでラジオを流す程度で、レコードは全く聴いていなかったのだ。いや、パソコンが来てからは、もうほとんどパソコン内のプレイヤーで録音したり聴いたりしていたのだった。

 理由はレコード世代ならおわかりかと思うが、レコードをかけるというのはかなり面倒くさいのである。CDならケースから出してプレイヤーに入れてボタンを押せばそれだけですぐ聴ける。手間はほとんどかからない。が、レコードは、まず盤面の埃をとったり、針先を拭いたり、ジャケットから出したり入れたりと聴くにはそれなりの手順が必要なのだ。ある意味、お茶とかお花など茶道、華道のように、落ち着いて心静かに、の様式美の世界なのである。気が急いているときや慌ただしいときは、レコードをかける気分にはなれないし、そんなとき慌てて針を下ろすと手が滑って針とレコードに傷つけたりしてしまう。

 今思うと、前のようなごちゃごちゃした雑然とした片付いていない部屋ではとてもレコードをかける気分にはなれなかった。だからついより簡便なシステムばかりに頼っていたのであろう。そしてようやく今落ち着いて心静かにレコードを聴こうという気分になってきたのだ。

 さて、ではそのレコード、どのぐらい持っているのかというと、三千枚以上としかわからない。自分でもいったい何をどのぐらいあるのか数えたこともないし、今無頼庵の棚に入っているのが全てではない。まだ借りている倉庫の中に箱詰めにしてあるのが山ほどあるし、おそらく全体では万単位にはならないと願うが限りなくそれに近い数のLPがあるのでないかと想像している。
 そしてそれを聴いたのかというと実はほとんど聴いていない。もうずいぶん昔、自分が30代から40代前半にかけての頃、割と硬い仕事に就いて勤め人をやっていた。その頃は一応定収もあったから稼いだ金で、休みごとに都心に出ては同好趣味のニュージーランド人の友人と狂ったように中古レコードを買い漁っていたのだ。数寄屋橋のハンターが当時は健在だったから二人して足繁く通い掘り出しもんを求めて一枚100円のレコード棚を漁っては行くたびに何十枚も買い求めていた。月にすると何百枚である。

 その頃の自分の趣味はオーディオとレコードコレクターで、世界中のへんなレコードを全部集めるというおバカな野望を立てていたのである。その収集熱は、そのガイジンが母国へ帰ったので自然冷めたのだが、自分はモノを捨てない主義なので、今も70年代から80年代の洋楽とジャズ、ラテンを中心にその頃集めたレコードが膨大にある。そしてそこに若いときからのフォークソングや歌謡曲のレコードが加わりその数1万枚に近いのである。話半分に聞いてかまわないが、決して誇張ではない。
《この話もう一回だけ続く》

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