これまでのこと、これからのこと、雑感と報告2012年04月08日 12時10分55秒

これが新顔の黒猫君である。吾輩はもう子猫ではない。
★さすがに疲れでもの憂い日曜である。

 今日は風もなく穏やかなポカポカ陽気。絶好のお花見日和である。桜の木の下で車座になってバカ騒ぎをしたくなくもないが、今の気分はそこまで弛緩してのんびりはとてもできやないし、楽しい愉快なことは昨日の30周年記念パーティだけでもう十分だ。
 
 思えば先年まで狭い庭ではあるが、我が家にも桜の老木があり、毎年春には咲き誇るというほどではないにせよ私的に家で花見ができるほどの花を咲かせていた。が、その木はかなり虫に喰われて、樹勢が弱り幹にも空洞がてきていたので、台風が来たら倒れる、大変だと騒ぐご近所の皆さんの底力で切られてしまったのである。

 先日無頼庵に来られた方々はお気づきになられただろうが、その他、イチョウの高木もウチの庭には聳えている。これも先日のような強風のときは、倒れるのではないかと騒ぐ人たちがご近所には多くいらして毎年秋の落葉も含めてその処置に頭を痛めている。今の人は庭とは、樹木植栽を植える場所ではなく、カーポートだとしか考えていないのであろう。温暖化防止に緑化運動が叫ばれてもまず個人の庭から木々が次々と切られていくのが世相、今の時代ということか。自然というものは市街地、住宅地においては不要無縁のものなのである。

 この数日、老犬の具合が悪く、歳も歳なのでもうこのままダメかもしれないと不安に胸を痛めていた。昨日も西荻でのパーティの間も時どきもしかしたらと胸騒ぎがしてもう一つ心からイベントを楽しめず、心あらずという言葉通りであった。まあ、家にいたとしても特に何かできることはもうないのだから彼女の持っている生命力と天命に任せるしかない。
 一昨日、金曜日の午前にかかりつけの動物病院に行き、診察してもらったのだが、かなりの高齢犬なので、何であれもはや手術もできやしない。熱もやや高かったので抗生物質の注射とビタミン剤の栄養注射を打ってもらい、一日二回飲ませる薬を出してもらった。

 それが効をそうしたか、眠ってばかりなのは相変わらずであるが、お腹も落ち着いて食欲も戻り散歩もよたよたながら近場を周ることはできるようになった。回復の兆しは見えてきたと行ってよいと思えるが、若いときのような元気が戻るはずはない。ついうっかり食べ過ぎるとまた下痢して弱るだろうし、こうして一進一退で徐々に死に向かっていくことは間違いないことだ。動物病院の医師もこの犬種でここまで長生きなのは珍しいと感心するほどの高齢なのである。
 ならば体調の良し悪しで一喜一憂してもしょうがない。と、頭ではわかっていても老親も含めて家庭内に病人がいるときは、気分も沈みあれこれ不安に駆られ落ち着かず何も手に付かなくなってしまう。心配事に囚われてなかなか気持ちが割り切れなくなる。情けないがそれが自分という人間なのだとつくづく嘆ずる。

 このところ火曜日の大嵐の日の荻窪までの車出しや出かける日が続いてさすがに疲労困憊であった。今日日曜はまたそこに友人に頼まれて藤野まで高速道走りオーディオ機材を運ぶ用件があるかもしれなかった。先方の都合でキャンセルとなったが行かずに済んでほっとした。

 先日、近所で保護した迷子の黒い中猫。全然物怖じせず人懐こいので無頼庵オープニングイベントの日も来客方に抱かれていたかと思うが、正式にウチで飼うことにした。雄猫なのでたぶん一年ぐらいでまた家出していなくなってしまう可能性が高いが、それはそれとして、これもまた縁であり、その日まで一緒に暮らせればそれで十分だと覚悟して決めた。名前はまだない。

 明日は左手小指の診察に立川の病院へ行く。早く包帯から開放されたい。

これからのこと2012年04月09日 22時26分36秒

立川の富士塚公園の桜が満開であった。
★暖かさもほどほどであれ

 都内では昨日一昨日の土日が満開のお花見日和であったようだが、うちのほうは東京でも山沿いなのでまだ満開にまで間があるようである。が、今日は穏やかなポカポカ陽気どころか風もなかったせいか陽射しも強く汗ばむほどの陽気で困惑するほどであった。

 ウチの庭は南に面し庭木は新緑がまだ芽吹いていないこともあり、今の季節、午後になるとやたら日当たりが良すぎる。今日の急な暑さに老犬ロビンもハアハア息が荒くなり日向に出していたらぐったりしてしまった。また動物病院に連れて行くことも考えたが、室内に入れて火照った体を冷やし撫でて少し昼寝させたら落ち着いてきて食欲もあったのでやや安堵した。老体には去年今年の厳しい寒さも心配であったが、犬は暑さにもさらに弱いので暖かくなったのは嬉しいがほどほどに留めてほしい。どうやって体調管理に注意していくか今年の夏が早くも思いやられる。

 午前中立川の病院、整形外科に行った。
 またレントゲンを撮り、包帯を巻きなおしただけの「治療」であるが、骨はだいぶくっついてきたものの、ここでまたぶつけたりすると大変だとまだギプスはとれず、もうあと一週間このままだと医師から言われた。もううんざりであるが、ある程度不便さにも慣れたし辛いのはギターが弾けないぐらいのことでともかくあと一週間の我慢ならばとゴールが見えてきた思いでいる。まあ、それから固定され曲がらなくなってしまった小指のリハビリがありそれにどれぐらいかかるのか。元のように動くまで一か月どころではないのかもしれない。悪い方には考えないことにしよう。

 今月は月末に新潟へ行く用事が入っている。6月頭に、京都の老詩人・有馬敲氏の詩朗読と地元ミュージシャンとのコンサートが企画されていて、自分は有馬さんのエージェント的立場でその催しに関わっている。その流れで事前に細かいところを詰められたらと思っている。

 3.24が終わってようやく一段落した気がしたが、どっといくつも懸案のことが押し寄せてきている。もたもたしているとすぐに夏が来て、秋が来てまた冬が来て一年が終わってしまう。あれこれ考えたりぼーとしているヒマはない。
 ともかく立ち止まらずに動きながら考えすべきことを処理していく。そして合間合間にブログで報告し記録し発言していきたい。

すべてを傍ら、平行して合間合間にやっていく2012年04月10日 09時33分37秒

★これまでの生き方ではもはや対応できなくなってきて。

 自分、増坊は本人をご存知の方はおわかりのようにともかく不器用であり、基本的に人より勝っていることや優れているは何一つない。利発な人と比べれば愚鈍の範疇であろう。
 その不器用さとは、じっさい何でもすることすべてが下手くそだということもであるが、まず生き方、考え方そのものが不器用であり、自分でも何でいつもこうなのかと嘆くことばかりである。

 たいがいの人は通常いくつもの顔を持ち、複数の用件、タスクを抱えている。まず会社勤めなどの社会人であり、妻子と暮らす家庭人であり、またその他趣味や交友など私的交際を持つ私人でもあるはずだ。会社で悩みや難題があろうとも家庭に戻れば夫や親の顔と生活があろう。また友人との交友、地域の付き合い、趣味を通しての人間関係もやっているはずだ。人はそれを意識せずとも同時進行的に平行して抱えて暮らしている。その経過の中で問題を処理していく。それが世間の大人、社会人なのである。

 ところが、自分の場合は、常にいつだって一つ一つまず当面、眼前のことしかできやしないし頭にはないのである。例えば、自分が企画したイベントがあれば、そのことを成功させるため寝ても起きてもずっと常に頭の中はそれに囚われてしまう。集中力が強いというわけではない。ただもうその問題事に頭も心もいっぱいになって他のことは何も手につかなくなってしまう。

 そんなとき思うのは、他のこと全てはともかくまずこれが終わってから、であり、眼前の一大事が終わらない限り他のことは何一つしないしできなかったのである。そんな風にして、一点ごと片づけてモノゴトを終わらせてはまた次のことに取り組んできた。
 そのやり方自体が不器用だとも思うし、平行して同時進行で他のこともやれるほど気持ちもオツムも余裕がなかった。下手に他のこともそこに組み込めば、虻蜂取らずの喩えの如く、二兎を追うものはどちらも逃がすのは必定であったからだ。

 そのやり方、人生処方は自分にとって若いときからの習いであり、ダメな人間が失敗少なく生きるにはそれしかありえないと信じていた。いや、選択の以前にそれしかやりようがなかった。つまり愚図でノロマが故に常に一つ一つ片づけていくしかできなかったのだ。それが不器用だということだ。

 が、そのやり方でモノゴトを片づけていくと、常にいつでも目先のことだけに追われてその処理だけであたふたして終わってしまう。ワークス、タスクにはそうした日時が決まって、いわば締め切りのある事柄ばかりではない。中・長期的な課題、すべきこともまた多くある。ただ、それらは不要不急のことでもあるし締め切りがきちんと決まっていないから、何とかしなくちゃと頭の中にはあってもそのための時間がなかなかとれない。生きていくということは常に次々と新たな課題、予定が入って来る。何とかしなくてはならない懸案のことにいつまでたってもとりかかれない。先日も京都の師匠から、お前はちっとも約束を守らない、あれはどないなってんか!とお叱りを受けた。こらちとしては、ともかく3.24が終わらないことには次のことに取り掛かれず、ようやくこれからという気持ちでいたのである。老人は気が短いことをさておいてもこちとらの問題処理方式ではとても向こうのペースには合わせられない。どうしたものか。

 いつかそのうち、まずこれを片づけてから、時間が出来たらと先延ばしにしていくと老い先短い人は逝ってしまうし、自らだって思いを残して果たせずに死ぬことになりかねない。ということは従来のやり方、一つのこと重点処理主義はもうすべきではないと気がついた。このやり方は生きている限り目先のことだけに追われてあたふた慌てふためくばかりで大きな仕事は成しえないと思った。ならば何か方策はあるのか。

 例えば今ある問題、難問題事に追われて頭を悩まし処理に時間を取られていたとしてもモノゴトには必ずどこかにぽっかり空いた時間、待ち時間のようなところがある。用事で人に会いに出かける移動の時間などもそうした時間だろう。一日に限りがあり、やるべきことが多々あるならば、従来のような一点づつ処理していくやり方ではとても追いつかない。そうした空き時間こそ有効活用しないとならない。
 実は今、このブログ、洗濯しながらその合間に数行づつか来たしてはアップしている。洗濯というのは今は機械がやってくれるが、ウチは二層式なので全自動のそれより手間がかかる。基本は側についていなくてはならない。が、すすぎの時間などただ回っている洗濯槽をぼんやり眺めていても時間がもったいない。なのでタイマーを回して一回ごとの洗濯やすすぎの合間ごとに二階に上がってはパソコンに向かいブログを書き足している。
 これの良い点は、ブログの内容をも洗濯しつつ考えられることである。掃除にせよ皿洗いにせよ頭を使わない単純作業はそれをしながら思索もできる。そして空いた時間に考えたことを書き記していけば良い。車の運転などはあまり考えごとに専念してしまうとかなり危険なので運転に集中しないとならないが、存外、家事の大部分はこうして傍ら合間合間に別の作業ができることにようやく気がついた。

 村上春樹はデビュー作を書いていたとき、吉祥寺で個人経営のジャズバーをやって忙しかった。だからその商売の片手間、客待ちの時間が出来たとき合間合間に少しづつ書き続け完成させたので、あの作品はあんな文体になってしまったのだと前にどこかで書いていたのを読んだ記憶がある。

 まだ20代、30代の若者ならともかく、もう自分には時間がない。まして手のかかる老親たちを抱えている。これからは全てのことを傍ら合間合間に少しづつ平行して進めていくしかないのである。やりたいこととやるべきこと、そして残りの持ち時間を考えればもうそれしか手はない。そう、できるときにできることを少しでもやれ、とはどんな成功指南書にも書いてある。バカと鋏、そして時間は使いようなのであった。

何故に原発再稼動ありきなのか2012年04月11日 21時44分47秒

★財界・大企業の男妾野田首相ゆえ原発はなくならない。

 春4月である。例年にない厳冬の間、カラカラに乾き眠っていた大地も春のそぼふる雨に目覚め草木は芽を出し、今葉は落ち枯れたようだった木々には花々が満開である。これから目に鮮やかな新緑の季節となっていく。
 春は全てが新たに、街ゆく人の姿も会社や学校の顔ぶれも気持ちも新しく変わっている。が、この国の政治の世界だけは何一つ変わらず、為政者の意識は3.11の大震災の原発事故前と旧態依然のままである。今政府と内閣は福井県大飯原発の再稼動を急ピッチで進めている。
 まだ福島第二の事故の原因究明も現状確認もできていないうちに、原発には素人である首脳陣だけで勝手な安全基準を設けともかくまず再稼動ありき、と何の安全対策もできていないうちに、まず大飯原発から稼動させ、次いでは他の原発も倣って全ての原発を再稼動させていこうと躍起になっている。
 世の中には原発推進派の方も少なくはないと思うが、今の野田内閣のあまりに拙速な原発再稼動の動きには誰もが違和感と不信感を抱いているはずと思う。いったい彼らをそう駆り立てているのは何なのか。そこにいったい何があるのか。

 このままでは関西地区の今夏の電力不足が心配されるからだという説もある。が、じっさいの話、原発がなくたって、昨年の猛暑も今年の厳冬も計画停電することなくじゅうぶんに電気は足りていたし、大飯なくても節電意識で問題なく乗り切れるはずとの想定もある。大震災直後の関東圏での「計画停電」なる騒動も電力不足の危機を煽るためのヤラセだったと今では思える。まあ、体験した者としてはあの騒ぎがあったおかげで節電意識に多くの利用者が目覚めたことは確かであり、一概に騙されたと憤りはしないが。

 経団連をはじめ財界首脳らは、「原発による安定した電力供給がなければ、生産拠点の海外移転が加速する」と原発の必要性を強く説いている。が、世はいかさまの喩えどおり、それは表向き理由であり、原発は電力会社のみならず利権の温床だからなのだと思える。つまりそこにものすごい金が動く産業なのだ。
 政治の世界は大昔から公共工事の利権を求めて政財官の癒着が問題とされていることは誰だって知っている。田中角栄の日本列島改造論だって、要するに土建屋である彼の企業、関連会社に金が落ちるようなシステムを目論んだものだったし、国策である原発設置には膨大な額の金が闇から闇へと動いていく。

 これまでも多く報道されてきたが、原発のある自治体の首長の親族が多く原発関連会社を運営していたりするのは周知の事実であり、官から電力会社への天下りと御用学者への電力会社からの献金とこの国は地元も含めて政財官一体となってその原発マネーを求めて妄動を繰り広げてきた。大新聞は原発安全神話の宣伝広告費で潤い、原子力の平和利用というバラ色の21世紀を喧伝してきたのである。そしてその金は国民の税金と利用者が払った電気料金だったのである。彼らはその儲けのシステムをなくしたくないからこれからも原発を廃炉にしたくないわけだ。願わくば安全性をさらに高めて増設を目論んでいる。何しろ原発工事は最も儲かる輸出産業でもあるのだから。
 
 今そうした電力会社から多額の献金を受けていた政治家たちが、国民の間で高まっている「脱原発」意識を阻止して沈静化させようと躍起になっている。それを後押しするのが大企業であり、霞ヶ関の官僚たちで、彼らは一丸となって野田首相の尻を叩いているというのが今回の「なにはともあれ、まず再稼動ありき」なのだと見えてくる。

 一度事故が起これば地球規模で長期に渡る大被害をもたらす原発の問題こそ一部の政治家達だけで拙速に結論を出すべきことではないだろうし、やがてはドイツのように国民投票で、撤退か再稼動か賛否をとるのが本来の筋だと考える。何にせよ、マニフェストを全く守らなかった現在の民主党とその政権には国民は呆れ果て誰一人信託していないのである。

 それにつけても思い出すのは、昔、故青島幸男がまだ元気がよく権力側に立つ以前、参議院議員としてリベラルであった頃、時の首相、佐藤栄作をつかまえて、「財界の男メカケ」と呼んで騒動になったことがあった。今の政治家はごく一部の人たち、企業献金を受け取らない共産党らを除けばほとんど全員が財界、大企業のメカケであり、国民の生活や命の安全のことより財界の顔色を常に窺っている。

 そういえば、大昔、O映画という映画会社の社長が、そこの映画女優をメカケにしていたというスキャンダルがあったことも思い出す。そのときの社長の名言が効いている。「女優をメカケにしたんじゃない。元々メカケだった女を女優にしたのだ」と。その伝で言えば、松下政経塾出身の野田総理も「総理が財界の男メカケになったんじゃない。財界の男メカケがたまたま総理になったのだ」と言えよう。
 こんな政治家たちに政治を任せている限り、原発は絶対になくならない。野田内閣よ、消費税増税と原発再稼動の是非をまず選挙で国民に問え、すべてはその結果から始まる。

民は生かさず殺さず目覚めさせず2012年04月12日 08時29分25秒

★いつの時代も民はずっと騙され続けてきた。

 雨上がりの爽やかな気持ちの良い朝である。吹く風も心地良い。
 
 このところつくづく思うは、原発の問題にせよ消費税増税にせよ、TPP参加にせよ、米軍基地の問題にしろ全ては全く同じ構図であり同根のところから発しているということだ。それは一言でいってしまえば、ごく一部の支配層、富裕層、権力者たちが一般国民を騙して搾取して甘い汁をしゃぶり続け決して手放すことはないというとだ。

 彼らは大新聞、テレビ局などのメディアを手中に収めているから、政府、権力者側、大企業の立場に立った情報を流し続ける。曰く、原発がなくなったらこの国は大変だ、消費税を今すぐ上げないと日本は破産する、米軍基地がないと北の脅威に備えられない、グローバルスタンダードな市場開放は世界の流れだ、バスに乗り遅れるなと。彼らの手先である政治家は国のため国民のためこうしたことを不退転の決意でやり遂げるといつだって威勢が良い。

 だがこれらは全てマヤカシであり、国民のため我が国の将来のためと言うのは表向き口実であり、本音は彼ら大企業の一族と高級官僚も含めた富裕層、支配者層の権益維持のための方便に過ぎない。
 フクシマの原発事故は、本来なくたって困ることはないのに危険な原発を狭い国土に54基も建設した巨額の原発マネーに群がるそんな金の亡者たちの姿を白日の下に曝し出した。彼らはこれからも利権を求めて一度得たウマミは決して手放したくないが故あらゆる手を尽くして再稼動キャンペーンを張っていく。

 そして愚直な国民は原発に拠る電気の安定供給がないとこの国の産業は衰退する、消費税を上げないと社会保障、福祉は後退すると信じ込まされていく。占領下に近しい特権を与えている米軍基地と安保条約がなくなるとこの国の平和と安全は保たれないと。

 何にせよ大変な時代である今日、国民は痛みを分かち合わねばならないという意見は一見識ではある。が、つまるところそうした痛みが最も圧し掛かるのは、国民の中でも貧困層、老人や非正規雇用者、障害者など弱者であり、都市に住む者よりただでさえ不便を強いられている地方の人たち、オキナワそしてフクシマの民なのである。都市の高級マンションや豪邸に住む富裕層、支配者層のやつらは消費税がどれほど上がろうと痛くもかゆくもない。東電の宣伝広告費も利用者の支払った電気料金に織り込まれていたように、彼らは自らは自腹切ることなく民から搾り取れるだけ絞ってその上前を懐に入れていく。そして常に地方に都市の繁栄のツケを押し付けていく。

 もういい加減にこうしたイカサマの構図、権力者、つまりごく一部の支配者層が栄え貧しい弱者たちにツケを回すシステムから脱却しなければならない、そのときが来ようとしている。中南米や中東であればとっくに革命が起きてもおかしくないほどこの国も貧富の差が拡大している。その不満が、地下水脈のようにじわじわと広がり権益破壊を公言するデカイ声の持ち主であるファシストたちに集約していく。だが、大阪の独裁者がこの国の権力を手にしたところで政治も暮らしも絶対に良くならない。彼が目論むことは権益を自らの手中に収めることなのである。

 政治とは日々の暮らしの繁栄であり、誰かに人任せにすべきことであってはならない。当事者である民がまずこれまでずっと騙されていたことに気づき政治を自らの手に取り戻すべくアクションを起こすことがスタートなのだと思う。自分もまたずっと無関心に政治家たちに人任せにして来てしまった。その結果が3.11の大災害に至っている。目覚めよ、悔い改めよ、とはまず自らに叫びたい。

せめてもう少し食えるようになりたい。2012年04月14日 05時16分26秒

★くえないのが当たり前なのか。

 外は雨が降っている。夜が白み出した。
 このところ何故か起きるのがやたら早く、必ず明け方、それもまだ暗いうちに目覚めてしまう。それは何時に寝ても同じで、それからあまりに早いのでベッドの中で本を開いたりしているうちにまた再び少し眠ることもあるが、そのままもう眠れないときも多く、睡眠が満たせず何だか一日中ぼーとしている。友人の言を借りれば、「歳をとってくると眠るのにも体力がいる」とのことだから、自分もその睡眠力がなくなってきたのかと嘆ずる。

 土曜日である。きょうは午後から都心を抜けてスカイツリーの見える両国フォークロアセンターへ行く。若い友人の企画した音楽企画があり、応援をかねて参加する。それが何時に終わるかわからないが、帰りには吉祥寺で友人のシンガーのソロライブにも顔を出す予定でいる。明日は女友達の個展の搬入。

 4月に入ってから急にあれこれやたら忙しくなってきて、気がつけばもう半ばである。出かけたり人と会う用事が続いて出費も続いて金の工面で頭を痛めている。金がないのは毎度のことではあるけれど、実はこのところアマゾンで円高で値崩れを起こしている洋楽CDのボックスセットを買いまくったりとつい物欲に負けてカードで簡単に買ってしまい後でその支払いに首が回らないのである。そこに出かけたり人と会う用件も続き金が尽きた。

 もともとほとんど稼いでいないのだからその入って来る金の枠内でつましくやりくりしていけば問題はなかった。だのに、今年に入ってからカード支払いで毎月引き落としされる額がかなりの金額になって、金をかき集めてそれを振り込むと手元には金がほとんど残らない。仕方なくまたカードで購入するという悪循環。これもまた自転車操業かと思えるが、いつになれば抜け出せるのか。

 タカダワタル的、ということではないが、自分の場合、若いときから周りに貧乏な人、それも音楽や芸術とか好き勝手な生き方をして結句食えない人がやたらいて、そうした人を見、倣い自分もずっと生きてきたから、「貧乏、くえないのが当たり前」だと自然に思っていた。いや、信じてきていた。だが、さすがにこのところこの歳までずっと貧乏をしていると先行きのこともつい早く起きた明け方などはマジマジと考えてしまうし、何とかならないものか、何とかせねばと自分でも少しは思うようになった。こんなジジイが何を今さらの恥ずかしい話であるが。

 そしてふと気づいたのが、そもそも「貧乏なのは当たり前」「食えない事をやっているのだからくえないのは当然」というテーゼ自体が間違いなのではないかと思えてきた。モノゴトには結果としてのことと目標設定とすべきことはむろん違う。貧乏とか、何かをやって成功しない、それでは食えないと言うことは事実であってもそれはやってみた結果である。自分も音楽企画などに関わってそのことを痛感したが、そこには真剣に食えるための努力はしたのだろうか。食えないことが当たり前だと最初から諦観して、どうせ売れないだろう、客は来ないだろう、それが当たり前、仕方ないと安易に考えていなかったか。

 あまりに若いときからそうした食えない人たちばかり見てきたがため、自分もまたそれが当然だと意識の中に刷り込まれ、だから自腹切って始末つけるということを当たり前だと信じてきたが、それだとますますもって食えなくなる。最近そうも気づいた。じっさい周囲には好きなミュージシャンを招きライブの企画しても客が入らないことを前提に常に経費など自腹切る覚悟で続けている人が多くいる。貧乏な音楽家を支える意義ある行為だとしても世間的にはそれは道楽だととらえるだろう。それは芸術家にとっては救いや助けにはなるけれども・・・。

 確かに今も昔も何であれ芸術に関係したことは基本的にくえないし、儲かるのはほんの一部の運良くマスコミに取上げられた者だけで、ほぼ大部分は今も昔もカツカツの生活を送っている。好きなそれだけでは食えないのでたいていはバイトや別な本業を持っている。今や年配のミュージシャンは子育てにも解放されたのでようやく自由に趣味としての音楽活動に戻れたと述懐している人もいた。

 そうした人たちと若いときから知り合い、気がつけば似たようなことをずっとやっている自分なわけで、食えないのは当然だという真理は確かに不変に存在しているのは間違いないが、だからといって泰然自若としてはいられないほど切迫困窮してくるとそれで良いのか、と思う。最初からそう考えて肯定し妥協している限り、どんなときも結果はそうなるのではないだろうか。運良くマスコミに取上げられブレイクすることももしかしたらあるかもしれない。良いか悪いかは別として。結果は見えていてもそれを良しとすべきでないならもっともっと何か努力の余地はあるはずだ。

 これからまた忙しくなっていく。今思うのは、食えないのは仕方ないとしても最低限、経費だけはペイできるように持っていかないとならない。もう何かをやるごとにどんどん貧乏になっていく悪循環から脱したい。せめて損しないようにありたい。このご時世、儲からないのは当然仕方ないとしても自腹切って続けていけば早晩自らが破産してもうどうにも何も出来なくなってしまう。食えないのが当たり前などと達観、諦観する以前にもっともっと必死に努力すべきことはいっぱいある。

 馬鹿で愚かな自分もさすがにやっとそうしたことに考えが思い至る。貧乏は当たり前だと思っている限り貧乏から抜け出せない。結果を最初から決めつけてはならないのだ。まずは食えるように、少しでも食えるように願ってやっていく。

改めて「若いってすばらしい」2012年04月15日 07時21分04秒

★あれもこれもできないがあれもこれも平行してやっていく。

 また朝早く起きてしまった。寝不足で脳内の奥の方が鈍く痺れたように痛い。
 お知らせしたように、ウチに新顔黒猫が来て、毎晩ベッドに入ってきたり一眠りすると出て行ったりとこちとらの眠りを妨げる。昨晩も遅く家に帰り、疲れてすぐ寝ようとしたら、どうやらこちらを待ちかねていたらしく二階に上がってきては餌をねだった挙句、下で与えたらまた再度上がってきてしばらくベッドの上でうろうろしてようやく布団の中で眠った。

 増坊は、猫好き派ではなく基本は犬一筋なんで、猫と一緒に寝たことはないし、いや、そもそも他人とベッドを共有した経験はほとんどないので、傍らに「異物」がいるとともかく落ち着いて深く眠れない。洋画などだとダブルベッドで背中合わせで眠っている夫婦が描かれるが、人はそんなふうに側に他人がいてもぐっすり眠れるものなのだろうか。
 さておき猫のことだから、一眠りすると起きて下へ降りていってほっとしたらまた朝方上がってきてしまいまた起こされて、もうそれからは眠れず、メール打ったりして朝になってしまった。猫はかわいくなくはないがこいつは甘えんほう過ぎて困り者なのである。

 増坊は自分のペースで自分のことを中心にゆっくり静かに生きていたいと願うのだが、何故かこのところまたやたら人からの用事が増えて、いったいどうしたものかと案じている。むろん、人から求められ、またお世話になった義理もあればそれを返すのはやぶさかではない。が、いろんな用件が続いて、そのどれもすべきことであるとしだいにじぶんの時間はなくなっていく。まあ、こんな人間でも頼られ求められているうちが花であり、下手すれば誰からも相手にされなくなっていくのが必然ならば、そうした求めを拒むほどゴーマンであってはならないとも思える。

 今日は近所のなくなった方の蔵書整理・引取り、それから女友達まあたんの国分寺の喫茶店での個展の搬入。戻ったら続きを書き足したい。でないと何でこのタイトルなのか読んでくれた方はわからない。


 と、10時頃戻ってこれた。
 連日出かける用事が続き、疲労と睡眠不足でぼーとしているが、疲労もある程度のレベルを超すと逆にハイになってくるもので、個展搬入の後に打ち上げで作者を中心に5人で中華を食べバカ話に盛り上がったせいか萎え気味だった気分は引き戻された。気分と言うものは落ち込んだときこそ人と会い一時でも悩みから離れれば憂鬱気分も軽くなるものだと気づかされた。

 昨日は、夕刻から掛け持ちで若き友のライブイベントに二件顔出して午前様で帰って来て遅く寝たのに今朝はまた早朝に起きてしまった。明日は小指の骨折を診てもらいに10時に立川へ行かねばならない。ブログの続きを続けて書くつもりだったが、もう今日のところは限界、ここまでにしておいたほうが良いようだ。ともかくぐっすり眠りたい。猫今晩こそ来ないでください。

若いって素晴らしいって思ったこと2012年04月16日 13時54分37秒

★4/14.若き友人の企画したワークショップに参加して@両国フォークロアセンター。

 その若き友、Y君の企画した催しは、彼の友人知人たちが多くかけつけて、センター一階のギャラリーはほぼ満席となる大盛況となった。ただ率直な感想を記すと、全体としてやや緩すぎて決してルーズではないけれどユルユルのんびりとした進行で、意図したものか行き当たりばったりであった。自分としては来られた方々は満足されたか危ぶむところもあった。まあ、それはそれでのんびりできたしその時間の中でいろい考え得る所も大であったので参加して良かった。

 良い悪いではなく、自分が企画するライブイベントは常に過剰なぐらい細かく事前に細部を詰めている。いや、あれこれ考えている。そんなことはないだろうと反論もあるかと思うが、小心かつ不安神経症的要素も多分にある者は、何も決めていない時間、空間は怖くて不安でたまらない。だからついついできるだけあれもこれもと詰め込んでおく。結果、時間的にいっぱいになってしまい、あたふた最後は追われてしまう。なんでいつもそうなるのか。

 もっとのんびりY君のようにゆるゆるやっていきたいと思う。が、何故か自分の企画、やっていることはいつも慌しくパニック気味である。一つに先に書いた小心者ゆえ事前に計画立てて想定しておかないと失敗しそうでつい焦る。それは愚図で無能だからこそ行き当たりばったりで臨めば間違いなく失敗するのは必定だからだ。その上大人恐怖症でもある。人前で何かをやるのは常にパニック心理なのである。そうした性格的なことも大きいが、やはり自分が彼の親ほどの世代、歳をとっているからだろう。

 老人はせっかちだと、最近老親にせよ八十代の人たちとふれあうとつくづく思う。あれはどうなんってんや、と愚図でノロマな自分は常に急かされ尻を叩かれている。そのときのこちらはのんびり側であり、矛盾しているように自分でも思うがその心理は如実にわかる。つまり残された時間が短いからなのだ。
 それもまた個々の性格もあろう。が、もう自分には時間がないという焦り不安感はこんな自分でも強く持つようになった。友人知人はどんどん死んでいく。のんびりダラダラしているのは時間の浪費であり、時間がもったいない。

 つまるところ二十代の人と五十代の自分と時間に対する感覚は全く違う。若くても昔の肺結核に病む芸術家は死を意識してとてものんびなんかできなかっただろうが、今の若者、若いときはまだたっぷり時間がある。何でもできるしどこへでもふらっと気軽に出かけられる。

 そのY君は近くアジアへ、ほとんど無計画に、現地でどうするか決めるというようなスタイルで期間も定めず放浪の旅に出る。また、やはりもう一人の若き友Ⅰ君も今は中国へ旅立ってしまった。実に羨ましい。
 自分も旅に憧れ、三十代の頃は西欧を何回かぶらぶらしていたこともあったが、もう今では一週間の海外旅行だって不可能である。それは老いた家族、人も犬も猫もたくさん抱えているからで、そんなふうに気軽身軽に計画もろくにたてず国内だって出かけることはもはや難しい。
 誰か、留守を託す人がいればできなくもないが、やはりもう今は体力気力共に失せてしまい、夢は曠野を駆け巡るという心境である。

 若いってすばらしい。金はなくても時間と体力そして気力も充実している。今思えばもっと若いとき、親達が元気で手も掛らなかったころ、世界のあちこちを自分の足で歩いてみたかった。今からでも遅くはないのかもしれないが、ともかく今はその時間がとれやしないのである。

 若者よ、書を捨て、旅に出よ。

両手が使える。あたりまえのことが有り難い。2012年04月16日 13時56分18秒

★三週間ぶりに左手の包帯がとれた。

 当たり前のことが何かの原因で当たり前でなくなると当たり前だと思っていたことが実はとても有り難いことだと気がつく。

 ようやく左手の包帯が今日とれた。3月24日の朝、ウチでやるオープニングパーティーの準備の最中、慌てふためいてたぶん本の束を抱えてよろめいて左手の小指、二つ目の関節をしたたかどこかにぶつけたかしたのだろう。むろんすごく痛かったが、すぐにどす黒くパンパンに腫れた。まあ、イベントはともかく無事に終わり、翌日は日曜だったので月曜日の朝、友人達の忠告を受けてやっと立川の総合病院の整形科に行った。
 レントゲン撮ったらやはり関節の部分が欠けたように折れていて、台木を当てられて曲がらぬよう固定されて、小指だけだとすぐに包帯は抜けてしまうので手の平まで他の指だけ出して包帯を巻かれたのだ。そして一週間ごと月曜に整形に通ってはレントゲンを撮り、また包帯を巻きなおして三週間。ようやっと今日で包帯はとれた。

 医師からは骨はほぼくっついたがまだ力入れたり無理して曲げようとせず少しづつ曲げて行け、来週また見せに来いとのことで、再度ぶつけないよう気をつけねばならない。まだ正直すこし痛いし拳骨をつくるようなコブシを握ることは痛くてできないが、久々に素手とになった自分の両の手をまじまじと見て動かしているだけですごく嬉しい。
 包帯を巻いていると洗濯や洗いもの、風呂など水仕事はとても気を使うし、何より頭髪もだが顔さえ落ち着いてしっかり洗えない。先ほど洗面所で掌に水を受けてゴシゴシと思う存分顔を洗いすっきりした。本当に嬉しい。有り難い。今気分は昂揚している。

 自分はこれまでうんと子供の頃足の骨を折った記憶はあるが、大人になってからは捻挫程度は数多くてもきちんと固定するほどの骨折はほとんどなく、バカだからよく転んだり躓いたり痛い思いは始終していても医者などにはまずかからず、今回のようにきちんと医師にかかってその言いつけを守ったことは久々であった。たった三週間でとことんうんざりした。
 よく交通事故などで全治三ヶ月なんてよく聞くけれど、じっさいそんな長期間ギプスを巻かれて包帯だらけにされて松葉杖などを使わねばならない不便な生活をした人ならたかが小指1本とお笑いになるだろう。本当に大変なこととはそうした大怪我だと思うけれど、自分としては今回得がたい経験をしたと思える。

 たいがいいつもなら医者にかかることなく、痛いのをガマンしつつ生活を続けやがて自然に何とか治っていくかと思える。が、やはりきちんと専門家の診断を仰がないと、けっきょく後々本当に治ったことにはならない。というのは、もう一昨年、2010年の6月頃、雨の日に自転車で転んだ右の膝は今もときどき季節の変わり目や歩きすぎたり無理するとすぐに痛くなる。膝をついたりヘンな格好をすると今でさえかなり痛いので、きっと小さな軟骨が折れていたのだと今にして思える。
 そのときはともかく忙しくて大きなライブイベントを抱えていて医者などに通う時間が全くなくガマンしてしまったのだ。今とても後悔している。たぶん、この膝は死ぬまで痛いままでもっと歳とると致命傷になり歩けなくなるかもしれない。

 今回の左手の小指もいつもの自分ならきっと医者にはかからなかった。ただ、ギターが弾けなくなると困ると思ったことと友人たちから早く医者に行かないと大変だとアドバイス受けて慌てて行ったのだ。医師からもきちんと折れたところがくっつかないと後で手術することになって大変だぞと脅かされた。

 たかが小指、されど小指である。これから少しづつ動かしていき、ギターも弾いていく。実はギプスのときから動かせる他の指だけでギターは少しは弾いていた。ただ、押さえられるコードはAm、Dm、Eのスリーコードぐらいで、セブンスはむろんできないし、FところかGだって押さえられない。ということはできる曲は三上寛ぐらいしかなく、それでは夢は夜だって開かない。

 人生これからだと言うには大袈裟だが、でもマジにそんな気持ちで今はいる。そう、これからギター人生が再起動である。

民主党に政治を任せ原発再稼動なら日本は集団自殺2012年04月16日 21時11分39秒

★バカも極まり民主党仙谷氏。

 仙谷氏講演で曰く
「原発を直ちに止めた場合、日本の経済と生活がどうなるのか考えておかないとこれは日本がある意味集団自殺するようなものになってしまうのではないか」。

 原発がなくたってこの国はちっとも困ってなんかいない。再稼動を望むのはそこに利権がらみの原発マネーに群がる怪しい輩だけであり、そのウマミが永遠に続くことを願って何がなんでも原発を動かし続けていかねばと電力会社等から多額の政治献金を受けた政治家たちは妄動している。そこには国民の暮らしと安全を守る政治家としての責務と責任感は露ほどもない。あるのは、大企業と官僚の思惑だけ。彼らの利権と自らの保身だけで今の民主党は動いている。それは原発をずっと推進してきた政党自民党も全く同じ。

 このまま彼らにこの国の政治を任せておけば、本当に大変なことになる。国民のどれだけの人が原発再稼動を求めているのか。本当にこの国に原発はこれからも必要なのか。その議論も民意の集約もないまま原発稼動へ政治は邁進している。
 現実の話、原発一つしか動かなくても国民生活が出来ているならば、なぜ安全性が確保されない原発を稼動させないとならないのか。誰かきちんと納得のいく説明を政治家はすべきであろう。ただこのままだと大変だ、夏場は電力が不足すると煽り立てるだけではなく、本当にそうなるのか、まず原発再稼動からではなく、対案、対策の議論を深め国家を挙げエネルギーのこれからを考えていくことからすべきではないのか。なぜ今すぐできるだけ早く再稼動!?  そして原発が一つ停まっただけでこの国は集団自殺!?  この国はそこまで瀕死の瀬戸際か。

 もしそうなると本気で考えるならまずきちんと一度選挙でそのことを訴えて民意を問え。今の段階で安全性と必要性が確保されたと信ずる者は民主党に一票を投ぜよ。少なくとも原発が全て停まっても自殺する国民は一人もいるものか。それを嘆くのは原発マネーで甘い汁を吸っている輩だけだろうが。

 地震多発国日本、この国がこのまま従来の規制と対策だけで新たに規制監視する官庁も組織もできてないまま老朽化した原発を次々稼動させていくことこそ集団自殺行為だと考えるのは俺だけか。