どんなときでも唄い続けていくことの大事さ2012年09月07日 20時09分14秒

★2012年9/6日、ウッドストックカフェでのさかうえけんいち、瀬戸口 修そして鎌倉 研のライブを観て
※前回の続き

 今回、「良縁」と題された彼ら三人男のライブ、自分はこの夏、津のええかげん祭りに行ったとき、カマケン氏からチラシを渡され誘われていた。そしてわざわざ東京に彼らが来るのだから何としても行かねばとカレンダーに印をつけていた。何しろなかなか観られない大好きな三人が一同に会するのである。

 会場となったウッドストック・カフェは名前は知っていたが入ったのは初めてだった。決して広くはないがなかなかセンス良く初対面でもマスターとも気が合い落ち着ける良いお店でほぼ超満席の入りである。
 ライブはオープニングアクトに小山トシヒロが数曲、そして鎌倉研、瀬戸口修、そしてさかうえけんいちという順で休憩を挟みつつ進んでいった。最後に三人男で、「生活の柄」で〆たのだが、津のええかげんでは観れない姿も垣間見れて十二分に楽しめた。

 瀬戸口さんは、能ある鷹の喩えのごとく実はこれまで自分は知らなかったフィンガーピッキングの達人であることが今回確かめられたし、いつもの達者な語りにやや元気がなかった気がしたカマケン氏もうたい出せば確かな唄をしっかり聴かせてくれたし、決して体調はすぐれないだろうにトリのさかうえさんも健在ぶりをしっかっと示してくれた。三者三様それぞれの持ち味をしっかり出して文句の言いようもない。特にさかうえさんのうたには毎度ながら深い感銘を受けた。心が震えた。そしてこう思った。

 生きることも含めてどんなことでもどんなときでも続けていくこと。
 彼らはデビューの頃から決して恵まれはしなかったが、どんな苦難の時代でもともかくうたを続けてきた。それは努力とかいう手垢のついたありきたりの言葉で語られない。カタチのない、見えないうたというもの、うたをずっと思い続け追い求める「執念」とも言って良い。その結果、今ここがあり、彼らのうたはその思いが結実したものなのだとわかった。それは彼らに対する宝物でありご褒美であろう。彼らのうたは深く重く、確かでしっかりとして動じない。そして他の人には代えられない。それぞれが独自の芳醇とした匂いを放っている。派手さはないが確かな光を放つ。これこそが本物のうただと思い至った。

 さかうえけんいち、瀬戸口修、そして鎌倉研という音楽も人柄も特別なうたい手たちと知り合えた光栄に感謝したい。まさに「良縁」であった。どうかこれからも元気で長く唄い続けてください。彼らが唄い続けていく限り自分もまた聴き続けていく。

 約束の地にたどり着いた者はそのときどんなうたを唄うのか。さかうえさんの切々としみじみした歌声を聴きながらそんなことを考えた。