漠然とした不安と違和感と・・・ ― 2013年09月10日 06時17分18秒

★東京オリンピック決定狂騒に感じたこと アクセスランキング: 168位
自分は元より天邪鬼であり、世間の人たちとは常に相容れない考えと立場に身を置く者と自認していたが、日曜早朝の2020年オリンピック東京決定の報からあけて一日、この国はその喜びに包まれ大騒ぎ、それを見て何だか内田百閒先生的に言えば、気持ちはむにゃむにゃしている。どうしても大喜びする人たちの立場に同感同調できない。早くも「オリンピックはもういいよ」である。
株価もGDPもまた上がったし、経済に弾みもついて良いことばかりではないかと思う。一説に、このオリンピックで3兆円の経済波及効果があると誰かが語っていた。テレビで見る限り街の人たちはその誰もが良かった、よかったと大喜びである。自分も一緒に喜びたいし喜ばないとならないのかと自問する。しかしその人々の喜色満面、狂騒的喜びを見るたびにますます醒めていく自分がいる。
今の気分は逆に、これでますますこの国は自分が望まぬ恐れていた方向に進むのではないかと危惧というか漠然とした不安に襲われている。「2020年東京オリンピック」という錦の御旗を得て、安倍自民党政権はその強大な国家権力をより盤石な体制へと仕上げていくのではないか。つまりオリンピックがあるのだからと異論反論は全て抑え封じられてブルドーザー的に彼らが望む国家が完成していく。国民世論もそれを後押ししていく。例えば、オリンピックを無事に成功させるために治安維持、安全管理名目の新法をこしらえていく。誰もそれに反対しないし反対できない。
つくづく安倍晋三という男は強運だと思う。陰りが見えだしていた、いや、そもそも実体のないバブルでしかないアベノミクスという経済政策がこのオリンピック決定で持ち直した。強いカンフル剤となった。じっさいの経済効果はそんなにあるのか自分は信じないが、国民に希望と期待感を持たせることには成功した。
これでまた黄金の60年代のときのような経済成長の時代が来るかもしれない。あちこちでドシンドシン、ガーガーと道路やビルを作る公共工事の音が聞こえてくる。建設、不動産、観光、ホテル業界は大喜びである。一般大衆にもそのおこぼれがきっとあるはずだ。景気浮揚には間違いなくなろう。それがどうして悪いことなのか。
東京でのオリンピック開催は間違いなく良いことだが、マスコミが大喜び、大騒ぎするほど本当に良いことばかりなのだろうか。これで消費税増税もお墨付きを得たし、オリンピックがあるからと全てがゆるされ、強行されていく。その絶対的善の前にはそれに抗う者は、異端者、異常者、治安を騒がし乱す者として糾弾されないか。批判的な意見や記事は白い目で見られはしないか。迫害されないか。
オリンピックは絶対的に良いことである。だからそれが困る。しかしモノゴトには常に光あれば影もある。その2020年まで国中が大騒ぎしている間に、オリンピックを成功させよう、失敗させてはならないという名目に乗じて怖ろしいことが起こるのではないか。国家権力が膨張していく。
まあ、一番の効果は、人心を一つにまとめて、これから2020年に向けて全てが良くなっていくと大きな希望と期待を抱かせたことだ。国力がつかなくても国全体は明るくなっていく。それは歓迎すべきであろう。日本はこれで大震災から立ち直れる。オリンピック景気でこれから良くなっていく。ひねくれ者、異端の自分はそうは考えないがそう期待する人たちの気持ちは否定しない。
敬愛する水木しげる先生の近作、ビッグコミックに載っていた「ゲゲゲの家計簿」を読んでいたら、1964年の東京オリンピックの前の世相を描いていて、主人公である氏が、建築工事にわく東京の街を歩きながら「オリンピックだというので、街が騒がしいな。オリンピックなんて建設業界と旅館に儲けていただくために、全国民が騒いでいるようなものだな」と呟くシーンがあったことを思い出す。それが当時の一般大衆の実感であった。もちろん様々な波及効果はいっぱいある。国民は元気になるだろう。でもその裏で、大衆がオリンピックに目が向き浮かれている間に安倍独裁政権は何を目論み野望を仕上げていくのか。ヒトラー政権下のベルリンオリンピックがふと頭をよぎるがオレが頭がおかしいのか。
うかつなことを書くと弾圧され、むにゃむにゃむにゃ・・・。
自分は元より天邪鬼であり、世間の人たちとは常に相容れない考えと立場に身を置く者と自認していたが、日曜早朝の2020年オリンピック東京決定の報からあけて一日、この国はその喜びに包まれ大騒ぎ、それを見て何だか内田百閒先生的に言えば、気持ちはむにゃむにゃしている。どうしても大喜びする人たちの立場に同感同調できない。早くも「オリンピックはもういいよ」である。
株価もGDPもまた上がったし、経済に弾みもついて良いことばかりではないかと思う。一説に、このオリンピックで3兆円の経済波及効果があると誰かが語っていた。テレビで見る限り街の人たちはその誰もが良かった、よかったと大喜びである。自分も一緒に喜びたいし喜ばないとならないのかと自問する。しかしその人々の喜色満面、狂騒的喜びを見るたびにますます醒めていく自分がいる。
今の気分は逆に、これでますますこの国は自分が望まぬ恐れていた方向に進むのではないかと危惧というか漠然とした不安に襲われている。「2020年東京オリンピック」という錦の御旗を得て、安倍自民党政権はその強大な国家権力をより盤石な体制へと仕上げていくのではないか。つまりオリンピックがあるのだからと異論反論は全て抑え封じられてブルドーザー的に彼らが望む国家が完成していく。国民世論もそれを後押ししていく。例えば、オリンピックを無事に成功させるために治安維持、安全管理名目の新法をこしらえていく。誰もそれに反対しないし反対できない。
つくづく安倍晋三という男は強運だと思う。陰りが見えだしていた、いや、そもそも実体のないバブルでしかないアベノミクスという経済政策がこのオリンピック決定で持ち直した。強いカンフル剤となった。じっさいの経済効果はそんなにあるのか自分は信じないが、国民に希望と期待感を持たせることには成功した。
これでまた黄金の60年代のときのような経済成長の時代が来るかもしれない。あちこちでドシンドシン、ガーガーと道路やビルを作る公共工事の音が聞こえてくる。建設、不動産、観光、ホテル業界は大喜びである。一般大衆にもそのおこぼれがきっとあるはずだ。景気浮揚には間違いなくなろう。それがどうして悪いことなのか。
東京でのオリンピック開催は間違いなく良いことだが、マスコミが大喜び、大騒ぎするほど本当に良いことばかりなのだろうか。これで消費税増税もお墨付きを得たし、オリンピックがあるからと全てがゆるされ、強行されていく。その絶対的善の前にはそれに抗う者は、異端者、異常者、治安を騒がし乱す者として糾弾されないか。批判的な意見や記事は白い目で見られはしないか。迫害されないか。
オリンピックは絶対的に良いことである。だからそれが困る。しかしモノゴトには常に光あれば影もある。その2020年まで国中が大騒ぎしている間に、オリンピックを成功させよう、失敗させてはならないという名目に乗じて怖ろしいことが起こるのではないか。国家権力が膨張していく。
まあ、一番の効果は、人心を一つにまとめて、これから2020年に向けて全てが良くなっていくと大きな希望と期待を抱かせたことだ。国力がつかなくても国全体は明るくなっていく。それは歓迎すべきであろう。日本はこれで大震災から立ち直れる。オリンピック景気でこれから良くなっていく。ひねくれ者、異端の自分はそうは考えないがそう期待する人たちの気持ちは否定しない。
敬愛する水木しげる先生の近作、ビッグコミックに載っていた「ゲゲゲの家計簿」を読んでいたら、1964年の東京オリンピックの前の世相を描いていて、主人公である氏が、建築工事にわく東京の街を歩きながら「オリンピックだというので、街が騒がしいな。オリンピックなんて建設業界と旅館に儲けていただくために、全国民が騒いでいるようなものだな」と呟くシーンがあったことを思い出す。それが当時の一般大衆の実感であった。もちろん様々な波及効果はいっぱいある。国民は元気になるだろう。でもその裏で、大衆がオリンピックに目が向き浮かれている間に安倍独裁政権は何を目論み野望を仕上げていくのか。ヒトラー政権下のベルリンオリンピックがふと頭をよぎるがオレが頭がおかしいのか。
うかつなことを書くと弾圧され、むにゃむにゃむにゃ・・・。
コメント
_ モジロー ― 2013/09/12 09時24分28秒
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しかし、いい点もある。オリンピックを成功させるためには、しばらくは近隣諸国を刺戟することは避けるだろう。7年間は戦争も起きないだろうと期待。オリンピックの原点は平和の祭典なんだから。