若者よ、戦地に行く覚悟はあるか2014年06月14日 08時00分01秒

★殺し合いのリングに君は上がる覚悟はあるか   アクセスランキング: 153位  

 まさに風雲急を告げる状況である。世間はサッカーワールドカップとか、近づく東京オリンピックとか、スポーツの祭典に浮かれているが、今日本は、そして世界はまさに大変革のとき、第二次大戦後以来続いていた「戦後」体制が終わり、新たな「戦前」の時代へ移ろうとしている。
 ただ、多くの国民はそのことに気がついていないし、漠然と「集団的自衛権」の行使容認?よくわからないけど良いんじゃないの、という程度の認識しかない。
 だが、このことは、これまでは憲法で禁じられてできなかった他国との戦争という行為に、この日本も再び参加していくということであり、そんな大事な決断を一内閣が決めて国民はそれを許すのか、同意するのかということが問われている。ところがほとんど多くの国民はそれほどの大事件、大問題と思ってもいないしそもそもよくわかっていない。一部の左派マスコミが騒いでいるがメディアでもきちんと事態を知らされていない。
 そもそもこの国の国民はおとなしいというか、多くが常に政治には無関心だから、どんな悪法も粛々と国会で決められて、政治家たちが決めたことは、知らないうちにいつの間にかお上が決めたことだからと唯々諾々と従い、結果として常に痛い目にあう。

 戦争ができる、戦争をするということはどういうことか、考えなくてもいいからまず想像してみてほしい。
 例えばの話、君がスポーツ、それもボクシングとかプロレスが好きで、彼らボクサーやプロレスラーに憧れ観客席やテレビででいつも応援していたとする。
 しかしあるとき、突然、きみもリングに上がれと命じられたらどうするか。観るのは好きでもまさかリングに上がるなんて思いもしないしそんな覚悟も準備もしていないはずだ。まして相手は見ず知らずの外国人の選手だとする。それは怖いしおそらく誰だって拒絶するであろう。
 プロレスやボクシングならば、命のやりとりはしない。せいぜいあっという間に倒されてリングにダウンし、レフリーストップか、カウントを取られて控え室に抱きかかえられて運ばれる程度で済むかもしれない。

 だが、戦争ならばどうか。戦争とは命のやりとりなのである。そしてきみはテレビで、戦っている日本人兵士を、ふーん大変だなあとみているだけではすまなくなるだろう。というのは、戦争が始まれば今の自衛隊員がまず参戦することになるわけだが、一人でも戦死者が出てしまえば、すぐに兵士が足りなくなる。
 なぜなら、今の自衛隊員たちの多くは、まさか外地で戦争をする覚悟で応募したわけではなく、その多くは災害救助中心の活動だと考えているし様々な資格取得目的という軽い気持ちの方々が多いはずだからだ。日本国兵士として命を捨てるという意識と覚悟は彼らにはまだない。憲法解釈が変わって集団的自衛権が行使できる、戦地に行ってくれと言われたら困惑する自衛隊員も出てくるだろう。兵士は必ず不足する。

 そうして戦争が始まってしまえば、いや、戦争が始まらなくても戦争ができるとなれば国軍には常に一定の優秀な兵士が必要となる。訓練は怠ってはならないし有事に備えて兵器と兵士の確保は至上課題である。どうするか。けっきょく、かつて戦前の日本のように、徴兵制として一般国民を使う「徴兵」しかないのである。
 おそらく18才以上の健康な男女は、参政権と同時に徴兵検査を受けさせられ一定の期間兵役訓練に就かされる。そして米国がどこそかの国を攻撃する事態が起これば即日本軍は参戦しその国に行って戦闘行為を繰り広げる。
 若いきみもそのとき、兵士として徴用されてどこか外国の地で戦闘行為に参加させられるかもしれない。それはどんな気分か想像してみてほしい。楽しいか。モンスターハンティングみたいなものか。しかしそれは戦争ごっこではなく、本物の戦争であり、向こう側、敵軍も必死であるし人と人が命かけて殺し合いをするのである。勝っても負けても双方に犠牲者が出る。それは絶対に楽しくも愉快でもない。恐怖のあまり発狂するかもしれない。

 かつて韓国は、ベトナム戦争においても米軍と共に参戦し、多くの韓国人兵士の戦死者を生み出した。今でも成人男子は一定の期間兵役訓練が課せられているし、平時においても戦争は常に意識の傍らにある。それは38度線で敵国と境を接しているからでもあるが、では何故に日本は韓国のような事態が起きなかったかと言えば、まさに平和憲法があって九条により戦争はできなかったからだ。それは良いことであって悪いことではないだろう。それとも北ベトナムに日本も米韓と共に参戦すれば良かったのか。※韓国軍はベトナムに5万人の兵士を出し、そのうち約5000名の戦死者を出したとされている。

 集団的自衛権を行使する、とはとりもなおさず戦争をしていくことであり、もしそれが国際貢献、21世紀における「積極的平和主義」だから日本の進むべき正しいあり方だとしたとする。しかし、ならばこそ拙速に国民的討議もないまま安倍政権と与党だけで突き進んでよいものか。国民にその覚悟はあるのか。いや、そもそも「集団的自衛権の行使」、解釈改憲とはどういうことかわかっているのか。

 はっきりと、政府は国民に説明したらどうか。憲法を変えるためにまず解釈として自衛権を行使できるようにします。今までは憲法の制約があってできなかったのですが、これからは戦争をします。戦争が始まったら、兵士が不足するかもしれません。よって国民から兵士を募ります。徴兵制を復活させます。ぜひ皆さんも日本軍に入って国民の財産と愛する人を守るため、国のために命を捨ててくださいと。

 きみは殺し合いのリングに上がる勇気と覚悟はあるか。戦争が始まって戦地に行くのは、安倍や石破や高村氏ではない。彼らは勝手に決めるだけでその責任はとらない。戦争が始まれば行くのは若い健康なきみたちなのだ。
 また、青少年の子をもつ親たちは我が子を戦地に送り出す覚悟はあるか。生み育てた子を戦争でなくす覚悟はできているか。戦争ができる、戦争をするということはそういう事態なのである。今、そういう時代が来る瀬戸際。よく想像してほしい。

コメント

_ (未記入) ― 2015/09/29 08時44分04秒

戦争法案のキーワードは 「覚悟」 でしょう。

あなたは、集団的自衛権でもし戦争になったとき、自分の命、家族の命を守る「覚悟」はできてますか!?

おそらく国民が覚悟を問われれば90パーセントの国民が、いや限りなく100パーセント近くの国民が覚悟などした覚えはないというだろう。

安保法制は国民の「覚悟」を問わず聞かず目と耳を塞ぎ、勝手に政府が決めた戦争法案である、国民の生命財産幸福の権利の存立存亡の危機である。

_ (未記入) ― 2016/06/07 10時51分53秒

安保法案ができて日本が戦争できる国になったというのは真っ赤な嘘であり、もともと日本は、自衛権の行使上できる国なのだから論点の錯誤と思えます。
そして、政治家はいかないとか、若者が戦争にいかされるといいますが、現代の戦争とは、テクノロジーが詰まった素人では容易に使えないものばかりで、訓練を積んでいなかったり、自分の国を守ると言ったような気持ちがない逃げ腰のような気持ちではまともに相手の国の攻撃を防御することはできません。
だから、行きたくない人には来てほしくないと言っことが本音であり、日本がこれから防衛はあれど、日本からの攻撃は全く意味がないのでないとおもわれます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2014/06/14/7343912/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。