久々のライブ終えて充足感、満足感2013年10月05日 23時28分53秒

楽四季・公一、豪華な初顔合わせ!
★館野公一、無頼庵ライブ大成功で終了す。
ランキング: 143位

 先ほど、拙宅無頼庵での久々のフォークライブ企画、「館野公一語りうたの世界・第一章」は無事に終了した。
 ゲストにバイオリン演歌師・楽四季一生を迎えて、冷たい雨がそぼ降る秋の夜のフォークソングのライブ、今終えて深い満足感がある。久々に、本当に久々の満足できた良いライブが持てたと思う。しいて課題を見出せば観客がもう少し多ければという思いもあるが、ほぼ理想的な入りではなかったか。関係者も含めれば10名を超す良い素晴らしい仲間たちが集ったのだから。

 ウチだけではなく場所を借りたりしてライブの企画に関わるようになり何年もたつ。その関わり方は単なる一要員であったり手伝い、裏方他、ときにはイベントの資金すべてを背負う責任者の立場であったり様々ではあるが、なかなか心から満足のいくライブに出会うことはごくごく稀だ。
 客はまあ入っても、アーチスト側の出来がもう一つだったり、あるいは逆に演者側はとても素晴らしいのに客が全然入らなかったり(このパターンが一番多い)、はたまた客が入ってもその客の質が悪かったりとその三者、それぞれの立場全てが良い出来となることはまずないと言ってもよい。
 関わり方の度合いにもよるが、総体として良いコンサートだったとしてもたいがいは常に何かしらの不満があり、もやもやとしたスッキリしない気分で家路を急ぐこととなる。
 ライブというものは、そもそもの「企画」、アーチストのそのときの「出来」、そして客の「入りと質」が密接に関わり成り立っていると自分は考えている。

 前置きが長くなったが、本日の館野公一の無頼庵での初の単独ライブ、氏のうたの世界にどれだけの人が関心を持ちわざわざウチまで足を運んでくれるか、かなり不安もあった。以前なら友人知人に、同報メールを送りまくり、お願い、ぜひ来てくれと頭下げて、動員をかけることもした。しかし、そうしてお義理で、興味はないのに来てもらってもこらちとしてはあまり嬉しくない。またそうした人はそもそも関心が薄いので真剣に耳を傾けてくれない。よって客は入っても緊張感が欠けてしまう。

 一番理想的なのは、このブログを読んで、あるいはこのマス坊の「宣伝」を通じて皆が関心を抱き足を運んで頂くことで、果たしてどうなるか今回はあえてメールなどで宣伝活動はしなかった。むろんチラシは作っていくつかお店に置かしてもらったり、そのチラシをフォーク好きな方に郵送もした。ただ、それとこのブログだけで果たして観客は来てくれるものか、まったくわからない。まあ10人でも観客がくれば大成功だと位置づけた。

 結果は参加予定で病欠の方もいたのでやや及ばなかったが、自分としては大いに満足のいくライブとなった。というのは、館野氏は毎度当たりはずれはほとんどない実力者だから何も案ずるところはない。しかし、今日はさらに熱がこもり、またそれが空回りすることもなく、聴き手は皆しっかり集中して彼の長いうたに真摯に耳を傾けてくれたからだ。
 またこの企画じたいも、当初は「うた」だけではなく、彼のライター、社会活動家としての一面も示せるように「講演」の要素を取り入れ一部をやってもらおうと目論んでいた。しかし、ビデオとの接続が上手くいかず、今回はうただけ、うた1本でお願いすることにした。そして中入り後のゲストにほぼ初顔合わせのバイオリン演歌師、楽四季さんをお願いし、二人ともぶっつけ本番で、楽四季さんとのバイオリンと館野氏のマンドリンの初競演と相成った。それもすごくかみ合い成功した。

 そして後半は、館野氏はギターであますところなく、彼独自のうた世界を熱く、鋭く、ときにユーモアを交えて語りうたい尽くした。彼のうたに長く親しむ自分も堪能し大いに感動したのだから今回の観客は皆感心、感動したことは間違いない。女性客のほとんどが感涙していたのがその証だろう。
 ライブ企画の醍醐味とはいかに自分が良いと思い強くお奨めるアーチストに観客が集まり感応してくれたかであり、今回は、館野氏だけでなく楽四季さんも最上の出来で、あまり接点のなかったお二人を引き合わせたこと、良い観客に紹介できた光栄さを深く噛みしめることができた。つまり今回のライブこそ、自分が考えるライブとしての良い理想的条件をすべて兼ね備えていたのだ。

 館野公一という素晴らしきうた唄い、残念だがまだ世間が着目していない実力者を今回のお客様に紹介し知らしめることができたことが本当に嬉しい。おかしな謂いだが、ようやく「恩返し」が少しはできた気がしている。こんな素晴らしい魅力ある唄い手を招きウチでライブが企画できた。そのことは自分に誇りとなり自信になる。

 久々に確かな満足感で今これを記している。自分が考える「うた」の今を観客に示せたと信ずる。ぜひ次回の「館野公一・第二章」へご参加ください。予定では来年早春にやりたい。ようやくこれで無頼庵の「フォークソング」復活なるかである。

コメント

_ 館野公一 ― 2013/10/06 09時24分23秒

昨夜はありがとうございました。前日もお忙しかったのに、準備も大変だったかと思います。自分でも歌いきったと思いますが、よい感想をいただけて満足です。またよろしくお願いします。

_ 感涙女子1号 ― 2013/10/12 17時46分27秒

館野公一さん第一章・ライブから1週間経ちました。
とても印象深く今だに時々思い出しながら生活しています。
館野さんの歌はどれも映像がアリアリと浮かんでくるような歌で、次はどうなるの?と先を知りたくなり、ついつい最後まで聞き入ってしまいました。
まるで、オムニバスの映画を見終えた感じで、すっかり歌の世界に引き込まれてしまいました。現代の「語り部」「絵のない絵本の読み聞かせ」のようでした。
布石や謎解きなども含まれていて物語としての構成がキチンとしていたのも、物書きと言うプロフィールのなせる業なのでしょう、納得しました。
「小梅の庭」は引っ越しするたびに段々と高い場所が庭になっていくトコロがニクイですネ。
多分きっと、この日参加者みんなが同じ映像を頭に思い浮かべながら聞いていたのではないでしょうか。
絵のない絵本しかりスクリーンのない映画かな?
バイオリン演歌との即興共演もマンドリンとの音色がよかったです。
また、次回も楽しみです。

(マスダさんへこのコメントを見て変だったり館野さんに失礼だったりしたら添削して下され。ヨロシク)

_ 館野公一 ― 2013/10/20 13時07分02秒

感涙女子1号さんへ

すてきなコメントありがとうございました。一昨日、かけこみ亭に来てくれたマスダさんから「反応が書かれてますよ」と教えていただき、今拝見しました。

ぼくは、いろいろと意図があり、仕掛けを作ってうたにしているわけですが、それをすとんと受け止めてくださって嬉しい限りです。

「絵のない絵本の読み聞かせ」というのも、そういう風に聞いていただいてとても嬉しいです。
ぼくは自分が好きになった話、悲しいと思った話を、どうしたら他の人に伝えられるかという手段で、うたを(今のようなスタイルのうたを)選びました。今後も模索していくと思いますが、読み聞かせというのはキイワードですね。
ありがとうございました。

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