全てそこに至るにはワケがある。2013年09月24日 03時20分16秒

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 毎度のことだが、どれだけ自らが愚かで迂闊で、そしてだらしないか心底呆れ果てる。もはや犯罪的だとも思える。

 これは感傷的自己卑下でも韜晦でもなく、冷静な自己認識である。
犯罪ならば常に処罰があるように、今回も来客を見送った後だと思うが路上で転んで、今右腕の肘のところから青痣を伴う打撲箇所がある。
 指先ではないので、パソコンも打てるし食事など特に不便はないが、痛くて曲げることも肩より上へ腕を上げることができない。医者に行くべきか今日一日湿布して様子見たが、痛みと腫れは収まってきたようだからたぶん単なる打ち身で済んだと思える。しかし、くるぶしのあたりから肘まで擦り傷がありかなり血が出ている。いったいどうしてしまったのか、問題はその記憶がはっきりないのが問題なのだ。

 映画塾のあと、犬たちを連れて駅近くまで来客たちをいつも見送る。今回も記憶はまったくないのだが、やはりそうしたものと思え、彼らと別れてからふらついて転んだに違いない。ぐでんぐでんに酔っていて自立できなかったと思える。

 転んだときはかなり痛かったからその記憶はおぼろげにある。どこか近くにいた女性が駆け寄ってきて、「大丈夫ですか」と介抱してくれた気もするが夢の中のことかもしれない。それを振り切って、「大丈夫、大丈夫」とへらへら笑いふらふらと帰ってきたはずだ。

 そして朝が来て、意識が戻り、体がやたら痛く、転んで右半身、右腕からそのまま転倒したことに体の状態を見て「思い出した」。いや、思い出すもなにもそうなっていたので、転んだことに思い至った。それ以外の記憶はまったくなく、気がついたらベッドに寝ていて隣にはベル子がいたし、ブラ彦は外で繋がれてもいなかった親たちは言う。
 たぶん犬たちがフラフラと茫然自失のこのオレを何とか引っ張って家へ連れ戻してくれたのであろう。犬たちがいなかったら泥酔してそのまま道で倒れていたかもしれない。そこを車が通ったかも。意識がないのだから極めて危なかったのだ。

 以前、もう何年も前にも、羽村の古本屋仲間の家でしこたま強い酒を呑み、夜道を自転車でフラフラ何度も塀にぶつかったり擦ったりしながら帰ってきたことがある。そのときもかなり危険で、けっきょく左手の小指を挫いたか骨折していて、その後、何かの折にレントゲンを撮ったらヘンな風に曲がっていると医者から指摘された。そして今回もまた酔って意識なくしての転倒、打撲である。

 直接の知り合いではないが、フォークシンガーにもそうして酔って歩いていて交通事故に遭い、跳ねられて死んだりひき逃げされた方々が何人もいることを思い出す。また、先に、あの若松孝二映画監督も酔って道路を渡ろうとして車に跳ねられて命を落とした。おそらく酒さえ呑んでいなければ死なずに済んだ人たちがいっぱいいるのである。自分も今回もまたその危険なところにいたのだ。

 自分は本当に破たんしているから、いつかはこのままならばそうして自殺ではないが自滅していくことであろう。悔やむ以前に呆れ果てうんざりもしている。が、それが自分なのだから仕方ない。今はもう酒など金輪際呑まぬと誓っているが、バカだから、意思薄弱だからまたきっと似たようなことをしでかすかもしれない。
 しかし、こうしてまだかろうじて生きていて、こうして今まで生きてきた、いや、生かされてきたわけだからそこにはまた何か意味もあるのだと信ずる。それが少しでも果たせない限りは死ぬに死ねない、死なせてくれないのかもしれない。

 今自分自身でとことん呆れうんざりしているが、自分を見捨て見限るわけにもいかない。それは「自殺」するしかないだろう。せっかく今回も生かされたのだから感謝し深く悔い改めていくしかない。
 自らの愚かさと迂闊さ、そしてだらしなさは仕方ない。それが自分の特性なのだ。付き合っていくしかない。他の人が呆れ見捨ててもこの自分こそは見捨てるわけにいくまい。

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