変わり目、潮時2012年09月08日 23時31分04秒

★すべてが移り変わりゆく

 昨日は久々に「社員」を呼んで溜まった雑本の移動や倉庫の片づけなど作業をした。その後、ウチの親たちも一緒に車で福生のビール小屋へ初めて出向き、そこの自家製生ビールを呑んで社員の長年の労をねぎらった。

 前にちょっと書き記したことだが、社員は夏前にウチに来たとき、増坊の母に頼まれ庭先の塀に上り、松の枝の剪定をしようとしてバランスを崩し道路に頭から転落した。
 そしてその後、外傷性くも膜下出血で入退院を繰り返し、一時は失語症状態にもなり、後遺症が案じられた時期もあったが、幸いにしてそれもほぼ回復、久方ぶりにウチに作業の手伝いに来たのだった。
 ただ、けっきょく、今回のケガをきっかけとして、彼は学生時代より実に30数年来ずっと住み続けた世田谷の下宿、トイレ台所共同の四畳半を引き払い実家である茨城県笠間に完全に居を移すことになった。
 
 先年、彼の父が亡くなり、今は実家には老母が一人で暮らしているので、この数年は世田谷と笠間を月に数回行ったり来たりの生活をしていた。基本的にぶらぶらしていたので、東京にいるときにウチに招いては増坊宅の作業を手伝ってもらっていたのである。ウチの家づくりにも大いに尽力してもらった。彼とは学生の頃からの腐れ縁である。

 30数年の付き合いある親友であり 「社員」として、これまで昼飯と仕事後の慰労の酒だけでお気軽に使ってきたわけだったが、これからはそう気安くウチに来いとは呼べなくなる。笠間は近県とはいえ電車代が往復すると5千円以上かかるし移動時間も早くて片道2時間。四畳半でも東京には住まいがなくなるのだから日帰りはしんどいだろうし来たときはウチに泊まってもらうことになる。となると月に一度来てもらえるかどうかだ。むろん交通費はこちらで出すとして。

 自分たちは、この家が改築となる前から旧い家の解体、そして増改築後も内装の床や壁の塗りなども二人でずっとだらだらやってきた。多いときは月に五日も六日も来てもらった。二人とも昔から相も変わらずバカだったから何も考えずにいつまでもそんなふうに「社員」として関係が続くものだと思っていた。しかし、あの転落事故を契機についにその関係も終わることになったのだ。

 考えてみれば、もうそろそろ、どころかとっくに潮時だったのである。親はいつまでも元気で生きているものではないし、そろそろ居を定め、腰を据えて老母と生きねばならなかったのだ。バカな独身の男同士、ずっと学生気分のまま何も考えずにバカなことをやり続けてきた。あの転落事故がなければまだそれももう少しは続いていたはずだとも思うが、何にせよ老親たちは彼のもウチのもさらに弱って来るだろうしそんな風にふらふらブラブラ暮らしていけるはずもなかった。

 久々に溜まった本や雑誌を二階から抱え下ろして、車に積み込み、またそれを近くの倉庫へ運び入れ、ついでに倉庫の中の本の山も積み直したりメンテナンスもして、さらには先日近所からもらったガラス戸付の本棚もきちんと設置したりと二人で懸案の作業がずいぶん進んだ。数か月ぶりの力仕事をしたせいか、今日は節々が痛いどころか頭痛もする軽い熱射病状態で気分もすぐれず午後はずっと夕刻まで寝てしまった。
 昨日も今日も残暑が厳しかったこともあるが、自分の体も前に比べてずいぶん疲れやすくなったとつくづく思う。前はずいぶん無理もしたし無理がきいた。この肉体もまた潮時、老人への変わり目なのかと思う。すべてが移り変わっていく。

 年貢の納め時という言葉がある。確かにそう思わなくもないが、ではいったい誰に年貢を納めるのだろうか。その年貢も増税となっていくのだろうか。まっ、ともかくこの変わり目の時をうまく乗り切らねばならない。これからおひとり様の老後が待っている。いかに無理はせずに疲れはためず効率よくやるべきことをやっていくかだ。