古本稼業と本の話、追記。2012年09月23日 11時45分15秒

★この時代の流れをどう考えたらよいのか・・・

 雨は降り出したらやまない。昨夜、10時過ぎ帰宅した頃から降り出した雨は、時に不安な心地にさせるほど激しくそのままやまずに今も音立てて降り続いている。
 夏の間はほとんど雨らしい雨は降らなかったのに、振り出すと止まらない。おまけに薄ら寒く、早くも暖房が恋しくなったと親たちは騒いでいる。こうして一雨ごとに秋は深まり季節は冬へと寒くなっていく。

 降る雨の音しかしない静かな日曜日である。昨晩のことも含めて様々な思いがわいてくる。

 まず昨日まで古本稼業について書いたことの補足。

 街の本屋が潰れていくのは、本を読む人が少なくなって本が売れなくなったからだと書いた。が、それ以上に本屋で「本が売れない」のは、いちばんの理由があった。自分も含め今の人はネットで、アマゾンなどのショッピングサイトから注文してしまうからだ。うっかり肝心なことを失念していた。まったく自分は考えが浅い。お恥ずかしい限りだ。バカなのである。

 それはCDなど音楽ソフト、オーディオ、カメラなども同じことで、たぶん食品、ときに衣類だって通販で購うのであった。じっさい自分もまた今では音楽ソフト、DVDなども主にアマゾンを利用してそこから買っている。
 考えれば、書店やレコード屋に行き、本やCDを直接レジで買ったのはいつのことだろうか。そのくせ、本屋など小売店が潰れていくのを嘆くとは欺瞞甚だしい。恥ずかしく思う。情けないかぎりだ。

 では何でお店で買わずネットを利用してしまうのか。いちばんは出かけず済み楽だということだろう。居ながらして注文すればすぐに家まで届けてくれる。しかしそれよりも自分は店で買うより安いからアマゾンなどを利用してしまうのだ。特に音楽CD の輸入盤などは。今ではベスト盤的なものは大概どれも二枚組700円、3枚組900円程度で手に入る。むろん送料もかからない。だからこのところブルースやカントリー、ジャズなど洋楽の旧いものをかなり注文してしまった。どこの店で買ったとしてもそんな安くはどこにも売っていない。

 では何でそんな破格の廉価で売れるかというと、今は円高ということもあるが、そんなことよりアマゾンは実店舗を持っていないからだ。繁華街に展開している大手のレコードチェーンは皆店舗代と店員に人件費を支払って店を維持している。つまりその分の経費が商品に加算されている。だが、アマゾンではまず店舗にかける費用が不要だし人件費もほとんどかからない。全てはコンピュータのシステムが対応して、せいぜい市川だかどこかにある巨大倉庫から人間?が注文商品を探しては発送するだけだ。いや、それだってとことん機械化されて手仕事など実はどこにもないのかもしれない。そういう時代なのだ。

 今はテレビショッピングも含めて、カタログ誌などの通販が大流行である。それでは誰も町のお店などには向かわない。ヨーカードーなどでは、新聞広告のチラシにある商品をそのまま家まで配達してくれるサービスを始めた。生協などの宅配もあるし、これでは誰も街に出て買い物などすることはしなくなる。そうしないで済むのである。

 町の小売店は豆腐屋もパン屋も肉屋も酒屋も本屋も電気屋もほとんど全て姿を消した。駅前にあるのは、パチンコ屋とチェーンの居酒屋、そしてラーメン屋、牛丼などのファーストチェーン、それにコンビニだけである。
 今ではちょっとした日用品ならほぼ何でもコンビニで手に入る。それはネットより気軽で早く便利である。酒でも雑誌も弁当も。一人暮らしの者にとってはローソンのような100円で食品も買えるコンビには実に有り難い。これを良い時代と考えるか。それとも間違った不幸なことと考えるか。正直なところアマゾンに深く依存している自分には答えが出せない。

 Amazon.co.jp から送られてくるメールには末尾に常にこう記されている。
 地球上で最大級の品ぞろえ  と。確かに何でもそこにはある。何でも扱っている。ないものはないと謳っている。だが、そこには人類が求めてやまない肝心要のものがない。それは何かは記す必要はないだろう。